4話「赤い蝋燭」5/6
二人が修道院に来てから二週間が経とうとしていた。
毎日神に祈りを捧げ、たばこを育て、少し歌って寝る。
この繰り返しだった。
ある日つかさが部屋へ戻ると、なつみがベッドにうつ伏せになっていた。
どうやら曲を酷評され落ち込んでいるようだ。
ここのところずっとこの調子だった。
「今日はなにを演奏したの?」
つかさは机で書き物をしながら、ほとんど興味なさげに聞いた。
今にも泣きそうな声が枕越しに聞こえてくる。
「夜のチョコレート。私のオリジナルの曲だよ。自信作だったのに、今までで最悪の評価だったよ」
「元の世界の曲はもうネタ切れ?」
「古代語で歌えって。もう、やること多すぎだよ」
「聖遺物の写真を撮れればそれでいいんだから、無理に勉強しなくていいのに」
「そういえば、聖堂には行ったの?」
「うん」
そう言うと、つかさはそれまで書いていた紙をなつみの前に突き出した。
なつみは充血した目でそれを見る。
「地図?」
「そう。楽譜は聖堂の地下にあったよ。イラさんに無理言って案内してもらったけど、実物は見せてもらえなかった」
つかさはお手製の地図を指し示しながら言った。
「聖堂は夜間施錠されてるみたい。地下室に一番近いのが西側のこの扉。錠前は前もって細工しておけばなんとかなると思う。ここから真っ直ぐ進むと扉がある。この先に地下へ続く階段があるんだけど、扉に鍵が掛かってるから鍵を盗む必要がある。多分イラさんが持ってるから上手くやれば大丈夫。問題はその先。楽譜が安置されてる部屋には強力な結界が張ってあるの。仕組みはよくわからないけど、魔法を使えない私たちには破るのは難しいだろうね」
なつみは呆然と地図を眺めた。
その顔には絶望の表情が浮かんでいる。
「こんなの……どうしろっていうの?」
「ピッキングを覚えて、スリをマスターして、魔法を習得して結界を解けばいい。3年もあればいけるんじゃない?」
つかさは地図を放り投げてそう言った。
なつみは力尽きたようにベッドに倒れ込み、大きなため息をついた。
二人は何も言わず、無駄な時間だけが流れていった。
こんな所にいるくらいなら、ホェニナの命令に背いて死んだほうがマシではないか。
つかさがそう考えていると、なつみが意を決したように起き上がり、ポケットをまさぐり始めた。
「私たちには無理だよ。やっぱりホェニナさんに連絡しよう。下手にやってイラさんにバレたらホェニナさんも困るでしょ……あれ?」
なつみは慌てたように身体中を探りだした。
ポケットを裏返し、ベッドの下まで確認する。
つかさは呆れてものも言えなかった。
なつみは一通り周辺を荒らすと、つかさを見据えてかすれた声で言った。
「スマホ、無くしちゃったみたい……」
それから数日間、死にものぐるいで院内を探したが、結局見つかることはなかった。
イラにも相談したが、スマホを知らない人に理解されるはずもなく、なつみは黒い板に執着しているという噂が流れるのみだった。
つかさが諦めて魔法を勉強し始めた頃には、二人が修道院に来て一カ月が経とうとしていた。
思うようにことが運ばず、二人の仲は険悪なものになっていた。
「つかさが魔法を勉強するなんてね」
なつみは、図書館から借りてきた本を読んでいるつかさに、ベッドの上から言った。
なつみには、つかさがあれだけ嫌がっていた魔法の勉強をするのは、自分への当て付けのように感じられていた。
「ここを出られるなら、喜んで神に祈るよ」
「結界を壊すなんて、私たちには無理だよ。それこそ、ホェニナさんレベルじゃないと」
「ラインを送るよりは難しいことだろうね」
「スマホを無くしたことに怒ってるならそう言ってよ」
つかさは何も言わず、黙々と本を読み続けた。
つかさが真面目に勉強すればするほど、なつみは責められている気がした。
「私たち、いつまでここにいることになるんだろう」
つかさは読んでいた本を閉じてなつみを睨んだ。
「お願いだから静かにして。そんなに愚痴りたいなら曲にして歌えば? 『可哀想な私』って題名で」
なつみは目に涙を溜め、部屋の外へ飛び出した。外の空気を吸いたかった。
空には無数の星々が輝き、冷たい夜風が吹き荒んでいる。
なつみは門をよじ登り、森へ入った。
この時間の外出は禁止されていたが、どうでもよかった。
しばらく歩いていると、虫の鳴き声に乗って、どこかから歌声が聞こえてきた。
声のする方へ向かうと、誰かが岩に座ってリュートを弾いているのを見つけた。
