再会
「ああ、事業を立ち上げるための資金を融資したよ」
「ええ、一緒に仕事をしていたわ。とても順調だった」
「はい、彼から事業を買収しましたよ。巨万の富と引き換えにね。それだけの価値があったんですよ。彼の会社には」
「Yes, 彼に真の『教え』の入り口に導いてあげました、彼はその価値のある男性でした」
「タドコロさん」は真鍋が事業を起こす際に資金を融通してくれた初老のエンジェル投資家で、その彼が紹介してくれたのが「オオヤマさん」。
「オオヤマさん」は真鍋が立ち上げた会社で共同経営者として働いていた女性で、一時は交際もしていたそうだ、直ぐに別れてしまったらしいが。その彼女が紹介してくれたのが「ツルオカさん」。
「ツルオカさん」は軌道に乗った事業を買収した大手企業のCEOの男性。真鍋とはビジネスだけでなく友人としても意気投合していたらしい、買収後は行方不明なった彼とは疎遠になってしまったそうなのだが、そんな彼が紹介してくれたのが「ヤナセさん」。
「ヤナセさん」は宗教団体「輝望の集い」の教導部の幹部構成員で性別は最後までよくわからない人で、「輝望の集い」への入信へと導いた人だった。
そう、真鍋は紆余曲折の人生を経て怪しい宗教団体の中の人となっていたのだ。
一時は莫大な財を得るもののナニが切っ掛けになったのかはわからないが宗教に帰依するということになった事実は、それなりに私をゲンナリさせた。
休日の度に彼の生きていった道を辿っている状況だったのだ。
自身のプライベートが半分破綻している身としては楽しかったのだが、彼には幸せになっていて欲しかったという願望が確かにあった。
それが宗教にハマったというのだ、他人事ながら「そうじゃないだろう」という気持ちにもなる。
最後に会ったヤナセさんの話によれば教団内部に住み込んで修行をする「出家」状態にあるという。
少しの間ではあるが悩み抜いて、私はヤナセさんに真鍋との面会を申し入れた。
「よろしいんですか?」
口唇の端を吊り上げて笑顔のような代物を作って相対するヤナセさん。
「輝望の集い」の本部会館、応接室での出来事。
私はいつも通り休日を使って「真鍋探し」の一環として緊張を強いられる厳かな施設を訪れていたのだ。
「と、言いますと?」
「現在の真鍋徹氏は貴方の知っている人とは違ってしまっているかもしれません。我が教団での『出家』というのはそういうイニシエーションでもあるのです」
「かまいません、彼に会うために実に多くの人の手を借りました。その人達からの伝言もあります。もう、ここで引き返すわけにはいきません」
実は河田さん、真鍋父からだけではなく、タドコロさん、オオヤマさん、ツルオカさんからも彼への伝言を預かっていたのだ。
なにやら自分の人生に滅多になかった「人の思いを託された」という経験をしてしまったのだ、彼に会わなければならないという思いが前よりもさらに強くなっている。
「そうですか、わかりました」
ヤナセさんは恭しく頭を下げた。
「では、ワタシは貴方を真鍋氏の元にお連れしましょう」
「ありがとうございます。なんとなくですけど、もっと難儀するかと思いましたよ」
「意外にあっさりと説得できたと?」
「はい」
「これには理由があるんですよ、『出家』する者には特別に2人だけ『面会者』が設定されているんですよ」
「面会者?」
「ええ、外部からの訪問者は基本全ては禁止となっています。但し『出家』の際に決めた2人だけは面会が可能なんですよ」
「それじゃあ…」
「彼が『出家』する時に設定したのは貴方一人だけでした」
「……」
真鍋は、いつか私が来るのを知っていた。
そう考えると、この焦燥のような彼への執念は決して一方向というわけではなかったのかもしれない。
どこかで運命のようなややこしいモノが彼と私の間にはあるのだろう。
「しかし、珍しい。『出家』する人はたいがい誰も決めないんですよ、その点で彼は珍しいとも言えます。いや、そもそも『出家』した人に面会にくること事態が初めてなんですよ」
「この団体ではどんな人間を聖職者にしているんですか……?」
「いえいえ、『出家』した人は聖職者ではありませんよ。あくまで『出家』した人です」
「……??」
「もうすぐ、わかりますよ」
そう言って、ヤナセさんはまた笑った。
それから席を立ち、会館の奥へと案内されることとなった。
