27 ウルトイル
奇妙な一瞬だった。
男だ。ダンの言うように、長い髪を結っていて、顔を覆い隠す前髪に、背の高い、見るからに胡散臭い男だった。そして、アリアとルイに気づいているように、じっとこちらを見て、顔が見えないにもか変わらず笑っている気がするのだ。
空気がなんだか妙で、アリアは思わずルイを見た。
ルイは、男を見て目を見開いている。が、次の瞬間に激しい嫌悪感に瞳を燃やした。男はまるでその反応を待っていたように口を開いた。
「やあ、ルイ。久しぶりだね」
風がふっと吹いた。
男の顔がぱらぱらと流れる前髪の隙間から見えた途端、アリアは絶句した。隣でルイが低く唸る。
「……エド、お前なんで」
「わあ。兄上になんて口を。けれど、それでこそ我が弟よ。さ、よければ入ってくれ。僕の家ではないけど」
ふふ、と笑い、前国王であり、春の王と呼ばれたルイの兄「エドワード」はアリアとルイを招き入れた。
小さな池もある庭の隅に置かれたハンモックに、エドワードは慣れたように腰掛ける。ゆらゆらと揺らしている様は子供のようだ。
「エド」
「兄上とは呼んでくれないのか……寂しいなあ」
「一度も呼んだことはない」
「あれ、そうだっけ」
「エド、お前どうして」
「うーん、すごく怒ってるのかな? これ以上僕の愛する弟を怒らせるのは嫌だなあ」
イラッとする。
アリアは穏やかな顔のまま、エドワードの様子を睨む寸前の瞳で見つめていた。
人の神経を逆なでする物言いや、ルイの言動を制限しようとしているその根性が気にくわない。
アリアはにこりと笑った。やっぱり我慢できない。
「ではここで失礼しましょう。お元気で」
えっ、と書いた、よく似た顔が二つ。
アリアはルイの腕を取ると、踵を翻した。
ルイはアリアを止めようとしたが、アリアは前を向いてそれを拒否する。短気なのはやはり変えられない。仕方がない、役人に虚偽の通報をして、速やかにダン達の家から出て行ってもらうように仕向けよう。
アリアは速やかに意識を切り替えて、役人が動かざるを得ない適当な文言を考える。
そうだ、まだイアンもゼノも、この町にいるはずだ。適当に、この男も密貿易に関与しているとか言ってしまおう。一時的にでも離してもらえるだろう。
「あーー、ごめんごめん! ごめんよ、お嬢さん!」
庭先に大きな声が響く。
アリアはぴたりと足を止め、視線だけで振り返る。その瞳は冷たい。
「お元気で」
「え、なにこの子。怖いんですけど」
「お元気で」
それだけ言ってアリアは再び前を向く。
しかし、今度はルイに本気で止められた。
「アリア、少し待ってくれ」
「嫌よ」
「アリア」
「あのクソお兄様があなたに謝らない限り、私はもう一秒もここにいたくない」
「ごめんなさい、申し訳ありませんでしたあ!」
大きな声で謝罪が降り注ぎ、ルイは「な。大丈夫だって」というと、アリアの手をとんとんと撫でた。
「言ったろ、あいつは小心者で心配性で臆病なくせに、人をあざ笑うことが好きなただの性格の悪いクソ兄貴なんだ」
「あはは、本当だねえ」
笑っているエドワードを厳しい目で見て、アリアは仕方なくルイの腕から手を離した。
「それで、僕はなにを話したらいいかな」
「全部」
ルイが言うと、エドワードはどさりとハンモックに寝ころび「はーい」とやる気のない返事をした。
「そうだね……僕が生まれたのはある晴れた日の昼下がり」
「そこはどうでもいい」
「ねえ、あなたのクソお兄様はふざけてるの?」
「僕はクソお兄様って呼ばれてるんだ?」
ふふふ、と何故か嬉しそうに笑うエドワードは、長い前髪を掻きあげた。
その鼻筋や、整った顔立ちは確かにルイと似ているところがあるように見える。しかし、ルイが繊細な目をしているのに対して、この兄は恐ろしく安定したふてぶてしい目をしていて、なんだか見ていてざわつく。無垢な子供の目をわざと演じているようだ。
「事実だろ、お前はクソ兄貴だ」
「うん。まあ、確かに僕は君にとってクソ兄上だったと思うよ。でもそれには深い理由があってね。君の若返りの能力が強いんじゃないかって疑っていたのは、僕だけじゃなかったんだよ。父上もさ。父上は、君がその力が強いのなら、継ぐのは君であるべきだと考えていたんだよ。母上は君のことを考えて必死で隠していたけどね。だから僕は君にそんな力はないと証明し続けるために、あんな愚行をしていたんだ。だって、君を愛する母上はできないだろう? 兄である僕しかできなかった。心苦しかったけど、君が良く臥せるものだから、父上は無事に僕を椅子に座らせてくれた……君は椅子など望んでいなかっただろう?」
「お前のおかげだと言いたいのか」
「うーん、事実そうなんだよね」
困ったように笑って言う兄に、ルイは表情を変えずに反論した。
「いや、気づいてなかったぞ」
「あれ」
「気づいたのは母親だけだ。お前だって疑っていただけだろ」
「ばれちゃった」
「大体、継ぐのはお前で決まってた。俺にその気がないことはお前以外みーーんな知ってたよ」
呆れたようにルイが吐き捨てると、エドワードは悲しそうな目でルイを見つめた。
「本当にそうか、心の内はわからないものだろう? 僕は椅子に座りたかったんだ。ずっと。君が生まれる前からね。君が生まれたから、その椅子が脅かされるリスクがある。僕はそのリスクを最小限に留めるために手を打っただけさ。それはもう小さな脅威だったよ、君は。本当にね」




