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1 船


 → → →【48】


 バーは盛り上がっていた。

 夕暮れ時に、宿屋の女主人に一人でも行けるバーを聞いてやって来ていたアリアは、その若い熱気を眩しそうに見ていた。

 ブロンドだった髪は、もう色褪せてきている。一つに結っているが、髪のボリュームも落ちてきた。

 テーブル席で騒ぐ若者を、ワインをちびちび飲みながら横目で愛おしそうに見ているアリアを誰も気にはとめない。アリアが一人旅を始めたのは二十代に入った頃で、その頃は男装をすることで回避していたし、四十代に入れば年をとってきたおかげで誰にも気にされなくなってきた。おかげでここ数年は楽な旅ができていたが、今日は限界を感じている。


 一年ぶりの旅だが、去年と違って長距離を歩くことができない。

 半年前に足首を骨折してしまい、完治祝いの旅のはずだったが、祝いどころか最後の旅になりそうだ。

 アリアは十分だった、と思う。

終の住処も見つかったばかりだし、ちょうどよかったのかもしれない。

 若い人々が、その人生を楽しんでいるのを見ているとそう思えた。

 四十八歳の自分には、四十八歳なりの人生の楽しみがあるはずだ。旅が心地のいい場所になれなくなったのなら、次の場所に行けばいい。

そうやって生きてきた。旅ができないのは、本当に残念だけど。

 なぜならーー


「隣、いいですか?」


 きた。


 アリアはワイングラスに落としていた視線を、そのままにしたまま、ゆらりと揺らす。


「……どうぞ」

「失礼」


 カウンターは空いている。

 アリアは口元を少しだけ綻ばせ、隣に座って同じワインを頼んだ男に話しかけた。


「お仕事かしら?」

「ええ、まあ、そんなところです」


 昔よりももっと深くなった声が隣から返ってくる。会っているのは声だけで、お互い顔は見ない。何故か、不思議とそんなルールができていた。二人とも知らないふりで、横に座ったもの同士が、やはり「相手の素性を探らず、自分の素性を語らない」話をする。


 アリアが一人旅を始めてから二十数年。決まって、一年目の時からこうして会いに来る。どうして知っているのか、どうしてタイミング良く現れるのか、今も分からない。

 わからないが、これが最後だ。


 「そちらは?」


 いつもの質問をされ、アリアはいつもと違う答えを言う。


「ただの最後の一人旅よ」


 隣の男が揺らしていたグラスを止めた。

 ワインだけがゆるりと回転する。


「なぜ」


 知らないふりはどうしたのか、踏み込んだ話し方に、アリアは思わず苦笑する。

 こうして会うことに最初こそかなり驚いたし、二回目三回目になったときは、もしかしてストーカーでもしているのかしら、と烏滸がましい勘違いをしそうになったが、ただ単に、彼はこういう会話を楽しんでいるのだと十回目、つまり十年目で悟った。アリアもそうだったからだ。十五の時に得た半年の掛け替えのない時間を、ただ追いかけているだけなのだ。

 そして、今日で終わりなだけ。


「足を悪くして。まだまだ元気なつもりだったけど、今日が引き際だと悟ったのよ」

「それは」

 

 残念だ、と小さな声で続ける。

 アリアはその顔を見たくなったが、ワインを一口飲むことでなんとか抑えた。

 隣を見ても、深くかぶった帽子で表情も見えないだろう、と言い聞かせる。顔を見ても分からないかもしれない。十七だった彼と、今の五十の彼は同じ顔をしているのだろうか。

最後ならば、顔を見てもいいのではないか、と一瞬思ったが、アリアは席を立った。

 左足が鈍く。

 もう二度と会えないだろう。

 彼が多忙なのは知っている。一年に一回でもこうして会えていたことが、奇妙で尊い奇跡だったのだ。

 

「私もとても残念よ。あなたも元気でね」


 アリアはそれだけ言い残してバーを去った。

 宿屋に戻ると、自分の若々しい愚かさに区切りをつけた。

 彼の休暇に合わせて旅に出ていた愚かな自分が窓に映っているが、それも今日でさようならだ。

 アリアは静かにカーテンを閉め、眠りについた。


 ←




 目が覚め、アリアは自分が揺れていることに気づくと勢いよく飛び起きた。

 身体と言うよりも、部屋自体が横に上にとゆらーんゆらーんと揺れている。

宿屋にいたはずなのに、とアリアが呆けていると、突然ドアが開いた。


「起きたか」


 黒いジャケットにハーフパンツという姿の幼いルイを見て、ようやく寝ぼけたアリアの頭が覚醒する。


 そう言えば、昨日死んだと思ったら若返っていたのだ。


 なぜかそのまま荷造りをし、勢いに任せて戴冠式の騒ぎに乗じて王都を出た。夕方には港にあった一番大きな船に旅客として乗り込み、さあ旅に出るぞ、とウキウキしながら眠ったことをようやく思い出す。


「船ね。うん、そうだった」

「夢でも見てたか」

「そう。四十八歳の時の夢」

「ああ、最後に会ったときの?」

 

 ルイが小さく笑う。

 幼い横顔には不似合いな、達観した笑みだ。

 隣のベッドに腰掛け、アリアの様子を伺うように見る。


「お前、身体は平気か」

「平気よ。ちょっと混乱したけど。昨日までは六十五歳で、夢の中では四十八歳で、今は十七歳。あってるでしょう」

「あってる」

「もう寝起きがよくてびっくりだわ。すぐに起きあがれるのよ?」

「わかる」


 苦笑しながら頷かれる。

 アリアは手櫛で髪を整えながら、腰まで伸びたブロンドの髪を愛おしそうに見つめながら言った。


「ルイ。私別に怒ってないわ」

「……怒られてもよかったけど。最後に会ってからもう十三年だぞ」

「そんなになるの?」

「俺には長かった」


 ルイの目が床へ、そしてその下にあるであろう海の底を見つめるように遠くなる。


「ここ二年はお前が死ぬのを待っているようで、罪悪感で死ねそうだった」





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