29 ウルトイル
「じゃあ、君はなんの野望もなく、ただ自分のためにだけ若返ってるってこと?」
「そうだ」
「もう一度年老いたら、再び若返ることができるのかい」
「いいや」
ルイは首を振る。
「若返りの能力を貯めていた魔石は割った。そうやって若返ったから、もうこれ以上若返りをつかうのは無理だ。エド、お前も若返ったからと言って無理をするなよ。俺たちはもう若返りの能力はないんだからな」
「そうだよねー、この前の傷も消えやしない」
エドは左の袖をまくり上げた。
五センチほどの切り傷がかさぶたになっている。
「でもまあ、腰も膝も痛くないだけ、ありがたいよねえ」
にこにこと笑うエドワードは、ルイに微笑みかける。
「なんのしがらみもないまま、自由に生きておいで」
「……お前に言われなくても」
「だよねえ。でも、ルイに会っておきたかったのは、君に謝るためでもあったから」
エドワードはハンモックから起きあがると、立ち上がって頭を下げた。
「色々と悪かった」
「エド、具体的に」
「あ、はい」
アリアが聞いているだけでも、懺悔は十五分も掛かった。幼い頃に黄金の貝殻を探しに出た二人が、ルイだけ水難にあったこと、丘を散策していたらルイだけ滑落したこと、その後は食事に毒が混ぜられたこと、食事を一緒にとることができないとお茶に混ぜられるようになったこと、ルイの噂をさらりと流して学園で孤立させたこと、公務は面倒なのばかり押しつけていたこと……など多岐にわたって生涯を浸食していたことを謝罪した。謝罪にしては軽かったが。
アリアはうんざりした。
そして、不思議でたまらなかった。
こんな扱いを受けていて、よく兄の側にいられたものだ。なぜ、その兄の子を愛情を持って育てられたのだろう。
「で、ごめんなさい。もう君には関わりません」
「……本当に?」
「本当本当」
エドワードは頭を上げると、両手を広げた。
「僕だって、しがらみのない、誰かを陥れたりリスクの恐怖にさらされる必要のない人生を謳歌したいんだ。僕は椅子に座らないから、愛する弟を疑って追い込む必要はない。遠くからただ愛しているよ」
広げた両手でルイを抱きしめようとしたところを、アリアはルイを引っ張って阻止した。
ついでに、一言言わせてもらうことにする。
「そう、じゃあこの家から出ていって」
「え」
「あなた、ここでなにしてるの?」
「なにって……寝ているよ。頭の固い連中に囲まれた公務や書類仕事がないって最高だ」
「十六歳の子に働かせてるんでしょう」
「サーシャが働いているのは前からだよ。なにも変わっていない」
アリアがなにを言いたいのか全く持ってわからない、と言いたげに首を傾げる。
ルイが仕方なさそうに二人の間に入った。
「ここにいるならお前も働けってことだよ」
「働く?」
「そう」
「誰が?」
「エドワード、お前が」
「無理だよ」
「エド」
「だって、僕は椅子に座ることかできなかった男だよ。王になるために生まれ、王として生き、王として死んだ。働くなんて教育は受けていない。どうやって働くんだい?」
本気でわからない、と不思議そうに言う。
「じゃあ働かなくてもお前を喜んで飼ってくれる人でも見つけて、ここの姉弟からは離れろ」
「嫌だ。サーシャからは離れない」
思わず「え、無理」と呟いたアリアを、ルイが背中に隠す。
小さいのになんて頼もしい背中だろう。二十五歳の男が十六歳の少女に執着する様など見たくない。彼はいつぞやは「春の王」と民に慕われていた国を背負った男のはずだ。
ルイは慣れているのか、淡々と相手をしている。
アリアはルイの偉大さに、感謝したい気持ちになった。
「なんでだ。ただの子供だぞ」
「これ」
エドワードが動く。ハンモックの横に置かれた小さなテーブルに、カゴが乗っていた。渡され、中身を恐る恐るのぞくと、クッキーが入っていた。真ん中のくぼみに、きらきらとしたジャムが乗っていて、ものすごく遠い昔ではあるが、既視感がある。
「食べてどうぞ」
そう言われるが、アリアは手を出さない。
なんせ自分のために弟に毒を盛ったりする人だ。
「お嬢さん、これを作ったのはサーシャで、僕のおやつだよ。ほら」
そう言って口に含み「おいしい」と顔を輝かせる。
ルイは頭を掻くと、一つ摘んだ。アリアも手を出すが、ルイに止められないので一口かじる。
「あ」
アリアは懐かしい、よく知っている味に驚きを隠せなかった。
たった半年だが、毎日お世話になったあの味だ。ジャムの酸味や、それにあわせたクッキーの甘みと、香りのバランス。長い間旅をしても中々お目にかかれなかった。アリアにとっての幻の味に、五十年ぶりに会えた感動がこみ上げる。
「……キースの味だな」
「そう。僕には絶対作ってくれなかった、君の側近であり親友のキースのクッキーさ。僕がここに流れついて、空腹の時に差し出されたこの味にどれだけ感動し、救われたか。正直言って、サーシャに出会ってからは君のことも忘れそうになっていたくらいだよ」
「忘れてくれていいぞ」
「キースは僕がいくらねだっても、面倒なことになると嫌だから、と決して僕には分けてくれず、代わりに妃であるローズにだけレシピを教えてくれていたのを知っているだろう? そして、サーシャが十六歳と聞いた僕は思ったんだ。ローズの生まれ変わりだと。だから僕はここを絶対に離れない。君が用意してくれた運命の妃と、再び会えたのだから」
うっとりとクッキーのカゴを持って空を仰ぐ前国王は、本気で十六歳に世話になり続けることを高らかに誓った。アリアはげんなりする。やはり会話が会話にならない。
確かに、前王妃は十六年前に不慮の事故で亡くなってはいるが、思いこみの激しいタイプらしいエドワードになにを言っても無駄な気がした。旅を続けていたアリアでさえも出会えなかった味だから、運命は感じてしまうかもしれないが。でも、それと十六歳に世話をしてもらうのは別の話だ。
アリアは呟く。
「そのうち、捨てられるわね」




