ハーディング家
オロゴンの一族ハーディング家はシュトウルムの栄光の為政治に常に口出し関わった。
「かっての帝国の勢いを維持、取り戻す」をフレーズに。
宗教的価値、王権永続性、カリスマ性、等を挙げた。
シュトウルムの神がゆるぎない地位を築き上げた。
少数民族から大きくなりシュトウルムの属国化したランベイド国は諸国の脅威となる他国征伐にシュトウルム教会からしばし派遣、利用されて行く。
同時にシュトウルム教会の保護役を命じられる。
しかしその権威は教皇に危害を加える者の追放に止められる。
またランベイド国は複数の子孫に分割相続されて行く。
その後一時の空位を経てランサード1世が皇帝となり、力をました地方貴族たちをねじ伏せた。
教会保護と地方部族の反乱を防いだ。
その後オロゴンは悪魔教会を設立した。
しかし選挙制を望む声も大きかった。
ジャスミカル2世やアンボック伯らが名乗りを上げた。
しかし結局なくなった。
シュトウルムは王が移動する巡幸王権を確立した。
そして党を宣伝して行った。
カリスマ指導者には帰依者が必要だ。
演説では常にヘリウムが悪に配置された。
演説を軍が守った。
メガスは武力と交渉の2つの顔を使い分け、失業を無くす事を公約した。
しかし世間には穏和なイメージで通った。
シュトウルムの救世主的イメージを作った。
ヘリウムはやむなく武力による世界平和の道を考え選択した。
しかし目算が「自分達の方が、兵士の素質、訓練度が優れている」と誤っていた。
それと「神がついている」と言う理由である。
宗教的理由のみでなく軍事研究も確かにあったのだが。「点から線」と言うイメージだった。
攻められてからは砦や町を粘って取り返す消耗戦的考えになった。
高度な文化を持つブラン国はシュトウルムに征服されていたがオロゴンたちに接近し提携しようとした。
自立を目指し、オロゴンの叔父が統治する事になった。
王カオ―ベンはオストンリーを統治していた。
オストンリーは領邦領主層がいた。
オストンリーはちょうど次の新しい君主が生まれたが退位しハーディング家が支配した。
都市の多くは領邦都市だった。
しかし悪魔教会は権力欲を出しこれが公会議処刑にいたる。
訂正箇所
「兵士の素質、訓練度が優れている」
→「自分達の方が兵士の素質、訓練度が優れている」
です。




