30 ウルトイル
「お嬢さん、今なんと?」
がちっと固まったエドワードがアリアを見た。
あら、響いてる。
アリアはまっすぐ、その無垢に見える目に語りかけた。
「そのうち捨てられるわ」
「どうして」
「どうしてって」
アリアは首を傾げる素振りで追い打ちをかける。
「だって、掃除もしない洗濯もしない、自分で片づけもしないし、手伝いもしないし、なんの役にも立たない、自分の弟も忌み嫌っているただの十個近く年上のおっさんを、いつまで可哀想だって思えるって言うの? もって二年よ。鬱陶しくなるし、世話なんて焼いてる場合じゃなくなるわ。彼女だっていつかは弟も面倒見てくれる、懐も愛情も深い男性に嫁ぐに決まってる。そうしたときに、あなたどうするの。ルイのようにしつこく邪魔して回るつもり? そうすると余計嫌われるわ。あなたの未来は、このままなにもせずに彼女に捨てられるか、そうならないように邪魔をし続けて心底嫌われるかのどちらかだわ。二年後の今、ここでそうして立っていられるかしら」
エドワードはアリアの猛攻に茫然自失となってしまった。
隣でルイが「確かにな」と何度も頷いている。
「生まれ変わりだとして、ローズのように、王だから、となんでも許してくれるわけじゃないだろうな。ましてや記憶などないし、彼女にとっちゃお前はなんにもしないただの可哀想なおっさんだ」
「そうよねえ。しかもたった一人の弟にすら嫌われてるおっさんよ」
「執着心の激しいおっさんだわな」
「いらないわよね」
「いらないな」
「……じゃあ、どうしろと」
ぼんやりとした覇気のない声が二人に向かう。
アリアは前髪で顔が隠れたエドワードに言った。
「彼女が喜ぶことを見つけるの」
「……喜ぶ」
「リスクを最小限にするために相手の行動を制限するのではなく、あなたが、彼女のために、彼女が喜ぶことをする。彼女が大切にしているものを、同じように大切にする。簡単なことよ。愛をそっと届けるだけ」
「……愛を、届ける」
「そっと、よ」
「……そっと」
アリアは、この自分至上主義のエドワードは、ルイのようにはできないだろうと思った。
けれど、どんなに小さくとも受け取った相手には積み重なって行くものだ。
アリアは確かに受け取っていた。だからずっと、ルイは「特別」だったのだ。
「エド、もう悪さするなよ。これは俺たちにとってただの余生だ。若返ったからと言って、劇的にすべてが思いのままに良くなるなんてことはないからな」
ルイは忠告すると、未だぼんやりとしたままの兄を一瞥し「じゃあな」とアリアの腕を取った。
「付き合わせて悪かったな」
「ううん。いいの。お疲れさま」
「……お前もな」
二人とも妙に疲れ、姉弟の家を出る。
「ルイ!」
坂を下る直前に呼び止められ、振り返ると、ほんのりと顔を赤くしたエドワードが走ってきていた。
前髪が揺れ、美しい顔が生気を取り戻しているのが見える。
そのままの勢いで、ルイの両手を取って握りしめた。
「かわいい弟よ。会いに来てくれて感謝する。僕はこれからただのエドとなって、サーシャやダンにそっと愛を届けられる人間になるよ」
「……お前中身七十三のジジイだからな、一番大人なんだぞ。しっかりしろよ」
「ああ、そうだ。僕は王ではなくなったただのエドなんだ」
「声がでけえよ」
「働くのは無理だけれど」
「働け」
「僕は人を動かすのは得意だから、うまいことサーシャとダンのために役に立ってみせる」
「それはできそうだな」
「掃除と洗濯と片づけもやってみようかな」
「お前ならできるよ」
「やはりそうだろうか」
「おー、できるできる」
「ああ、我が弟よ。抱きしめてもいいかい」
「遠慮する」
「そうか、ありがとう!」
エドワードが力付くでルイを抱きしめるのを、アリアはただ見ていた。
なぜか、ここは邪魔をしてはならない気がしたのだ。ルイが手綱を握っているところだろうし、これは間違いなく兄弟の会話だ。そしてなにより、余計なことを言ってこちらに意識を向けられたくはない。
「離せ」
「ああ、ごめんよ。君は随分幼いところまで若返ったんだね。十五の頃だろう」
「……」
「ルイ?」
ルイは黙ってエドワードを見上げていたが、アリアも密かに驚いていた。
どう見ても十二歳よりも幼く見えるが、ルイがきちんと十五だった頃を、この兄はしっかり覚えていたのだ。その胡散臭かった顔に、弟を思う兄の面影がさっと通り過ぎていく。
「元気で。我が弟よ。困ったことがあれば頼ってくれ」
とんとん、と肩を叩く兄に、ルイは見上げて軽く頷いた。
「ああ。エド、お前も気をつけろよ。密貿易は摘発されて、今ウルトイルはミラーの騎兵隊がわんさか潜んでるぞ。ついでに仲介屋も今日中に摘発される見込みだ。船長にはシロノイスから乗った怪しい男がそそのかしたことは黙らせておいたが、どうなるかはわからない」
「えっ。本当に? それは大変だ」
言葉は驚いているが、エドワードは一切取り乱さずに微笑んでいた。
手は打っているらしい。
本当によくわからない人だわ、とアリアは思った。
やはり関わってはいけない。面倒くさすぎる。
「じゃあな」
「待って、これを君に」
エドワードが渡してきたのは、さっきのクッキーを包んだものだった。
「懐かしい味だっただろう。君に分けたくて」
「どうも」
「じゃあ、引き留めて悪かったね。楽しい余生を」
「そっちもな」
ひらひらと手を振るエドワードに見送られ、アリアはルイとともに坂を下った。
疲れた横顔のルイは、無意識なのかアリアの手を取って繋ぐ。アリアも何も言わず、その手を柔らかく握った。そして思う。
あんな兄は絶対にいらない、と。




