ゲーテとSunday
「不機嫌は最大の罪である。」
とゲーテは言ったらしい。
だとしたら僕は大罪人だろう。
常に機嫌が良くない。
機嫌が良くないと人も寄り付かない。
まぁ寄り付かないように不機嫌にしているところもなくはないが・・。
あまりにも機嫌が悪いのが日常になりすぎて、機嫌が良くなる方法を忘れてしまった。
日曜日の午後、ワンルームの部屋は真夏の太陽が高く上がっている。風が無いせいで熱を帯びた空気が全開にした2階のベランダから室内に流れ込んでくる。
恭一はダルそうにベッドの脇に腰を下ろしてベランダに目線を向けた。
外は商店街付近という立地と日曜日が重なって小さな喧騒が下から上がってくる。
なぜこうも人は行動したがるのか?なぜ人は群れたかがるのか?なぜ人は話したがるのか?
恭一には理解ができなかった。
一人で過ごすことに慣れてしまうと休日に必要以上に外出はしなくなった。これといった趣味もなければ、好きなこともない、習慣にしているものもない、ただ日常を淡々と過ごしている。
人間は生活する上で様々な作業をしなければならない、食べなければ死んでしまうし、身体は洗わなければ臭くなる、部屋は何もなくても埃が溜まっていくし、着たものは何日も経てば異臭を放つ。
大した食欲もないが、冷蔵庫に余った卵を茹でて、塩をつけて食べる。棚においてある余ったバナナを口に入れる。
昔はバナナは風邪をひいた時しか食べられなかったと父親が言っていたののを思い出す。今ではフルーツの安売りの代名詞のようなバナナが、だ。
恭一は思った。昔の方が便利ではなかったのだろうけれど、その分色々なことに感動できたのではないかと、感情豊かに生活ができたのではないかと、今の世の中はとても便利だ、少し歩けばスーパーやコンビニがあり、贅沢さえ言わなければ大概の食料は手に入る。作りたいものがあれば大概のものはインターネットで作り方を調べることができる。
やろうと思えば大概のことは叶うのだ。
ではなぜこうも世の中の人たちは幸せであるとは思わないのか?
それはきっと人と比べてしまうからではないだろうか。インターネットが普及し調べようと思えばいくらでも知りたいことを知ることができる、お金持ちのユーチューバー。リア充のティックトック。新商品のテレビCM。それは一見幸せそうに、便利そうに見えるけれども、知ることで比べてしまい、知ることで劣等感を感じでいるのではないだろうか。知りすぎて疲れているのではないだろうか。
昔は知る術がなかったから他人と比べることもなかったし、その日その日に起こったことを新鮮に受け止めることができたのではないだろうか?
今の天気予報の精度は素晴らしいものだ、大概の天気予報は当たる。午後が雨なら傘を持っていけばいいし。降らないなら傘はいらない。でも昔はそんなことわからなかったんだと思う。だったらどうだろうか、朝起きて晴れていただけで、雨が降っていただけで自分の感情に何かしらの刺激を与えてくれていたのではなかろうか。それはとても新鮮なものだったのではないだろうか。天気予報があれば傘を用意することができて雨に濡れることはない。でも天気予報がなくて雨が降り自分が傘を持っていて、気になるあの子が傘を持っていなければ、それだけで素敵な出会いがあるのではないだろうか。
恭一は自分の妄想に顔が緩んでいるのに気がついた。
ゲーテよ。お前が生きていた頃はもっと世の中が輝いて見えていたのだろうね。
今日は外に出る用事はないが恭一は外に出る準備をすることにした。
ベランダからの風は少し向きを変えて肌を優しく撫でた。




