14 船
涼しい顔をして「潰す」と言ったルイは、アリアを見つめながら続ける。
「それでも、お前がそれを望んだのなら少しくらい我慢したんじゃないかとは思うよ」
「どうして」
「どうしてそこまでするのか? 絶対言うかよ。お前が自分で気づくまでは俺からは言わない。もう五十年待ったし、あと五十年待つくらい何ともないからな。これから先の五十年は俺と一緒にいてくれるんだろう?」
「一緒にいるわ」
アリアは即答した。
これからの五十年。その言葉に、頭のどこかが痺れた。
これからは、一緒にいる。それは自然に受け入れられる言葉だった。死の瀬戸際に立った時、人生を終える覚悟をした。満足もしていた。あの時、自分は確かに死んだのだ。
あの時の、六十五年生きた自分の人生はあの瞬間終わった。
これから先は、また違う新しい自分の人生なのだ。何にも縛られずに選べる人生ならば、ルイと共に旅に出る人生でありたいと思う。ずっと、この先、身分も何もない同士で適当な旅を。
「一緒に、ね」
ルイが笑う。
面白がるようにアリアを見て言った。
「……病めるときも健やかなるときも、一緒にか?」
「一緒に旅をしてたら、風邪をひくことだってあるから、まあそうね。ルイは風邪には無縁よね? 私ばかりが看病してもらうことになりそうだけど」
「それはいいよ、別に。じゃあ、喜びのときも、悲しみのときも?」
「旅には喜びも悲しみもつきものよ」
「富めるときも貧しいときも?」
「私たちの貯蓄はしっかり守れば大丈夫」
「敬ったり、慰めたり、助けたり、真心を尽くしてくれんの?」
「ねえ、それ何かの旅の誓いとかなの?」
アリアはようやく気づいて聞くと、ルイは悪戯っぽく笑った。子供にしては色っぽい。
「ま、そんな感じ。お互いを信頼して一緒に過ごすための誓いの言葉、だな」
「ふうん」
アリアはようやく起きあがると、ルイと同じように枕を抱きかかえた。ベッドに腰掛けて座り、ルイと向き合う。
「誓うわ。一緒にいたいもの」
ルイがきゅっと目を細める。
「わかった」
「待って、ルイは?」
立ち上がって枕をベッドに置いたルイに、慌てて聞き返す。
やや不思議そうな顔で、ルイはアリアを見下ろしてきた。
「お前は俺に誓って欲しいの?」
言われて、何を言ってるの、とアリアは眉を顰めた。
「当たり前でしょう。ルイは特別だもの」
「うん。わかったわかった、誓うよ」
「ちょっと、軽くない?」
「いやいや……手を出さないだけ本気で感謝して欲しい」
「? 何? 聞こえない」
「いやもう無理、外の空気吸わせて」
ルイ、と呼び止めたアリアをよろよろと振り切って、何故か疲れ切ったルイは船室を出ていった。
「なんだったのかしら」
アリアは枕を抱いたまま、ぽすんと横に倒れる。
気を抜けば、また眠ってしまいそうだ。と、思った次の瞬間には再び眠っていた。
→ → →【20】
本当に行くのかと何度も聞かれ、アリアは本当に行くわと何度も答えた。
叔父が船旅を去年引退した。従兄弟である後任がしっかりと育ったからだそうだが、だとしたら一人で旅に出る、と言うと、見たこともないほど驚いた顔で、本気かと聞かれ続けたのだ。
では息子と一緒に、とも言われたが、従兄弟といえど、家族を持った者と二人旅などいらぬ誤解を生むから嫌だ、と言うと、男装を提案された。
面倒くさくなくなるぞ、という言葉に納得したアリアが男装をした上でマントを羽織り、初めて一人で降り立った場所が、ウルトイルだった。
シロノイスから一番近い島で、船で一日で着く。小さな港に降りたつと、途端ににぎやかな町に迎え入れられる。王族のいない小さな島で、主にシロノイスへの中継地点として賑わっている町だ。各国の土産物も、料理も、中心から雑多に広がっていて、島民はその外側に居住区を構えているので、島は気兼ねない観光名所としても有名だった。
十六の頃から叔父について回っていた教育の賜で、アリアはすぐさまと清潔そうな宿を見つけて予約を取り、観光客として馴染みながら島を堪能した。一週間の滞在の中で、あちこちの店を見て回り、島の山に登ってみたり、海辺でぼうっと本を読んだりもした。叔父からもらった薄汚れたマントを着たままだったので、誰にも声は掛けられず、気にもされない。快適な旅に、アリアはフードの中でいつも笑顔だった。
最終日の夜、宿屋の主人に勧められ、少しだけ賑やかなパブに寄ることにした。
小さな二人掛けのテーブル席に座って、色合い豊かなサラダを食べていると、ことん、と目の前にビール瓶が置かれた。顔をあげた瞬間、アリアは驚きのあまりフォークを落としてしまった。
「……!」
「相席いいですか?」
アリアの驚きなど気にもせず、同じように質素なマントに身を包んだ、目元だけがうっすら見える男はアリアの前の席に座った。
「旅でもしているんですか?」
男が聞く。
アリアは反応できなかった。男がビール瓶をゆらゆらと揺らす。
顔は見えないが、その声で誰かなどわかってしまう。
五年ぶりの再会だった。
「……どうして」
「理由などありませんよ。お互いただの旅人でしょう」
ルイがそんなことを言う。
アリアは泣き出しそうだった。
すぐに俯く。目頭にじわりと熱が集まってくる。色々と張りつめていたものが、突然ゆるんでしまったのだと自分を必死に奮い立たせた。この五年、どんなに自由になったとしても、船に乗って遠くへ行っても、裏庭にいたときのような、何もかもから解き放たれるような特別な時間は味わえなかった。失ってから、どれだけ特別な時間だったのかを日々痛感し、この一人旅でもどうにかその穴を埋めようとしていたところだった。
どれを見ても、山に登った景色を見ても、海辺で波音を聞いても、ルイはいつかこの景色をみられるかしら、と考えてしまった。
会いたかった。
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