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川崎日本語学校不思議事件録  作者: 落穂拾い
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5. 川崎日本語学校、経営体制混乱の収束 後半

 神奈川県の川崎市にある川崎日本語学校に関わる人たちに降りかかる出来事や事件の記録です(日本語学校の学校名や登場人物、設定はフィクションです)。

 年が明けて、旧正月前後、川崎日本語学校の校長である福井は中国、ベトナム、ネパール、スリランカを訪問し、7月の留学生の募集、受け入れ準備を行った。


 中国へは留学会社へのあいさつと4月の留学生受け入れを確実に行うための確認、今後の顔つなぎのためだけに来訪した。あいさつのために行ったようなもので、福井は留学生の紹介を期待していなかったが、会社でのミーティングの後に行われた食事会の席で、先方の社長と担当者は7月、10月も少人数ながら留学希望者がいるということを伝えてきた。7月に留学を希望する数人の留学希望者とカジュアルな面談、日本語で少々雑談することができたのは思わぬ収穫だった。


 ベトナムは比較的順調だった。今回も前回お世話になった通訳者兼コーディネーターにお世話になった。


 ネパールは留学会社の新規開拓を行ったが、期待したような留学会社を見つけることができなかった。

 前回お世話になった旅行ガイドは都合がつかず、自力開拓になってしまったことが良い留学会社を見つけられなかった一因かもしれないと思わされた。福井はネパールの民族の言語はおろか共通語のネパール語もろくにできず、アポイントを取るのにも苦労させられた。

 結局のところ、前回お世話になった信用が置けそうな留学会社に現地で連絡を入れ、面談の後、数人の留学希望者を受け入れを決める。


 スリランカの留学会社は、福井がよく情報交換している大手日本語学校の雇われ校長である長野智子から紹介を受けた。長野の紹介のおかげか先方の留学会社の対応は良く、留学会社の社長の人柄も悪くはなさそうに思われたので、簡単な日本語の質問に答えられる留学希望者を中心に留学会社の社長の通訳を介して面談し、思い切って10人弱の留学希望者の申請を受けることにした。


 ベトナム、ネパール、スリランカはタイを経由した。

 我ながらずいぶんと不義理なものだと思ったものの、今後の見込みがあまりないのに、あいさつに行くのも変だから、と福井は言い訳めいたことを考え、行きも帰りもタイのバンコクを経由したのだが、タイの留学会社には立ち寄らないどころか連絡も入れなかった。


 福井が日本に帰国した数日後、学校の教師、職員ほぼ総出で7月の留学希望者の受け入れ準備が開始された。



 簡単に日本の日本語学校が外国人の私費留学生を受け入れる流れを説明する。

 前述の通り、日本の日本語学校は、文部科学省(旧文部省)の管轄ではなく、法務省の管轄下にある。日本で留学生を受け入れている日本語学校は、法務省の認可や学校の形態などにより、1年のうち4月、7月、10月、翌年1月の年4回、または、4月、10月の年2回留学生を受け入れることができる。

 申請を行う前、日本語学校の募集担当者は留学希望者のいる国や地域に渡航し、多くの場合、留学会社を訪問し留学希望者に学校説明を行う。留学希望者に試験や面接を行い、その結果をふまえて自校に受け入れるかどうか判断する。

 受け入れ先の日本語学校が決まった留学希望者は手続きを行う留学会社や日本語学校のアドバイスや指示に従い、申請書類を準備、日本語学校に送付、定められた期日の前に日本語学校に提出する

 日本語学校は、留学希望者や留学会社が提出した書類をチェックし、不足している書類や不備がある書類があった場合は留学希望者や留学会社にその旨を説明し、必要な書類を用意してもらい提出してもらう。学校側でも準備が必要な書類がある場合は学校側が書類を用意する。必要な書類が全部整い次第、外国にいる留学希望者や留学会社に代わって、日本語学校の所在地の管轄入管に書類を提出する、ということになっている。


 法務省の入国管理局(略称は「入管」、後年「出入国管理庁」となる)は、留学希望者の入国の数か月前、定められた期日までに日本語学校を通して留学希望者の書類を受け取り、留学希望者の申請書類審査を行う。

 入管は書類審査を行い、留学する時期の1、2か月前のあらかじめ通知した期日に留学希望者の受け入れの可否を日本語学校に通知する。日本語学校は留学希望者が留学手続きを行った現地の留学会社、または、留学希望者当人か家族、に受け入れの可否を通知することになっている。

 前にも述べたように、留学希望者の受け入れの可否に関して、留学希望者が受け入れを許可された場合を「交付」、受け入れを許可されなかった場合を「不交付」という。



 2月の下旬、4月の留学希望者の受け入れ可否の通知が行われる日となった。

 校長の福井は教務主任の弓野とともに、横浜入管に出向き、4月の留学希望者の受け入れ可否の通知を受けた。


 川崎日本語学校は65人の申請を出していて、60人が交付、5人が不交付であった。

 交付されたのは、中国人9人、ベトナム人32人、ネパール人10人、その一方、不交付だったのはベトナム人3人、ネパール人2人だった。


 当日、職員全員総出で交付不交付の結果と在留資格認定書をスキャンし、留学会社に送付、学費や諸経費の振り込みの案内、連絡確認作業も合わせて行う。


 ネパールの留学会社からは特に何も言われなかったが、ベトナムの留学会社からは不交付に関して、後日不交付の理由を知らせてもらいということ、不交付になっても留学を望んでいる3人のために不交付の理由を解決して日本に留学できるように最善を尽くしてもらいたい、というリクエストを突き付けられた。


 数日後、3月初旬、卒業式が行われた。

 卒業を予定していたほぼ全員の留学生が参加し、卒業式は滞りなく行われた。

 学習意欲を感じさせなかった中国人留学生も、不良っぽいベトナム人留学生までもが、一生懸命準備したらしき感謝の言葉を述べて、教師、職員一同を驚かせた。

 留学生の日頃とは異なる殊勝な態度や言動に、思わず、ホロッと涙を流した日本語教師もいた。

 不良まがいのベトナム人留学生と無気力中国人留学生も含めて、福井が校長に着任した前後は荒れていた留学生集団を何とか卒業させることができ、卒業式の後で行われた簡素なミニパーティーも終了し、学校に戻ってきた福井は大きな安堵を覚えていた。


 福井が安堵を覚えていたことを察知してか、近くにいた弓野がやや遠慮がちに、

「あの、福井校長、これからのことを考えますに、もう1人か2人は日本語教師が必要になるかもしれませんよね。

 再度例の日本語教師募集のウェブサイトに求人を出したらいかがでしょうか」

と言う。

 福井は

「そうですね、それはいい考えですね。

 で、求人の条件は前と同じにしましょうか、それとも、少し待遇を良くしたほうがいいでしょうかね」

と聞く。


 教員募集の打ち合わせを簡単に済ませ、福井と弓野は、学校に残っていた日本語教師と学校職員にも声をかけて、明日以降にすべきことを手早く確認した後、その日の業務を終えることにした。


 首都圏にもうあと2、3週間でサクラが咲き春を迎える時期となり、川崎日本語学校はトラブル続出の混乱状態から脱し、ようやく先々の見通しが立てられそうなステージにまで到達することができたのである。

 お読みいただき、ありがとうございます。

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