20 ウルトイル
十五歳よりも幼く見える少年が、船長と会えて経緯を聞けるのは不思議だ。
アリアの反応を見たルイは、運ばれてきたアップルパイにフォークを突き立てた。
「無罪放免になる帳簿係に土産を持たせて、それが船長の家族の手に必ず渡るようにすると言ったら、わりとすぐに吐いたぞ」
さくっと軽快な音が、満足したはずの満腹中枢を刺激する。アリアもつやつやと輝くそれを見つめ、フォークを取る。
「あら、毒を飲ませていて密貿易を手伝っていたあの男は無罪放免になるの?」
「なるよ。交換条件に出したからな。ついでに、船長も拘束されるだろうが捕まることはない。有りもしない事件では誰も捕まえられないだろう?」
「ああ」
そういうこと、とアリアは呟いた。
今回もきっと、なかったことにされるのだろう。
「そういえば、ルイがこうしていることは誰も知らないの?」
「一人だけ」
ルイがアップルパイを頬張る。
アリアは驚かず、アップルパイをさくりとフォークで切った。
「なるほど、一人」
「キースだけが知ってる。俺は、あいつの母方の従兄弟の娘の旦那の従兄弟の息子で、キースに世話になっているって事にしておいたから、身分確認は一番身分の高くて外交にも長けているキースに行くだろう。そうすれば、適当に誤魔化してくれるさ。キースの名前を出した時点で、俺たちのことには触れてこなくなったくらいには、あいつの名前も向こうで使えるぞ」
「お元気なの?」
甘酸っぱいリンゴのコンポートと、とろりとしたカスタードが何ともおいしい。
アリアの知っているキースとは、学園内でも連れて歩いていたルイの従者だ。ルイより少し背が高く、穏やかな顔の青年だったと記憶している。一度だけ、裏庭にいく途中にばったり遭遇し、話したことがある。物腰が穏やかで「いつもありがとうございます」と嫌みではなく、本気で言われたものだから「なんのことかは知りませんが、こちらこそいつもありがとうございます」と頭を下げると、朗らかに笑われた覚えがある。
ルイと同い年だったので、今彼は六十七歳になっているはずだ。
元気だろうか。
「元気だろうよ」
懐かしそうに笑うものだから、アリアはほっとした。
同時に、もう一つ疑問が湧いてくる。
「じゃあ、どうして船長に口止めする必要があったの。彼が私たちの身分を保障してくれて、これ以上妙に詮索されないのならいいじゃない」
「それだけど」
ルイは美しい所作でアップルパイを口に運んだ。
さくさくと音がする。アリアは紅茶を一口飲んで待つ。
「船長を見てみたら、どう見てもセコい密貿易を考えつく頭をしていなさそうな顔でな」
「若かったの?」
「前の船長の一番下の息子らしい。船員に慕われてはいるから、人柄採用だったんだろ」
「人柄は大事ね。でも密貿易するのは人柄がいいとは言えない気がするわ」
「良すぎたみたいだぞ」
「一年も下船を許さなかったのに?」
「金が必要だったんだと。家をまとめていたじいさんが病に倒れて、その薬代が高くついていたらしい。さらに、密貿易に付き合わせて悪いからって乗船員の給金を二割増しにもしていたらしい。あの帳簿係の男以外は、むしろもっとウルトイルに降ろすべきだって言っていたのを抑えてもいたっていうんだからな。そんな男が自分からあんな方法を思いつくか?」
「それは、思いつかないでしょうね。そもそもおじいさまの為って言っているんだから、そのおじいさまから預かった船の評判を落とすことは本来したくないんじゃないの? って、もしかして」
アリアはアップルパイを刺したフォークをぴたりと止める。
「誰かが入れ知恵をしたのね」
「だろーなー」
ルイは天井を鬱陶しそうに睨みあげる。
「船長曰く、シロノイスから乗った男が、昔こうして小遣い稼ぎをしていた、と話してたらしいぜ。その場にいた者たちでやってみたら、あの帳簿係の男が誰よりもうまく指の間に隠せたのでいけると思ってしまった、とさ。計画的と言うよりは、きっかけがあって悪い方向に転がった感じだな」
「シロノイスから乗った男」
「お前のところで怪しい従業員はいなかったか?」
「いたとして、庇わなくていいのよ」
アリアはきっぱりと言った。
「でも、オード家からの流通経路ではないと思う。毎回第三者を連れて行って、家、港、船、港で必ず数を数えていたもの」
「げっ。あんな細かい水晶を?」
「そう。五個ずつ小袋に入れて一目でわかるようにして、その小袋をひたすら数えるの」
「オード家が代々最上ランクのアーキラクオーツを扱える理由だな」
流通権を持つ家がどのランクを扱っているかは、パワーバランスの為、王家にも知られていないはずだ、と言い掛けて口を噤む。
「お前のところじゃないなら気にしなくていいな……ただシロノイスからの男って言うのが気持ち悪い。そいつはウルトイルで降りて、仲介屋を紹介して消えたらしい」
「胡散臭い男ね」
「イアンもゼノも、仲介屋を探して潰すくらいで今回は手を打って終わりだろうな」
アリアはアップルパイを完食し、紅茶のカップを持つ。
ルイはそこで言葉を切ったので、もう話せることはないのだろう。
キースを信頼し任せるのかもしれないし、甥がこれを機会にうまく立ち回ることを願っているのかもしれない。そもそも、自由への旅なのだから、帳簿係の男を交渉で助けたり、余計なことを話して火の粉があちこちにかからぬように船長を黙らせたり、証拠だってしっかり渡さなくたってよかったのに。
アリアは誇らしい気持ちになった。
ルイはずっと、ルイなのだ。




