プロローグ② 蜃気楼の成功
「よし! 国崎! よく頑張ったね!」
赤里は国崎に言った。
同期入社であるにも関わらず、上から目線の物言いに聞こえるが昔から同じ口調だ。
「なにいってんだよ、全部お前がやったんだろ……」
「そっちこそなに言ってるのよ、パートナー会社との調整や資料作成に何時間も費やしたのは あなたでしょうに……」
「そうだぞ、これはお前の手柄だ、誇っていい」
課長の杉山が会話に割り込んできた。
あの何事にも無感情にこなす課長口から「手柄、誇る」という単語出ているのだ。
同期が上司になったり……なんてもうどうでもいい。
成功すれば全てが報われるのだ。
何という充実感だろうか。
「次の関門は契約だな」
「ですね……」
受託先に決定されたら営業の仕事は終わりではない。
上司二人が次の課題に関して提起してくる。
「納期がかなり厳しいですから、気を引き締めて行かないといけませんね」
俺は無難に答えることにした。
商戦時のスケジュールや仕様の変更、もともと工期が短い事もあり早急な作業着手が必要となっているが、この業界では契約締結前の作業着手はご法度である。
入札は公式な方法で業者を選定しただけであり、着手には契約書を取り交わす必要がある。
契約書の迅速な締結はこの業界の営業に求められる最も重要な能力の一つである。
が、しかし、案の定恐れていたことが訪れるのである。
――
「国崎さんすみません。委員会の稟議が進まず契約書が完成しないんですよ」
いつもの会議室で申し訳なさそうに毛利が話す。
「毛利さん、こればっかりはもう何とも出来ないんですよ、内容はもう変更ないんですよね、あとどれだけかかりそうなんですか」
「一か月はかかるかと……」
「一か月……それだともう指定納期には到底間に合わない……」
「あああ、納期遅延は絶対にダメですよ……」
長い沈黙が23階の会議室を包む。
気分とは正反対の青い空が窓から暖かく入り込んで、現実を逃避させる。
「幸いです……」
重い空気の中、毛利が思い出したようにしゃべりだした。
「幸いにも、うちの委員会は特設の組織なので印章管理はそんなに厳重じゃないんです」
「え……ああ、そうなんですか……」
「契約の日付を御社分と当社分で分けて作成しますか?」
「そんなこと可能なんですか?」
「もう内容はフィックスしているので中身の変更はないはずです、日付がブランクの契約書を作成して御社分を本日付けで記入するんです、当会分は決裁後の日付で契約書登録します」
「まずくないですか!?」
「別々の組織で保有している契約書の日付なんて監査で調べませんよ、それにもう契約締結予定先は御社として発表してますし……問題ありませんよ……」
――
俺は毛利に言われた内容に懐疑心を抱きながらも、一応、チームに相談した。
「よくやったな国崎」
杉山からの反応は意外なものであった。
「え……問題じゃないんですか?」
「毛利さんが言ってる通りこの件が覆ることはないわ、納期遅延の方がよっぽど問題よ、請負業者のうちの問題となるわ」
赤里が説明を加えた。
「そういうことだ……まあ、今日のところはこれで上がるか、どうだ、久しぶりに飲みにいくか、国崎のお祝いもしてないしな……」
「いいですね~」
なんだなんだ、普段なら飲み会なんて断る側の課長が誘ってくるなんて……
杉山と赤里の間で勝手に盛り上がっている。
「そういえば言い忘れてたけど、次の期からお前、昇進するから」
「ま、マジっすか」
「やったなー、国崎~」
そういうことだったのか、俺の昇進が決定しそのお祝いということで企画していたらしい。
まさか、そんな粋な計らいがあったとは。
「ちょっと必要な事務手続きだけすませて後で合流します!」
このような感じで思わぬ朗報が入り、高揚した。
その結果というわけではないが、契約書の日付改竄に関しては些細な事として胸の内にしまうことにした。
順調に案件は進捗するかに思えた。
――
二週間後の朝、俺は眠い目をこすりながらテレビをつけた。
ニュースでは何やら大物政治家が巨額の闇献金を暴かれて騒然としている……。
俺には縁のない世界だ。
自分が月収30万円そこそこでうまくいけばボーナスがもらえるくらいの身分なのに対して、3億円もの闇献金を受け取れる世界があるなんて。
ん……まてよ。
政治家……こいつの名前……リラゾネスの委員会役員だ……。
新聞の一面にはリラゾネス計画中止かの文字が大きく記載されていた。
俺が出社したときには既に会社は騒然としていた。
法務部門がリラゾネス建設請負工事契約書の内容をチェックしている。
損害賠償金額の算定だろう。
大丈夫……なのか……?
今調べている契約書はまだ未成立の可能性が高いぞ……
「課長……」
「うむ、相手先も入札まで行った手前当社の着手分の損害を補償する義務はあるだろう……」
「ちょっと委員会に行ってきます!」
「私も同行します!」
赤里と俺は毛利に着手金に関する保証について交渉に出ることとした。
――
「ですから、みなさも今朝のニュースでご覧になった通り、計画は中止となりました、ですので、御社もこれ以上損害を出さないために即刻工事を中止してください」
事件の対応に追われている毛利は苛立ちながら発言した。
「で、でも着手金等の補填は頂けるんでしょうか」
「この件は、契約が締結されていませんので……」
「契約が締結されていない!? どういうこと?」
毛利の発言に赤里が声をあげた。
「え!? あの、着手の為に契約書日付を分けて作成したって話しましたよね」
「それは二週間前の話でしょ!? なんで今契約締結されてないのよ!!」
どうやらこちら側としては契約締結された前提で着工を進めていたが、委員会側では契約締結までに至らなかったことになっているらしい。
「こちらとしては契約の承認をとろうと必死で掛け合ってたんですがまさかこのようなことが起こるとは……、もしかしたら上では既にこの事態を察知していてどうするか揉めていたのかもしれませんね……」
「しれませんねってそんな……」
毛利の無責任な発言に俺は全身の力が抜けた。
そこから先は早かった。
連日この件で様々な報道がなされるなか、受託予定業者の当社が損失をだしたこと。
自分の契約手続きに不正があったことが明るみになり、仕様変更等の一連の手続きの余罪も追及される形で毛利との間で官民談合を行ったとして俺は懲戒処分となった。
一方毛利は左遷処分で職を失うまではいかなかったようだ。
社内の諮問会議。
彼らの台詞を聞いた時に俺の脳は氷ついた。
「いや……契約書の実物がありましたのでまさか不正で作成されているとは思いませんでしたよ…」
流石課長だ。
ヒラヒラの薄っぺらだ。
契約日付に関する相談をしたことをなかったかのように話している……。
「皆が帰宅した後も毎晩夜遅くまで残って頑張っていたので今回こんなことを行っていたとは夢にも思いませんでした」
赤里の言っている内容は最初俺には理解できなかった。
これが、彼女が裏で糸を引いていた事の責任を自分に被せていたと分かったのは、懲戒を宣告された後だった。
被害を最小限に抑えても会社に与えた損害は3億円相当だった。
皮肉にも闇献金と同額とは……、俺の生涯賃金でも払えないくらいの大金。
予め入っていた事業保険の上限額が1億円なのでそれを差し引いても2億円だ。
この金額はそのまま俺に賠償請求がきた。
短い夢だったなぁ。
俺はどこかで聞いたようなセリフを呟いた。