ぼんくら人権侵害事件簿
体罰により、生徒が自殺する事件が起きたそうだ。
なぜ、人の命を奪うほど体罰を与えねばならなかったのだろうか?
自殺率が高まる昨今、自分の教え子たちにも起こりうる危険性を考えなかったのだろうか?
他の教育実績がどんなに素晴らしくても、生徒の命を奪った原因を作ったことは絶対に許されない。
体罰は暴力だ。犯罪だ。
人が自殺することは、病気や寿命を迎えて死亡することとは大きく異なる。
残された家族、または近親者の人生を狂わせるのだ。
大切な家族が自殺した悲しみを、一生背負って生きて行くことになる。
自殺を止めることが出来たかも知れないと、自己を責めてしまうこともある。
止められなかった無念さを、自殺の原因を作ったものに背負わされるのだ。
また、自殺者が辛く苦しんでいた問題を家族が引き継ぐことになる場合もある。
だから、自殺をさせた原因を作った者は絶対に許されないのだ。
法律で裁かれ、刑事罰を受けても、法律上の罪を償っただけであり、本当に罪を償ったことにはならない。
さらにつけ加えると、原因を作った者自らが自殺しても、罪を償ったことにはならない。
自分で犯した罪から逃げることになるだけだ。自殺の原因を作ったものは、決して罪から逃れてはならない。
自殺者が元の状態に戻らない限り、罪は許されないのだ。
そんなことは、実現不可能である。
だから、自殺させた原因を作った罪は絶対に許されないのだ。
これは、私の語る特異な教師たちの物語だ。
<パワハラ・モラハラ中学教師三人集>
中学1年生の春、スパルタ教育教師から「ぼんくらは、もっと勉強しなさい!!」と言われた。
「ぼんくら」ってなんだ?
机に向かって勉強なんぞしたことかった私は、初めて聞く言葉だった。
何かの差別用語かと思ったが、さっぱりわからなかった。
その後、スパルタ教師は日常的に「ぼんくら」と言う言葉を使っていたのだが、話の脈絡から察すると 「ぼんくら」の定義は
「ガリ勉や秀才、優等生以外の勉強をしない生徒のこと」
らしかった。本当にそんな定義なのか???今更ながら正しく調べてみると、
ぼん‐くら【盆暗】
[名・形動]《もと、ばくちで盆の上の勝負に暗い意》ぼんやりしていて物事の見通しがきかないこと。また、そのような人や、そのさま。「―な係員」
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
当たらずとも遠からず…
だが、ガリ勉や秀才、優等生ではないと物事の見通しがきかないのだろうか?
中学時代は、勉強以外に異性や恋愛、部活、好きな音楽を聞くこと、流行りのアイドル、校則違反すれすれにおしゃれすることで頭がいっぱいだと思うのだが…。
少なくとも、私はそうだった。
そして、スパルタ教師の定義によるぼんくらな生徒たちは問題児扱いされた。
なんでそんな事になったのか。
スパルタ教育教師は、生徒を必死で勉強させることによってがり勉を増やし、レベルの高い高校に合格させることにしか興味がなかったのだ。
部活の試合が雨で中止になり、翌日に延期になった日、スパルタ教育教師は「恵の雨が降ったから勉強しろ」とうれしそうに言い放った。
試合のために何カ月も練習してきた生徒たちにとっては酷い言葉である。
スパルタ教師は、いかに高校受験が大変な作業であるかを語り尽した。この教師が携わった生徒の高校入試の失敗談を話し、がり勉になれば失敗しない、がり勉がどんなに素晴らしいかと語るのだ。
この様な教師は、進学塾講師の受験対策担当の方が向いているのではないか。
自ら相当勉強した秀才であったことはわかったし、その直向きさには感心した。
成績上位者の学習指導に対しての能力は天才的であったことも認める。勉強だけは教育熱心だったのは間違いない。だから塾講師で実績を上げたら良かったのだ。
これだけスキルのある講師なら、多くの秀才を輩出しスーパー塾講師として、全国に名を知らしめたかもしれない。
しかし、畑の違うスパルタ教育人間に学校教育される生徒はたまったものではない。
この様な指導をされては、脳疲労を起こし勉強どころではないのだ。
この教師の指示により、何冊もの問題集を強制的に買わされた。使わないと担任教師から説教された。問題集は、学習レベルで使えるものかどうか相当差があるから、全員同じものを強制で買わせるのは間違っているのではないか。
私の育った家庭は、問題集を買うから学校から代金の徴収があると言っても、快く払ってくれたがそんな家庭ばかりではない。ギリギリで生活している家庭は数千円でも今月は暮らしてけるだろうかと、死活問題だったに違いない。支払が遅れている生徒に担当教師から早く支払う様に言われている様子を見て胸が痛んだ。
さらに、この教師は露骨に優等生を贔屓して、ぼんくら生徒とは態度があからさまに違った。明らかに教育差別であった。
スパルタ教師本人に、「贔屓しているのではないか」と問うと、笑って「していない」とはぐらかしたが、とうとう最後は切れて泣いてしまったそうだ。
人は追いつめられると泣く。贔屓していると認めてしまった様なものだ。
教師と言えど人間だ。平等にとは言うものの、好き嫌いや生理的に受け付けない等の感情があるのは仕方がない。
しかし、教師はプロだ。教育者としての養成大学を出たプロなら、生徒の前で泣いてはいけない。泣くことは問題から逃れようとすることだ。
