エヌトルフォ、その成立ち
士官学生用の寮では、今期から入学した学生が自分の部屋の掃除や荷解きを行い、これからの生活の準備していた。
イムルの部屋は1階の角部屋、スギはその隣の部屋だった。
一通りの準備を終えたイムルは新しい生活を目の前に、漠然とこれからのことを考えていた。
正直、今までは何となく父の後を継いで、自国の領民と幸せに毎日を過ごしていければ、それでよかった。
それが自身のビジョンだ、と思っていたが、オリエンテーションでの各州の同期を見て、それぞれやりたいことの明確さが自分自身より鮮明で、それと比較すると自身のビジョンの解像度が酷くぼやけたもののように感じた。
父親から聞かされていた話……、この幸福で満ち溢れた世界であるにもかかわらず、人間の敵は人間であること、各州のパワーバランスは絶妙に維持されているが、その均衡が崩れると戦争すら起こりかねないこと、そうさせないために、各州の貴族は自身のスキルを磨き、互いに争いが起こった場合に自身を守れるように精進しているのである。
そのバランスを中央で制御しているのがこの王都エヌトルフォとトクル管理協会だ。
正直、世界全体を俯瞰して、ではそこから自分がどのような人間になるか、なんて全く考えていなかった。
――
最初の授業は、エヌトルフォ史学だった。
16才になるまでに史学は散々習うものの、それは各州からみた歴史としての側面が強いが、士官学校での史学は、各州のバランスを考慮した授業内容となっている。
そもそも、王都は、表面上は、各州に対して公平で何ら贔屓もしない事となっているが、それぞれの州との調整業務の中で、誰がどの州から手厚く扱われたとか、その州がある行事で優遇されたとか、そういった利害関係が発生する中でやはり派閥などが存在するのである。
始まりは、1000年以上前だ。
ブレイス「えーお前らも知っている通り、始祖王イムガルド1世がこの地にご生誕されてからが、始まりだ、が、ここでは一応その前にも触れておく」
エヌトルフォ史以前の歴史は本来禁忌だ。
教室はものものしい雰囲気につつまれた。
ブレイス「かつてヘヴンリア、ティアラ、トルスは大きな戦争を行っていた」
ブレイス「戦争と言っても……対竜戦ではないぞ、人と人の戦争だ、これが1000年以上、続いていた」
人類の間で何年も続く戦争。
各州で起こった戦役に関して、大まかな説明があった。
それをトクルの魔術を用いて終結させたのが始祖王であった。
その魔術基盤をつくったのがティアラ出身の大魔導士アイアンショップ、始祖王の右腕として強大な力を振るったのがヘヴンリア出身の剣聖サクラだ。
エヌトルフォとトクルの魔術を作り上げた際に、トルス州出身の英雄がいなかったこともあり、トルスの序列は、長い歴史のなか、一番下位となっていた。
本当にそうであったのか、州のパワーバランスをとる為にそう捏造したのかは分からないが、始祖王の育った場所がトルスのアルゼルート地方であり、王はトルスの地を愛していたというような伝承がいくつも残っている。
始祖王よ、その思いには俺も同感だ。
エヌトルフォとトクル魔術の成立をもって、略奪や殺し等が禁忌となり、人の間での戦争は無くなった。それと同時に、トクルの魔術に異界から竜が引き寄せられるようになった。
長年お互いで争っていた戦士たちの仕事は竜討伐へと変わり、人類が平和維持に一丸となるようになった。
ブレイスのエヌトルフォ史論は現在にいたるまでのアウトラインをざっくり説明するものだった。
大まかな概要を頭に入れてから詳細に入るように工夫されているのだろう、そういう指導要領なのか、ブレイスの培った指導技術なのかは分からないが、見た目が筋肉ですべてが出来ていそうな彼に似つかわしく授業は大変に分かりやすいものだった。
エヌトルフォが成立してからは、ヘヴンリアが主に世界の発展に資する功績を残し、主な序列としては、歴代ずっと「ヘヴンリア > ティアラ > トルス」の順であった。
それがこの1000年でティアラの功績が上がり、「ヘヴンリア = ティアラ > トルス」という構図になっているのが現代だ。
これにはクラリエやフォーアの活躍によるところが大きいとされている。
クラリエの場合、先の厄災での竜病への特効薬の開発を賞して、現王子のイムガルド25世から直接、白神褒章として10,000トクルが授与された。
その時のイムガルドとクラリエの二人の画がとても美しく人々の目に焼き付いたというところから、自然発生的にクラリエが王妃候補として噂されるようになった。
また、フォーアについてはトクル研究において何やら大きな功績をあげたらしい、が、その詳細は不明だった。
それはトクル研究については情報統制がかかっていることと、その内容を聞いたとしても一般人には到底理解できるものではない、というところだ。
実は現代はそういう激動の時代であった。
トルスは万年最下位となっているが、それを気にする国民性ではなく、うまくのらりくらりとやっているのが現実だった。
イルムは初めて、「そういう激動」を、その張本人たちの中で感じることとなったのだ。
――
この授業を複雑な気持ちを抱えながら受けていたのは、リカルマだった。
それもそのはず、彼はヘヴンリアに100年に1人の天才とされるほどの人材であった。
年齢に似つかわしくない2,000以上のトクルを身にまとい、先の厄災で大きな武勲を立て、この世代の貴族の中では主席として圧倒的な存在として、世界を先導する役となるはずだった。
ここは、運が悪かった、というべきなのか、クラリエやフォーアの存在が彼の存在を霞めた。
リカルマは高度なトクル教育を受けている。
彼は入学するまで、人を妬むとか、恨むとか、そういった感情は無かった。
同期に自分より偉大な功績をあげた人間がいるのなら、自分は一層努力をしてもっと大きな功績をあげる、と、そう考えていた。
しかし、なぜだろう、いざ目の前にしてみると、こんなにもクラリエの事を敵視してしまう……。
そんな深層にある思いが、妬みや、自身が一位に慣れなかった恨みであると気づかないまま、これから、筆頭としてどう勝ち上がり、ヘヴンリアの地位を不動なものに持って行くかを考えていた。
トクルを誇るように纏うリカルマ、コートを羽織り、トクルを抑えながらもその輝きを隠せないクラリエ、その対比はリカルマを一層、寂しく映した。




