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川崎日本語学校不思議事件録  作者: 落穂拾い
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1. 川崎日本語学校

 神奈川県の川崎市にある川崎日本語学校の面々に降りかかった不思議な事件の記録です(日本語学校の学校名や登場人物、設定はフィクションです)。

 この作品は「カクヨム」にも掲載する予定です。

 神奈川県川崎市川崎区にある川崎日本語学校は、設立199×年、学校所有者田中純の所有する日本語学校3校の1校であり、中国人留学生が過半、他、韓国人留学生と台湾人留学生、主に3か国(3地域)の留学生を受け入れてきた。

 2011年の東日本大震災直後、震災と震災で発生した福島県の原子力発電所事故の影響を大きく受け、中国、韓国、台湾3か国ともに留学生の募集が不振を極めた。急遽、中国はこれまで募集を行っていなかった内モンゴルと福建省からも留学生をリクルート、新たにベトナムとネパール、スリランカなどから留学生をかき集めるように募集した。

 田中が所有する東京都区内の学校2校に平均レベル以上の留学生が極端に偏ってしまい、川崎の学校に平均レベル以下の留学生が集中してしまった。レベルが低い寄せ集め留学生のたまり場になってしまった川崎の学校、現場は大きく混乱した。

 1年にも満たない間、アルバイトで疲れ切っていて授業中は寝ているだけの留学生が続出、複数の不良ベトナム人留学生が引き起こした万引き事件や複数の無気力中国人留学生の不登校問題への対応にも追われた。混乱のあおりと学生対応の大変さに心折られたきまじめな常勤の日本語教師1人と非常勤の日本語教師1人、事務担当のベテラン学校職員が2人、4人も辞めてしまった。

 さらに悪いことが続いた。震災の翌年、ベトナムのある日本留学会社の申請書類を、ベテラン学校職員不在の状況でほぼノーチェックで申請書類として提出したため、神奈川県の横浜入管から数十人のベトナム人留学希望者の受け入れ不可という結果を通知された。

 今さらながら、東京都区内の田中の学校に長年勤務しているベテラン職員が川崎まで出向き、川崎の学校が提出した書類のコピーを綿密にチェックしたところ、当該のベトナム留学会社の書類にほぼ共通する不審な点が複数箇所見つかった。結論として、偽造が疑われてもしかたがない書類だと判断されたのだが、その判断は遅きに失した。


 日本の日本語学校は、文部科学省(旧文部省)の管轄ではなく、法務省の管轄下にある。

 学校法人という形態の日本語学校もあるが、民間の法人、個人が設立した学校もある。

 日本語「学校」と呼ばれているものの、外国人留学生が日本の大学や専門学校に入学するための準備機関、日本で日本語学習をする予備学校という性格が強い。

 日本語学校は、自校の責任と判断のみをもって留学生を受け入れることはできない。法務省の入国管理局(現出入国在留管理庁)、略称は「入管」、に申請し、書類審査を受け、留学希望者の入国許可を得なければならない。留学希望者の受け入れの可否に関して、留学希望者の受け入れが許可された場合を「交付」、受け入れが許可されなかった場合を「不交付」という。


 東日本大震災直後(とその後数年間)、特に翌年の2012年や翌々年の2013年、入管の日本語学校留学希望者の書類審査基準は一般的に基準が相当甘くなっていた。現に東京都内の田中所有の2校はどの国、どの地域の留学生も比較的順調に受け入れることができていた。

 田中は、自らの管理不足で失敗したことを都合よく棚上げし、川崎日本語学校は一時的におかしな状況に陥っただけで今後は好転してうまくいくはずだと思い込もうと努力した。しかし、そう思い込もうとすればするほど自らの失敗を否定することはできないと感じてしまうのだった。田中はやけ酒をあおり、その感情を一時的にごまかすことにした。


 田中の当初の計画では、川崎日本語学校の経営が比較的安定した後、しっかりとした性格の妹分の女性、三田玲子に経営を任せようと思っていて、三田からの了承を得ていたのだが、それどころではない状況になった。


 やけ酒をあおって自らをごまかした3日後、東京都区内のホテルの会議スペースとして用意されていた一室で、田中は三田と川崎日本語学校が抱えている主要な問題点と今後の方針について話し合うことになった。

 三田とみっちりと4時間ほど話し合って、厳しい追及や批判を受け、田中は疲れはてた。もはややけ酒ぐらいではごまかせなくなった。

 数日後、田中はストレスと心労、不眠のため持病が再発し、東京都区内の自宅で喀血、倒れ込み、救急車で運ばれ都内の病院に2日間入院するはめになる。


 自らの管理不足が招いた留学生受け入れの大失敗に目を背けることはできず、川崎日本語学校が田中のストレスの主要因になってしまったのだ。

 お読みいただき、ありがとうございました。

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