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23 ウルトイル


「おはよう」


 ノックをしたアリアが声をかけると、ルイは扉を開けたまま少々間抜けな顔でアリアを見上げた。

 アリアはにこっと笑いかける。


「さ、いい朝ね! 朝食だけど」

「いや待て」

「サンドイッチがおいしいお店があって」

「アリア」


 制止される。

 頭を掻いて、ふうとため息を吐いたルイはアリアの手を掴んできた。反射的に離しそうになったが、子供らしからぬ強い力で引き留められる。ついでに、怪訝な顔をされた。


「とにかく入れ。朝食もなにも、まだどこも開いてねえよ」

「……そっか。そうだっけ」

「おー、まだ四時だぞ」

「目覚めが早くて」

「寝てないんだろ」


 アリアは手を引かれ、そのままベッドに座らされた。

 

「一時間でもいいから寝とけ。ほら」


 枕も渡される。

 アリアはそのまま横になった。布団を掛けられ、なぜだかほっとする。ベッドサイドにある小さなデスクの椅子に腰掛けたルイは万年筆を手に取ろうとして、アリアをちらりと見た。


「夢か?」


 聞かれ、アリアは枕に頬を寄せてゆっくりと瞬きをする。


「うん」

「悪夢?」

「ううん。でも、今日は寂しくなる夢ばかりだったわ。お母様がいた頃の事なんてほとんど覚えていないはずなのにね」


 あのあとも、ずっと鮮明な夢を見ていた。

 ルイとの別れの夢を見た後、母との夢を見て、アリアは自分のことを知った。


 まだ屋敷が華やかで、笑顔が絶えなかった頃の夢には、母親を思う暖かい気持ちや、受け入れられる安心感や、全幅の信頼を寄せられることの幸福があった。あれはとても「特別」だった。アリアにとっての「特別」とは愛情だったのだ。


 自分のルイへの感情が、どういう形かはわからずとも「愛情」なのだと思うと、アリアはすんなりと自分が理解できたような気がした。

 会いたかった、と。

 寂しかった、と。

 認めることがとてつもなく恥ずかしかったというのに、夢で見た喪失感をもう味わうことはないと思うと、心底安堵し、その気持ちを自然と認められた。ずっと一緒にいる、と誓った。色々と考え込んでぼうっとしていたら朝になり、そうすると、本当にルイがいるのか確かめずにはいられなくなって慌てて部屋にやってきたのだ。


「……大丈夫か」

「うん。少し考えごとをしていたの。昔の自分に教えてもらったことを考えてた」

「ああ」

「わかる?」

「俺はもう落ち着いてるけど、同じようなことはあったよ。夢で追体験して、自分の愚かさとか若さとか、目を覆いたくなることばっかりだった」

「ルイが?」

「そう。若すぎる執着心が育っていく過程の自分を客観視するとか恐ろしいよな」

「ふうん」

「でたな、適当」

「ふふ」

「まあ、俺も眠れなくなったし、お前の葛藤もわかる。人がいると少しは安心するだろ、寝とけ」


 ルイの言葉があたたかくアリアに沁みていく。

 

「……ルイはお母様みたい」


 アリアはうっとりと目を瞑って言う。かたんと何かを落とした音がして「は?」と唸られた。


「……おかあ、さま……?」


 眠たい。アリアはようやく訪れそうなふつうの睡眠の気配に、肩に入っていた力が抜け、身体がじんわりと暖まっていくのを感じた。自分が眠っていたベッドと同じものなのに、まるで違う。


「ちょっと、おい、待て、アリア?」

「んー……」

「いや、お母様? 俺が? 誰の」

「わたしの、おかあさま」

「は? いや、それはねえわ」


 がたんと音がして、アリアはうとうとしていた目を少しだけ開けた。

 目の前に立ったルイの顔が怒っているようにも見えるが、どんな表情だとしてもアリアには安心を与えてくれるものだった。そこにいるだけで「特別」であり「愛しい」存在だ。そう思うとアリアは微笑んでいた。


「お母様のように、愛おしい」


 本音がぽろりとこぼれる。

 瞼が徐々に重くなるが、何も言わないルイの顔を最後に見たとき、その顔はリンゴのように真っ赤だった。






 さらさらと万年筆が走っている様子をこっそりと眺める。

 体感的にはとてもよく眠って、もう夜かと思ったが、実際は三時間ほどだった。壁掛け時計が七時を指している。部屋は明るいので、間違いなく朝の七時だ。アリアは目が覚めてから、ルイが気づかないのをいいことに、その横顔を盗み見ていた。頬にかかる黒髪を時折耳に掛ける仕草が、胸の奥をくすぐる。そのたびに、笑い出さぬように必死で空気になっていた。


 昔より幼い横顔。

 しかし、目に宿る精神はしっかり大人で、ペンを走らせる一定の速度を見ていれば、書類仕事に邁進していたこともわかる。アリアは、ずっとこんな風に見ていたい、と思う。知らなかったすべてを、もう背負うことのない人生で、どこまでも自由に生きている姿を、一番近くで。

 それはもう、望んでも許されるらしい。

 誰かが許してくれたのだ。

 誰だろう、と思って、ああ、自分だ、とアリアは思った。

 私が私を許せる。

 ルイを愛おしいと思うことを。


「気づいてるぞ」

「……ふふ」

「眠れたか?」


 万年筆を置いたルイが便せんをきれいに畳む。封筒に入れ、封蝋まできっちりと終える様子を、アリアは横になったまま眺める。


「ぐっすり寝たわ」

「まだ寝てていいけど」

「ううん。起きる。手紙出しに行くんでしょう。私も行くわ」

「? 出しに行くけど、待ってていいぞ」

「ねえ、思ったんだけどね」

「おう」

「次から部屋は一緒にしましょう」


 ルイがちらりとアリアを視線だけで見る。

 昨夜の、同室は嫌だ、と言い出したルイからすれば、きっと拒否されるだろう。何も言わずとも、視線がもう「却下」と言っている。アリアはじいっと見つめて返答を待った。


「……なんで」

「ルイがいてくれると眠れるわ。一緒じゃなくちゃ眠れない」

「卑怯だぞ」


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