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22 ウルトイル


 夜が更けていく。

 パブから出て、昔初めて一人で泊まった宿にルイとともに行き、あの頃とは違う店の主人にルームキーを渡された。

しきりに別の部屋にすると言い張るルイを、主人は「一人で平気かい」と恐る恐る聞いていたが、アリアも別の部屋の方が落ち着ける気がして笑顔で押し通した。小さな部屋だが、隣同士なので安心感がある。


 ウルトイルのこの宿にいるなんて、不思議だった。

 初めて旅をした二十歳の頃にはこの宿は女主人がいて、最後の旅になった四十八歳の頃のこの宿には女主人の息子に。今日見かけた主人は、孫だろうか。そうやって、時間は流れているのだ。アリアはベッドに座り、窓に映った自分の顔を見つめる。


 初めての一人旅で見た窓には、希望と懐かしさと、ルイに会えたことの高揚感でいっぱいだった自分が。

 最後の一人旅で見た窓には、愚かな若々しさにさよならをした、諦めを押し込んだ自分が。

 新しい二人旅で見る窓には、若々しい目元が輝き、ほんのり頬を染めている自分がいる。

 

 アリアはまじまじと夜の闇に浮かぶ自分の顔を見た。

 こんな表情には見覚えがないので、まるで別人のような気もする。

 ルイは邪魔をしてきたと言っていたが、結婚とは無縁な人生だった。

叔父の持ってきた縁談も、ルイの言うように、一度でも会ってみたいとは思わなかった。どこの家柄で、いくつで、どんな青年かすらも気にならなかった。子爵家にいたままだったら、きっと政略的な結婚も疑問も持たずに受け入れただろうと思う。けれど、それは父親の再婚もなく、ルイと会うこともない世界線での話だ。その世界線で、政略結婚の相手と仲睦まじく暮らすのだろうか、と考え、アリアは首を傾げた。

 全く思い浮かばない。

 そもそも恋などというものも未経験のまま六十五歳までやってきた。誰にも、興味が持てなかった。

 

「会ってしまったから」


 ぽつりと呟く。

 あの日、不審者としてでも見つけてくれたから、会えたのだ。


 







→ → →【15】




 華やかな気配をすり抜けて歩く。

 いつもよりも、皆の制服が輝いている気がして、アリアは眩しくて俯いた。

 あちらこちらで祝いの花の芳香が漂っている。

 彼らは今日、学園から去っていく。今まで感じたことのない寂しさを抱えながら、いつもと違う賑やかな廊下を進む。今日は挨拶をしなくても誰も咎めないばかりか、アリアが廊下をふらふらと歩いていることすら気づいていないだろう。式典を終えた皆が顔を輝かせ、お互いのこれからを励ましあい、親同士は和気藹々と貴族特有の会話に花を咲かせている。どんな話も雑音にしか聞こえない。


 図書室へ近づく頃には、周囲には誰もいなくなっていた。

 自主学習スペースの一番奥の窓から出て、裏手に回り、行き当たりの植木をかき分ける。開けた場所には大木が一つ。


 誰もいなかった。


 アリアはその場でへなへなと座り込んだ。

 かき分けていた植木が戻り、ばさりと視界を遮ってしまう。

 いつも必ず先にいて、そうして名前を呼んでいてくれていたのに。


「アリア?」


 頭上から呼ばれ、アリアは思い切り顔を上げた。


「ルイ……」


 しゃがみ込んでいたアリアを上からのぞくように見ていたルイは、ヘーゼルの瞳でアリアの顔をじっと見る。黒髪がさらりとアリアの額をくすぐり、思わず肩を跳ね上げると、ようやくその美しい切れ長の目も柔らかくなった。