アズナだった。
その歌声は普段の彼女からは想像がつかないほど美しく、ざわめく木々の間に透き通っていった。
足元にはたばこの吸殻が散乱し、エールの瓶が月明かりに照らされ輝いている。
ふと、アズナがなつみに気づき演奏をやめた。
なつみは一瞬身構えたが、意外にも上機嫌なアズナは、笑顔でなつみを招いた。
「歌、上手だね」
「ありがと。泣くほどだった?」
なつみはこぼれ落ちる涙に気づき、慌てて目を擦った。
「違うの。なんでもない」
なつみはアズナに促され、彼女の隣に座った。
そこからは森を少し高い位置から一望でき、空も広かった。
アズナはぼんやりと夜空を眺めながら言った。
「あんたも何か歌ってよ」
「私はいいよ。もう自信なくしちゃった」
「私は好きだよ。あんたの曲」
「酔ってるね?」
「まあね。でも本当だよ。夜のチョコレートだっけ? あれはクソだけど」
アズナとは初めて会った時以来、まともに話すのは初めてだった。
なつみがあからさまに避けていたのもあったが、そもそもほとんど会うことが無かった。
だから、アズナの言葉は意外だった。
「私の曲聴いたことあるの?」
アズナは小さく「うん」とだけ言うと、突然口をつぐんだ。
二人はしばらく黙って夜空を見上げていたが、アズナが不意にポケットから何かを取り出した。
なつみのスマホだった。
「ちょっと、なんで持ってるの?」
なつみは驚きと怒りが混ざった声でそう言って、ほとんど奪い取るようにスマホを受け取った。
アズナは小さく呪文を唱え、たばこに火をつけて言った。
「前にすれ違った時スった」
「どうしてそんなこと……!」
なつみは困惑して言った。
アズナの吐いた煙に月光が滲み、ゆっくりと空へ上っていく。
「困らせてやりたかったんだ」
アズナがあまりにもあっけらかんと言うせいで、なつみは言葉に詰まった。
「昔盗賊をやってたから」
アズナはたばこを一口吹かすと、なつみにも進めた。
「いらない。そんなので許されると思ってるの?」
「怒るなって。代わりに誰かから物を盗ってこようか?」
なつみは目を丸くしてアズナを凝視した。
意外な反応だったのか、アズナも目をぱちくりさせている。
「パクって欲しいものがあるのか?」
なつみは黙って頷いた。
「何が欲しいんだ?」
「ここの聖遺物!」
なつみは叫ぶ様にそう言った。
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なつみは勢いよく扉を開けた。
つかさは気怠そうに振り向くと、アズナの姿を見て一層顔をしかめた。
「何の用?」
「つかさ、聞いて! アズナはスリの達人なの。私のスマホをスったのもこの子だった。アズナならイラさんから鍵を盗めるよ!」
つかさは驚いてアズナを見ると、ここ数日で一番の笑顔を見せた。
「最高だよ! なつみがあれだけ大事にしていた物を、全く気づかれずにスったんだ! アズナは天才だよ!」
つかさはアズナに抱きつかんばかりの勢いでそう言った。
当のアズナは未だ状況を飲み込めていないようで、抵抗もせず酔いの回った頭を揺さぶられている。
「後は結界をどうにかできれば……」
つかさは難しい表情で本を睨んだ。
結界は鍵では開けられない。
この作戦で一番の課題だった。
「アズナは魔法が得意だったりしない?」
「全然。たばこに火をつけるのがやっとだよ」
つかさは落胆した様子で椅子に腰掛けた。
魔法は自然への愛と信仰が大切だというホェニナの言葉が蘇る。
魔法をかじったつかさは、知れば知るほど結界を破るのは無謀なことだと感じていた。
それでも、希望の光が見えた今、諦めたくなかった。
なつみは励ますように言った。
「大丈夫だよ。つかさは異世界転移を成功させたんだから」
その表情には、今までのような他人事ではない、熱意のようなものが感じられた。
「異世界転移……ちょっと待って」
つかさは突然荷物を漁り始めた。
大きな鞄の奥底から取り出したのは、あの「異世界に行く方法〜神秘という名の狂想曲〜」だった。
つかさは興奮して言った。
「私はずっとこの世界の感覚で魔法を覚えようとしてた。でも異世界人の私がまともな方法で勉強してもたかが知れてる。この本があれば、元の世界の考え方で、この世界の魔法を読み解けるんだ!」
つかさの目は、新たな希望に燃えていた。
「いけるよ。結界を解ける。それもそう時間をかけずに」




