36話 好きか、嫌いか
「……それで、いつまでそうしている気だい?」
「な、何のこと?」
なんだよいきなり。でも突然部屋の空気が変わった気がする。
「とぼけても無駄だよ。最近どこか明日香の様子がおかしい。気がついていないとでも思ったかい?」
あ、あぁそういうことか!
まぁ……まったく目を合わせず話すことを何日も続けていたらそりゃバレるよな。でもここは素直に肯定できないぞ……。
「な、なんのことだよ」
「そうかい。あくまでなんでもないと言い張るんだね?」
少しムッとした様子の薫。いったい何をする気なのかわからないけど突然立ち上がった。
「な、なんだよ」
ズカズカと歩いて私の目の前に立つ。しゃがみこんで目線の高さを合わせてきやがったから慌てて目をそらした。
「ほら、以前の明日香なら照れはすれど目をそらすことは無かっただろう? でも今は目を合わせてはくれないね。どうしたのかな?」
「な、なんでもないって。気のせいだろ?」
なんか否定してしまった。これを否定したら厄介なことになることくらいわかりきっているのに。予想通りと言うべきか薫は私の顔をガッチリと掴んできた。
「な、何するんだよ!」
「なぜ目を合わせてくれないんだい? そんなに私のことが嫌いなのか?」
「そんなことないって。変だぞ、お前」
本当に変なのは私だってのはわかっている。目を合わせることができなくなった理由は私にもよくわかっていない。漫画やドラマなんかでは好きになったからとかが王道だけど、私たちの関係ではそんなことありえない……はずだ。
「……寂しいじゃないか。パートナーに目を背けられ続けながらこれから活動していくのは」
そう寂しげに言いながら薫は私の顔を離した。数秒フリーズして俯く。その間に何を考えていたのかはわからないけどすぐに顔を上げて立ち上がった。
「……シャワー、お先にいただくよ」
「お、おう……」
よく見れなかったけど薫の顔が少し悲しげだったことくらい今の私でもわかる。
シャワーを浴び終わった薫はすぐにベットに入ってしまった。
「……か、薫?」
「なんだい?」
「い、いや……」
何も言えない。この件に関しては悪いのは全部私なんだから。罪悪感はある。だから早くこの原因を突き止めないと。
シャワーを浴びて、私もベットに入る。まだ時刻は夜の8時。どう考えても眠れるような時間ではない。
部屋は静寂に包まれる。私も薫も一言も発しようとしない。必死に胸の高鳴りや目を合わせられない原因を探るけど、まぶたの裏に答えはなかった。
「……明日香、まだ起きているかい?」
意外にも口を開いたのは薫の方だった。今日はもう寝るつもりなのかと思っていたけど。
「あ、あぁ。起きてるよ」
話しかけてきたってことは……何か言いたいことがあるってことだよな?
「私はね、嬉しかったよ。インフルエンザの時に明日香が私のことを嫌いじゃないって言ってくれて」
あぁ、そんなこともあったな。あまりに弱々しく聞いてくるものだから「嫌い」だなんて言えないだろ、普通。
「だから不安になるんだ。目を合わせてくれない明日香が、もしかしたら私のことを嫌いになってしまったのかなってね」
「別に……そんなんじゃないぞ」
そう、嫌いになったわけではない。理由はわからないけど突然に目が合わせられなくなった。それだけなのだ。
薫のことも今では別に嫌いではない。百合営業を通じて薫の色々な面を知ることができた。頼りになるところ、強いところ、可愛いところ、それから弱いところまで。
「だったら……明日香は私のこと、好きかい?」
質問を変えてきた薫の言葉にドキッとする。心臓がバクバクと鳴り始めた。あまりにもストレートな好意の確認に無意識に掛け布団をギュと抱き寄せてしまう。
「……わからない」
ふと呟いてしまった言葉だけど、きっとこれが本音なんだと思う。薫のことが好きなのかどうか、わからないままだ。
好きかどうか悩んだことはある。それから目をそむけようともした。でも向き合い、その結果、わからなかった。だから今私が答えられるのは「わからない」ということだけ。
「でも本心から嫌いじゃないのは間違いないから。その……安心してくれ」
「そうかい」
感情を押し殺したかのような声で薫が呟く。その声が痛々しくて、心の中に罪悪感が生まれた。薫をここまで弱らせてしまっているのは私。その事実がなさけない。
好きなら好き。嫌いなら嫌いとはっきり言えばいいものを、私はずっとはぐらかしている。
でも……仕方ないだろう? 私だってわかってないんだから。
「もう寝るよ。おやすみ、明日香」
「お、おう。おやすみ」
まだ寝るような時間でもないのに就寝を宣言した薫。つまりもう今日は話しかけるなってことだよな。
空気が重い。この部屋にいたくないって本能が訴えてくるほどだ。とても眠れる時間じゃないが、この重さに耐えきれなくなって逃げるように目をつぶった。目が覚めたら元どおり。なんて甘いことを考えながら眠りにつく。