「なにしてんだ、こんなところで」


 優しい声が問いかけてくれる。

 何も答えられないアリアの頭に、白い手袋をしたルイの手が置かれ、そのままぽんぽんと撫でられた。装飾のじゃらじゃら付いた上着の胸元に飾られた花がアリアの目に入る。

 気づけば手を伸ばしていた。

 ルイはにこっと笑い、その手を取って背中を支えながら立ち上がらせてくれた。


 アリアは、ルイの顔を見上げる。

 物憂げで無表情と言われるが、どう見ても慈愛に満ちた、繊細でただただ美しい笑みをする人だ。こんなに輝いている人に、きっとこの先出会えることはないだろう。アリアの中に、そんな寂しい確証が芽生える。


「どうした」

「……なんでもない」

「じゃ、行くぞ」


 ルイが握ったままの手を引く。

 大きな手で一気に植え込みをかき分け、アリアを先に通してくれた。


「時間はあるの?」

「いいや。残念ながら」


 きっと、ここに来るのさえ簡単なことではなかったはずだ。

 手を引かれ、大木の下までついて行きながら、アリアは思う。

 それでも最後に会えて良かった。昨日までは、今日のことすら口に出さなかった。


「悪い。座って話す時間はなくてな」

「わかってる」


 ルイは大木の前で止まると、アリアと向き合った。

 右手を上着の内ポケットに入れると、左手で握ったままのアリアの手を開かせた。

 そこに、銀の糸が落ちてくる。赤い石榴のような小さな石がついたネックレスだ。


「……これ」

「感謝を込めて贈らせてほしい」

「私、何もしていないわ」

「そうか?」


 くすくすと笑われる。


「俺はこの半年で、色々と受け取ったんだけど?」

「それは、私もそうよ。とても楽しくて、安らげた」

「ならよかった」

「……受け取るけど、本当にいいの?」

「ん」


 アリアは握られていた手の指先に、そっと力を込めた。

 心の真ん中から、ふっと風が吹いたような気がする。内側からアリアを抱きしめている暖かな感覚だった。


「大丈夫そうだな」

「……え?」

「いや、こっちの話。よし、つけてやるよ」

「自分でできるわ」

「はいはい、いいから」


 アリアの手から早速回収されたペンダントが目の前で揺らされる。渋々髪を片方に寄せると、首が一瞬、ひやりとした。ルイの手袋の感触がくすぐったい。


「アリア」


 顔を上げる。頭をまた撫でられる。


「ありがとうな」

「……元気で」

「そっちも」


 頭にあった手が頬に下りてきて、ふにふにと撫でられる。

 ルイは黙ったまま、少しの間アリアの頬を撫でていた。どこか遠くを見る眼差しをアリアは目に焼き付ける。ふと、ルイの目がきゅっと細められた。かと思うと、大きなため息を吐く。


「……はあーーーっ」

「な、なに?」

「お前はさあ、じっとこっち見たらダメだろう」

「ダメなの?」

「……色々と気をつけろよ」

「ルイこそ。身体に気をつけて。いつでも噂は聞けるだろうから、楽しみにしてる」


 王家の人間が病など無縁なことはアリアとて知っている。

 それでも、言わずにはいられなかった。これからはお喋りはできないが、ルイの名声はいつどこにいても聞こえてくるだろうから、寂しくはない、と言い聞かせる。

 ルイは「そういうことじゃないんだけど、まあいいよ」と呟くと、自然な動きで優しくアリアを包み込んだ。友人同士の、軽いハグだった。


「またいつか」

「……うん」

「いつか、旅に出ような」

「うん」


 アリアも、ぽんぽんとルイの背中を叩く。

 初めて触れた背中は、意外とがっしりとしていて、繊細に見える表情とはまた違う面があることを知った。ふと、その存在ごと愛おしく思った。信頼や、安心のようなもの。

 それを噛みしめていると、大きな鐘の音がやんわりと二人を離した。

 時間だ。


 アリアは思った。

 もう、この裏庭に来ることはないだろう。

 一人寂しくここで座っていることなど、もうできはしない。

 


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