3話「乙女座の女」3/5
その老婆は、なつみの足音に気づき顔を上げた。
額には深いシワが刻まれ、穴のように落ち窪んだ灰色の目は、なつみの顔の辺りを探るように動いた。
盲目だった。
「あの、ホェニナさんの紹介で……」
なつみはそう言って紹介状をイルゥの前に差し出した。
目が見えないのなら意味がないと思ったが、その老婆は丁寧に確認するように紙を撫で、にっこりと笑った。
今までの不安がすべて消え去るような、優しい笑顔だった。
「私、なつみっていいます」
「おお、なつみかいい名前だ」
イルゥはゆっくりとそう言った。
聞いているだけで安心するような、心に響く声だ。
なつみは用意されていた椅子に腰掛けた。
部屋の中は思っていたより簡素なものだった。
むしろ、なつみが真っ先に気になったのは、部屋に充満するアロマのような甘い匂いだった。
「ホェニナは元気にやっとるかい」
「はい」
「それは良かった。あいつはたまに無茶をするから、少し連絡がないと心配で」
「イルゥさんは、ホェニナさんとは長いんですか?」
「そうだね。もう初めて会った時を覚えていないくらい古い仲さ。昔はよく喧嘩したもんだよ。あの子の無鉄砲さは、人様に迷惑をかけるし、恨みも買うね」
この調子で5分、10分と話が続いた。
ホェニナの過去を知れるのは楽しかったが、だんだんとじれったくなってきた。
少し無理矢理に話を戻し、なつみは恐る恐る言った。
「あの、イルゥさんはとても腕の立つ占い師だと聞きました。是非占ってもらいたいんですが」
「ああ、そうだったね。若い子と話すのが楽しくって。許してね」
そう言いながら、イルゥは机の下を漁り始めた。
その動きもまたゆっくりとしたもので、なつみは段々と不安になってきた。
「ああ、あったあった」
そう言って取り出したのは、紙巻のたばこと灰皿だった。イルゥは一服しながら言った。
「それで、なにを占って欲しいんだい?」
そのたばこは、部屋に入った時に嗅いだあの甘い匂いだった。
ホェニナがつかさを生き返らせた時も、同じ物を吸っていた事を思い出す。
「それじゃあ、今日の運勢を」
「そうしたら、そこの魔法陣に手をやって」
なつみは言われた通りにした。
イルゥはなつみの手を握ると、目を閉じて言った。
「そうだね、ここから東、いや南東の方に何かを感じるね。行ってみるといいかもしれない。何か思い当たることはあるかい?」
「いいえ。最近この辺りに来たので、なにがあるかも知りません」
「それは結構なことだ。知らない場所に行くのは楽しいからね」
正直なところ、なつみが期待していたものより大分曖昧な占いだった。
何一つ自分のことを言い当てられず、不信感ばかりが募っていった。
「私は、楽しみより不安の方が大きいです」
「そうかそうか。自分が見知った、安心できる場所も良いものだね」
なつみはふとつかさのことを思った。
あの子なら、知らない場所にも恐れず突き進むのだろう。
それどころか、自分にとって安心できる場所は、つかさにとって退屈な場所なのかもしれない。
「つかさはーー」なつみはすぐに言い直した。
「私の友達は、その反対です。好奇心があって、勇気があって……」
「なるほどねえ。なつみは、その子のようになりたいのかい?」
「いいえ。ですが、自分にないものを持っているとは思います」
「そうかい。そのお友達も、同じ事を思っているんじゃないかな」
こんな話をするために来たわけではなかった。
どうも話を誤魔化されている気がする。
なつみが黙っていると、イルゥは子供をあやすように言った。
「どれ、一つ魔法をかけてあげよう」
イルゥは短い呪文を唱えた。
にっこりと微笑むとなつみの手を離し、また机の下を漁り出した。
「この薬をあげよう。どんな恐怖も綺麗さっぱり忘れられるよ。もちろん、ただとは言えないけど……」
そう言って小さな包みを取り出した。
なつみは急にアホらしくなってきた。
未知のものを怖がり、自分の未来さえ人に委ねようとしていたのだ。
あまつさえこんな老婆を信じ、怪しい薬を売りつけられそうになっている。
つかさに笑われているような気分だった。
なつみは立ち上がると、吐き捨てるように言った。
「結構です。私はそろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
「そうかい?まだ時間は残っているけど……」
「もう十分です」
不思議と、清々しい気分だった。
あとでつかさに謝ろう。
そう思った。
なつみが代金を置いて部屋を出かかった時、ふとイルゥを振り返って言った。
「最後に、ひとつだけ聞きたいことが……」