ここまでガリ勉を強要し、露骨な態度を見せていた教師なら「お前らも贔屓して欲しいのか?だったら勉強しろ。ガリ勉になったら贔屓してやる」くらいの強さを見せて欲しかったものだ。
この教師の担任したクラスの生徒は、下校後も酷いことになっていた。
担任している生徒の自宅に、毎晩電話連絡網が回って来て、具体的に何の勉強をしろと指示が出たと言う。
完全にスパルタ教師の頭のヒューズが吹っ飛んでしまい、いかにして生徒に勉強させるか叫び続けることが、ストレスのはけ口となっていた様だ。
冷静に考えれば、ヒューズが飛んだと言うより、教師自身が焦燥うつであったのかもしれない。
ヒューズが飛んでいる状態では、心身ともに辛いはずだが、スパルタ教育教師の回りには誰も助けてくれる人がいなかったのだろうか。
そうであるなら、このスパルタ教師は可哀そうな人だったのかもしれない。
勉強には、人それぞれのやり方やペースがある。
そもそも、がり勉が必ず成績優秀な生徒とは限らない。
勉強時間と成績は比例しないのだ。
少し勉強しただけで優秀な結果を出せる生徒もいるし、どんなに勉強しても、結果が出せない生徒もいる。
スパルタ教育教師が、がり勉で成功したからと言って、すべての生徒が成功するはずはない。
普通の教師なら常識的にわかるはずだ。
学校教育は、スパルタ教師好みのがり勉を育成する場所ではないのだ。
だから、必要以上にがり勉になる様に強制してぼんくらを批判するのは間違っている。
中学時代には、勉強が好きな生徒は自ら勉強のやり方を確立する時期だ。
自分に厳しく追い込みながら学習するタイプ。一つひとつ理解しながら学ぶ楽しさを実感しながら学習するタイプ。コツコツ暗記しながら積み重ねて学習していくタイプ。語呂合わせの様に楽しんで学習するタイプ等様々だ。
気難しい思春期故、自身のやり方を横やりされたらたまったものではない。勉強への関心を削がれてしまう可能性すらある。
教師ならば、勉強のやり方が分からず、模索している生徒に教えて学ぶ楽しさを指導すれば良いものを、一色端にやり方を強制するのだから指導能力に欠けている。
勉強して成績の良い高校に入り大学に進学することだけが人生のゴールではない。
学校の勉強ばかりが人生で役立つわけではない。
勉強ができる人ほど、社会でからきし役に立たない人もいる。
勉強は問題をどう解けばいいか答えが決まっているのだから、社会に出て働くことよりよっぽど簡単だ。こんなに楽なことはない。
社会に出てからがスタートである。こんな当然の事がスパルタ教師には、わからなかったのだろうか。それとも当時はヒューズが飛んで教育すると言う事の本質が見えなくなってしまったのだろうか。
残念な事に、この年代の保護者たちは自分が勉強することに慣れていなかったため、この様なやり方をした教師に賛同していた。
それどころか、喜んでいる保護者もいた。
だから、子供が家庭で教師の不満を言おうものなら、子供は親からも説教され家庭で行き場がなくなってしまうのだ。
怒られるとわかっているから子供は何も言わない。何も聞こえないと心を閉ざす。教師の説教からも親からの説教からも…。
そんなことだから、いくら勉強しろと言われても心が傷つかぬ様に、脳が聞き取ること覚えることの機能を弱くしてしまう。そんな状態だから、勉強をして覚えられるはずがない。そんなおかしな緊張状態では勉強しても結果が出ないのだ。
このように、スパルタ教師は、勉強しろと言いつつ、自ら勉強し難い環境を作り上げていたのだ。
一生懸命であっただけに、残念な教師である。
「ぼんくらは勉強しろ!!」この言葉が一番生徒から勉強を遠ざけていた。
残念な教師は、自分で起こしている悪循環にそろそろ気付いたであろうか…。
もちろん、必死で勉強することを完全に否定しているわけではない。
頭の良い人間が必死で沢山勉強することによって、化学や医学が日進月歩?いやいや秒進分歩で進んで世の中を変えているのは確かなのだから、勉強ができる人や好きな人は子供の頃から大いにやって頂きたい。勉強が好きならガリ勉でいいではないか。ガリ勉が明日の日本の力になるのだ。
ただ、このスパルタ教師の様に勉強しない生徒を否定するのは、教師としてあり得ない。
恐ろしい事に、この教師は人権を取り扱う科目を専門に教えていた。
ぼんくら人権侵害事件だ。
「ぼんくら」な中学生活を送った私は、平均よりかなり学業レベルの低い高校に進学し、短大を卒業し就職をした。
スパルタ教師の理論では、優等生やがり勉たちは一流大学に行ってエリート街道を突き進んでいるに違いない。
まさか、一流大学に合格できず、ぼんくらな私と同じレベルの短大や専門学校に進学して、地方の企業に就職したはずはないだろう。
一流大学を出て、引きこもりや派遣社員なんてことはないはずだ。
スパルタ教師の指導法なら、就職氷河期なんて何の影響も受けなかったに違いない。
進学せず、社会に出ていても第一線で活躍しているに違いない。
バブル崩壊直後の厳しい環境の中でも、一流企業に就職したり、弁護士や医者、大学教授や研究者、はたまた代議士であったり、世界を飛び回る企業戦士などさぞかし日本を動かす花形の職場で実績を上げているに違いない。
がり勉や秀才、優等生だった同級生たちの輝かしいエリートサクセスストーリーを聞かせて頂きたいものだ。




