3話「乙女座の女」4/5
「これは人気商品だぞ。吸うと声が変わるたばこだ。飲み会で使えば人気者間違いなしだ」
オーケンはそう言って小さな包みを机に置いた。
つかさはそれをちらりと一瞥すると、ぶっきらぼうに答えた。
「そんなの私の地元にもあったよ。もっと面白い商品はないの?」
「面倒な客だな。どんな物をお求めか教えてもらわないと、紹介するにもできませんぞ」
「とにかく面白い物だよ」
つかさは落胆を隠そうともせず、ふらりと店内を物色した。
店内は駄菓子屋を思い出させるこじんまりとしたもので、続々と出てくる商品も子供向けとしか思えないようなものばかりだった。
「この杖は?」
「お目が高い。それは木製の杖だ。それがあれば転ばずに済む」
オーケンが甲高い声でそう言った。
見ると、ニヤつきながらあのたばこをふかしている。
「笑えるだろ? 10ゴールドだ」
「いらない。私たばこは吸わないの」
もう帰ろうかと思ったその時、ガラスの小瓶が目に入った。
中には、カラフルな飴玉がいくつか入っている。
つかさはほとんど期待せずに言った。
「この飴は?」
「普通のケモノアメだ。舐めると10分間動物になれる」
つかさは驚いて言った。
「なにそれ! あるじゃん面白いの!」
動物になれるというだけでも興味をそそられるのに、この世界の動物ときたらへんてこなものばかりだ。
実物を見るより先にその動物になるなんて、楽しくないはずがない。
俄然その飴が素晴らしいものに見えてきた。
オーケンもまた驚いている様子で、さらに素っ頓狂な声で言った。
「お前ケモノアメ知らないのか? 誰でも子供の頃食べるだろ。もしかして最近の子は違うのか?」
「私の地元には無かったの。いくら?」
「3つで3ゴールド。6つで5ゴールドだ」
つかさは迷わず6個入りの小瓶と小銭をカウンターに置いた。
「ランダムの方だが大丈夫か?色でなんの動物になるかわからないぞ」
「望むところだよ。ありがとう、また来る!」
つかさは店から飛び出すと、真っ直ぐ占い館へと向かった。
なぜかいけない物を持っている気分だった。
占い館に着き辺りを見渡しても、なつみの姿は見当たらなかった。
ポケットに手を入れ、小瓶を触って確かめる。
鼓動が早いのは、走ったせいだけではないとわかっていた。
我慢ができず、つかさは赤いケモノアメを口に入れた。
苺のような味だ。
しばらくすると、つかさはユニコーンの角が生えた、カラスのような黒い鳥になっていた。
「凄い! 本当に動物になっちゃった!」
つかさは思わずそう叫んだ。
どうやら人の言葉は喋ることができるようだ。
恐る恐る翼を動かすと、不器用ではあったがふらふらと空を飛ぶことができた。
必死に羽ばたいていると、気付けばラプラードの街を一望できる高さまで飛んでいた。
広場の大きな噴水は豆粒のように小さくなり、行き交う人々はまさにゴミのようだった。
遠くを見ると、深い森が地平線の彼方まで続いている。
勿論、宝石の国は見当たらなかった。
つかさは地平線の更に先を目指した。
心地よい風をその体に感じながら、自由に青空を飛び回った。
雲が近い。
太陽が近い。
空に落ちていくような不思議な感覚を味わいながらひたすら上昇していると、ふとイカロスの神話を思い出した。
太陽に近づき過ぎると地に落ちてしまう。
いつのまにか、街からかなり離れてしまったようだ。
10分で元の姿に戻るのだから、5分経った時点で引き返さなければならない。
無我夢中で飛び続けていたせいで、その時つかさはどれだけ時間が経っているかわからなかった。
空の旅から帰るのは名残惜しいが、空の上で元に戻るなんてことがあれば一巻の終りだ。
「鳥のケモノアメをもっと買っておけば良かった」
そんな事を考えながら、つかさはラプラードの街へ針路を変えた。
だが、街へ近づくほど、体内時計が10分に近づくほど不安は強まっていく。
つかさは少しずつ高度を落とし、街にほど近い森の中に着陸した。
万全を期して、残りの時間は地上で過ごすことにした。
地上の世界も鳥の目線になれば案外楽しい物だ。
森の全てが大きくなり、動物たちと共に生きている事を実感できる。
つかさは森の神秘を堪能しながら、ゆっくりと歩いて街を目指した。
その時、背後で野太い、不穏な唸り声がした。
とっさに木陰に隠れて様子を伺う。
すると、巨大な熊のような動物が、こちらへ向かって来ていることに気付いた。
3mもあろうかというその巨体は黒い体毛に覆われ、鋭い牙と爪を光らせている。
どう考えても凶暴な動物だった。
つかさが身を隠した木には、熊が引っ掻いたような傷があった。ここはあいつの縄張りだ。
つかさは必死に翼を動かしたが、飛べない。
気付けば人間の姿に戻っていた。
つかさはケモノアメの小瓶を取り出した。
残りの飴は、白、黒、青、黄、緑の5つ。
この中から、この状況をなんとかする動物を引かなくてはいけない。
複数同時に食べたらどうなるのだろうか。
間を開けずに食べても大丈夫なのか。
もっと説明を聞いておけば良かった。
熊はゆっくりと、だが確実につかさの方へ向かっている。
迷っている時間はなかった。
さっきは、飴を舐めてから姿が変わるまで1分近くかかっていた。
つかさは黄色の飴を噛み砕くと、全速力で走り出した。
熊は低く吠えると、地面を揺らしながら追いかけてくる。
鳥になっていた感覚が抜けず、うまく走れない。
何度も転びそうになりながら、必死に木々の間を走り抜けた。
後ろを振り返ると、熊がすぐそこまで迫っている。
とうとう追いつかれ、鋭い爪がつかさに振り下ろされた。
つかさは叫び声を上げ、目を瞑り衝撃に備えた。
だが、一向に痛みは感じられない。
恐る恐る目を開くと、目の前に熊の巨大な腹が見えた。
つかさは亀になっていた。
「ハズレだ……」
一撃は免れたが、状況は何も変わっていない。
熊はすぐにつかさを見つけ、大きく口を開けた。
つかさは頭と手足を甲羅に納める。
しかしまた、いくら待っても衝撃は来なかった。
頭上で聞こえる唸り声に目を開ける。
見ると、熊は何もない一点を睨み、牙を剥き出して威嚇していた。
すぐさまつかさは理解した。
この先に、もっと獰猛な、恐ろしい動物がいる。
つかさの動物としての本能が叫び声を上げていた。
熊はじりじりと後ずさると、藪の中へ逃げていった。
それでも助かった気はしない。
それどころか、心強い見方が逃げ出した気分だった。
熊と比べ物にならないほどの殺気。
つかさを守るものは何もなかった。
恐怖に体が硬直する。
それは、つかさが生まれて初めて実感した、生々しい死の感覚だった。