24 ウルトイル
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない」
アリアは宿を出て隣を歩くルイに言うが、ルイは手紙を投函した後からずっとむすっとしている。
「別に嫌がってねえよ」
「嘘。可愛くないわ」
「可愛くなくていーよ」
ふん、と鼻で笑われる。
そう言いながら、船で渡した細い紐のリボンタイもまだつけてくれているのだから、アリアはルイの頭を乱暴に撫でたくなった。してしまうときっと盛大に嫌がられるのでしない。アリアはうっかり手を出してしまわないように手を後ろで組んだ。朝の空気を胸一杯に吸う。
ウルトイルの朝は早い。シロノイスとミラーへの中継地点なので、様々な船が朝からひっきりなしにやってくる。そのほとんどが、朝食に寄ったり、ウルトイルへの物資を降ろすもので、朝早くから活気で溢れているのだ。島の人々も、昨日の摘発などなかったかのように通常営業している。不思議なことに、ミラーの騎兵隊の気配もきれいさっぱり消えていた。円状に広がっている露店や、その後ろに広がるレストラン街、今歩いている宿屋の区画にも、どこにもいない。
「かくれんぼが上手ねえ」
「ミラーらしいよ」
「あ、あそこだわ。よかった、ちゃんとあって」
アリアは目的のカジュアルなサンドイッチ専門店を指さした。青と白のストライプのさわやかな外壁に、緑色の屋根が目印で、昔はその外観に誘われて吸い込まれた店だった。かわいらしい店に、仲の良さそうな若い夫婦と、幼い娘。確か最後に来たときには定休日で、食べられなかった。
ルイを連れて店に並び、注文カウンターに並ぶと、アリアはいつも頼んでいたものを二つ買い、ルイはルイで吟味したサンドイッチを三つも頼んで受け取った。
二人は紙袋を持って、賑やかな町から離れるようにぶらぶらと歩く。目指すは海辺の砂浜だ。
「しかし、あの店主」
ルイがくすくすと笑う。
アリアも笑い、頷いた。
「お前見てびっくりしてたな」
「最初に会ったのは彼女がまだ四歳頃だったんだけど、覚えてるものなのね」
「今頃適当に納得してるさ」
「あの辺でどう?」
「いいな」
二人で白い砂浜を歩き、転がった大きな流木の上に腰を下ろす。
島の中心は賑やかなので、静かな場所を探すと自然と海辺となった。周りには誰もいない。潮騒は心地が良かった。青く広がる海の裾が、目の前でひらひらとスカートのように揺れている。
アリアはぽいっと靴を脱いだ。
紙袋を膝の上に載せ、きれいに包まれたサンドイッチを取り出す。隣のルイと少しだけ顔を見合わせて、二人とも潮風に髪を靡かせながら朝食を頬張る。
スクランブルエッグにハムとレタスを挟んだシンプルな懐かしい味に、アリアが思い切り顔をほころばせて、おいしい、と小さく言うと、隣で頷いている気配がした。幸福とは確かにこういうものだった、と嬉しくなる。
黙々とサンドイッチを平らげ、一息つく。
アリアは素足で砂を掻いた。
「船だって同室だったじゃない」
「……まだ言うか」
「徹底的に話し合いましょう」
「なんでだよ」
「一緒がいいの」
ぐ、と隣で詰まる声が聞こえる。
「お前は」
「ルイといると安心するし、眠れるし、寂しくないから一緒にいてほしいんだけど、嫌ならいい。ルイの嫌がることを無理矢理したいわけではないの」
アリアは正直に言っているというのに、なんの返事もない。
ちらりと隣を見ると、ものすごい顔でこちらを睨んでくるルイと目があった。
目が据わっている。
「アリア」
「はい」
「お前はどういうつもりだ」
「素直に言っているだけよ?」
きょとんとしたアリアが言うと、ルイは眉間に力を込めた。
「俺はな、お前の母親じゃないんだぞ。寝かし付けならごめんだ」
「お母様みたいだって言ったことをまだ怒ってるの?」
「……一応聞くが」
「どうぞ」
「お前にとっての母親とは」
「可憐で、優しくて、愛情深い人よ。尊敬しているし、とっても大好きな、特別な人」
「……特別、ねえ」
「そう。私にとって特別なのは、お母様とルイだけってことになるわね」
「あー、うん……はい」
ルイが顔を伏せた。両手で顔を覆い「騙されるな」などと不穏なことを呟いている。
つむじが見えて、撫でたくなった。そろりと手を伸ばした瞬間。ルイがバッと顔を上げる。慌てて手を背後に隠す。
「? なんだよ」
「なんでもないわ」
「ふーん。アリア、一つ確認させてくれ」
「なあに」
「お前は母親が大好きで特別だと。大好きなんだよな?」
「もちろん」
「で、俺も同じように特別だと」
「そうよ」
「俺に何か言うことはないか?」
心底真面目な瞳で聞かれたアリアは、思わず首を傾げてしまう。
何か言うことはないか、とはなんとも抽象的だ。
ルイがしばらくアリアの表情を注意深く観察していたが、やがて納得したように疲れた表情で緩く頷いた。
「……わかった、いい。わかった」
「ルイ?」
「これ以上の追求は逆効果だ」
「ねえ」
「いや、むしろここまで進んだ方が驚きだしな」
「ルイったら」
ぶつぶつ呟くルイの肩をとんとんと叩く。
なんだか必死というか無心というか、何か言葉が足らなかったのなら補いたかったのだが、何故かルイはぴたりと動きを止めたかと思うと、アリアをとてつもなく優しく見つめた。
「ん? ああ、どうした」
「そっちこそどうしたのよ」
「調子に乗らないように自分を戒めてたんだよ」
「なにそれ」
「お前は知らなくていいよ」
「ふうん」
「まだ先は長いしな」
アリアは一人納得して腕を組むルイと一緒に頷いた。
「確かに、先は長いわ。じゃあ、決めちゃいましょう。今後宿は一緒の部屋でいい?」
「折れないな」
「折れるのはルイよ?」
「……仕方ない。わかった。ただし」
「ありがとう!」
アリアは何も考えず、勢いのままルイに抱きついた。身長差があるので、昔のようにはいかず、頭を抱え込むようになったが、それも一瞬だった。ルイに引き剥がされ、説教を食らったからだ。




