26 ウルトイル
ルイはアリアの視線に気づき仕方なさそうに頷く。子供に甘く、放っておけないことも見抜かれているのだ。
アリアは手で砂を掘りながら、ダンに尋ねる。
「そのクソ野郎って、どんなやつなの?」
アリアが聞くと、ダンは顔を上げた。
嬉しそうだ。
「誰に言っても、そんなことないって、いい人だって言うけど、とてつもなく胡散臭いんだ」
キラキラした瞳で言う言葉ではない気もするが、アリアは「へえ」と持ち前の適当さで相づちを打つ。
「お父さんもお母さんも、もう天国に行ってさ。サーシャと二人暮らしなんだ」
「お姉さん?」
「うん。でもクソ野郎が来てから三人暮らし。あいつのこと嫌いなのに、サーシャが可哀想だからって置いてて」
「あらー」
アリアは手元を見ながら返事をする。
それでも、二人姉弟のなかに男手がいたら助かるのではないだろうか。そもそも、恋人かもしれない。ダンが知らないだけで、養ってくれているとかではないだろうか。
「サーシャはお菓子を作って売ってるんだけど、全く手伝わないし、買い出しだって行かないし、食事の用意もしないし後かたづけもしない。草むしり一つしないで、あいつ、一日中庭のハンモックで寝てるだけなんだよ。それも、本を読みたくなったらサーシャを呼んで持ってこさせたりするんだ」
「それはクソ野郎ね」
アリアは即座に同意した。
この子はきっと手伝っているだろうに。
「お姉さんはいくつなの?」
「まだ十六歳。あいつは二十五歳だって言ってた」
「それは間違いなくクソ野郎だわ」
「アリア、追い出してくれる?」
ダンがアリアを見つめる。初めて得られた同意に心から感動している。期待の目を寄越されては、アリアは断ることなどできない。しかし、他人が勝手に強制的に家庭に踏み込むこともまた、許されることではないだろう。ダンを見る限り、綺麗な服や、さらさらの髪、健康的に日焼けした手足など、緊急性があるようには見えなかった。とりあえず、彼らを知る親族に介入してもらったり、ウルトイルの自治を任されている人に話だけでもまず通さなければ。段階を踏まなければ守れないものもある。逆に言うと、段階さえ踏めばいいのだ。
「そいつ」
アリアが今後の段取りを考えていると、背後にいたルイが呟いた。
ダンがびくっと身体を強ばらせる。
「な、なんだよ」
「そのクソ野郎だけど、いつから居着いてる?」
「え」
ダンは何故か驚いた顔をして、それから宙を見上げた。
「え、えーと。一年前から、かな」
「今もお前の家にいるのか」
「うん。庭で寝てると思う」
「案内してくれ」
アリアもダンも驚きを隠せず、その無表情な顔を見つめた。
理由を説明する気はなさそうだ、と察したアリアは、今まで考えていた正規のルートをすっ飛ばすことに決める。立ち上がり、パンパンとスカートをはたいた。
「よし。行きましょう」
にこっと笑い、ダンに手を伸ばす。
道中ダンから聞いたところによると、その胡散臭いクソ野郎は、一年前にふらりとウルトイルに現れたそうだ。身なりは薄汚れていて、髪は背中まで伸び、前髪は顔が見えないほど伸びていた。昼間はふらふらと歩きまわり、夜は砂浜に座ってそのまま眠っていたりと、いくら気候のいいウルトイルでも無謀な過ごし方をしていたらしい。ダンの姉であるサーシャがその男を気にして、露店で売っている洋菓子の残りを渡してしまってから、つきまとわれるようになったとダンは言う。
しかし、良く聞くとその「つきまとい」とやらも、サーシャと男がよく話すようになったり、一緒に食事をしたりと、微笑ましいコミュニケーションのように感じるが、少なくとも弟であるダンはそうは思えなかったようだ。
ダンが嬉しそうに坂道を先導している。
ウルトイルの居住区でも坂が厳しくて人が少ない区画のようで、さらにダンの家は坂の頂上にあるという。アリアはその道を歩きながら、自分の家も町の外れの丘の上にあることを思い出していた。三日前はそこで暮らしていたはずなのに、随分遠い記憶に感じる。
置き手紙ひとつだけを置いてきた。しかし、誰も過度な心配はしていないだろうと確信できることが、アリアは嬉しかった。
せめて、庭のローズマリーが枯れていないように、と願う。
ダンの一歩後ろを余裕を持って歩くルイは、意外と上手く話を聞き出していた。
「幼い姉弟の家に男が転がり込むことを、まわりの住民が怪しまないものなのか?」
「……それが、よくわかんない流れでうちに居着いてて、じいちゃんもばあちゃんも、近所のおばさんたちも、みんな口をそろえて、よかったね、これで安心だねって言うんだ。なんでだよ。嫌だよ」
小さな肩を怒らせている。
それがただ幼い目のフィルターで見た男の姿であろうと、彼が許容できないのなら、周りはその気持ちを無碍にしてはならない。アリアは見知らぬ男に腹が立った。
いったいどんな顔をしているというのだろう。
十代の少女を誑かし、その弟に嫌われてもなお家でだらだらし続ける厚顔無恥な男は。
「ここだよ」
ダンが足を止めた。二人で暮らすには十分な広さの家は手入れが行き届いている。のどかで、優しい雰囲気があった。郵便ポストや、白い柵や、整えられた芝生も、姉弟が近所の住民からも慈しまれ、見守られていることがわかった。
「あっ。サーシャもう出てる」
ダンは郵便ポストに白いハンカチが結ばれているのに気づくと、慌てた。
「もう行ってるんだ。手伝わなきゃ」
「案内ありがとう。入っていいかしら。その人と話をしたいのだけど」
「うん。そこから入って裏に回って。どーせそこで寝てるから」
ダンは慌ててそう言うと、坂を駆け下りていった。
小さな背中が消えていく。それを見送っていると、ふと視線を感じた。
アリアが姉弟の家を振り返ると、そこに人が立っていた。
こちらを見て笑っている気配がする。