いよいよ、彼と会えるのだ。
広大な本部会館の奥へと誘われる。
「輝望の集い」はここ10年で大きくなった宗教団体で、各種の社会貢献活動を行ったり、地方政治への参画を図っている。世間一般の認識としては勧誘の奇矯さからか「胡散臭い」の一言に尽きるのだが。
そんな団体に彼が所属していたことが驚きではあった。
強烈に求めた旧友との再会は失望に終わるかもしれない、その予感は確かにあったが衝動は止められない。
そんなことを考えながら、ヤナセさんの後ろを付いていく。
もうだいぶ歩いている。
何回か曲がっているのだが、それにしても広いし、複雑な構造の建物だ。
「出家」をしている信者は牢獄へと繋がれているのであろうか。
「ようやく、つきました。ここから中庭に出れるんですよ」
一枚の古風な木造りの扉に立って、ヤナセさんは言う。
その扉だけは他の新しい現代的な扉と違うの木製なのが特徴的だ、何かの意味があるのだろうか。
彼の厳かでゆっくりとした手付きで扉は開かれる。
「ちなみに、此処から先は私は行けません」
「そうなんですか」
「ええ、望みではあるのですが戒律により禁止されています」
「そんなところに入っていいんでしょうか?」
「それも戒律によって決められています、ご安心を。真っすぐ歩くと東屋があるのでそちらでお待ち下さい」
そう言って、私を扉の先へと促す。
不可解に思いながらも中庭に足を踏み入れると、清浄な空気が私を包みこむ。
そこには微妙に手入れをされていない庭園が広がっている。
注意深く周囲を見回しながら足元に伸びている小道をたどっていく、ヤナセさんの説明通り1分もしないうちに簡易な小屋のような建築物が目に入ってくる。
ここで待て、ということであろう。
少し緊張しながら、東屋内のベンチに腰掛ける。
もうすぐ真鍋が来るはずだ。
「ついにここまで来てしまったか…」
思わず独り言を呟く。
短くない道程を経て此処に至ったのだ、感動するだろうか、それとも逆に興醒めしてしまうだろうか。自分の心の動きが想像できなかった。
そうこう考えている内に異変が起きる。
東屋を照らす日光が大きな影に遮られたのだ。
飛行機かヘリコプターだろうか、と思いながら顔を出して空を見上げる。
巨大な生物が滑空して降りてくる情景が目に入ってくる。
鳥ではない、虫でもない。空想上の生物でしかない竜がすぐそこで翼を広げていたのだ!
「なんだ…あれは!?」
目を凝らして竜を見ると、その背には鞍が背負われており人が乗っているようだ。
滑空して東屋の真上までくると巨大な翼を羽ばたかせて着地してきた。
そして、竜の背に乗った人物が飛び降りて、こちらへ向かってくる。
真鍋徹だ。
追い求めた男は竜に乗って現れたのだ。
事態のあまりの急展開に頭の理解が追いつかずに混乱する。
私の友人は何がどうなったら竜に乗るようになったんだろう。
「おう、本当に山野じゃないか! いつか来るとは思っていたけど案外早かったな」
「真鍋ぇ…」
「何の用だ?」
「取り敢えず大学の同期会をひらこうという話が最初なんだが…、そういう話をする状況でもないよな」
「なんでだよ」
真鍋は不思議そう顔をする。
「まず、この竜だよ。なんで現代日本で竜にのって出てくるんだよ!」
「竜じゃない、ワイバーンだよ」
「どっちでもいいよ!」
「あと、現代日本でもない。ここは『アンロクドル』、言うならば異世界だよ」
「いつの間に異世界!?」
「来る時に古ぼけた木製の扉を通ったろう? あそこが入り口」
「ヤナセさんは教えてくれなかったぞ…!」
一通り驚いて、私は地面にへたり込む。
ここは異世界で、真鍋はワイバーンに乗って登場する。
すっかり変わってしまった真鍋と会う覚悟はしていたが世界まで変わっているとは思わなかった。
全くの予想外だ。
「元気そうだな、山野は。あと、ちょっとハゲたか?」
しかも本人の様子はあまり変わっていない。
若々しく、昔よりも少し筋肉質になり、髪が伸びたくらいか。
なんだ、なんなんだ。
ガッカリしたような、安堵したような。
「余計なお世話だよ。いやいや、そうじゃない、そういう話をしている場合じゃないだろう」
「そうか?」
「聞きたいことが多すぎて、上手く整理できないな。そもそも、なんで異世界なんだ」
「怪しい宗教団体だったろう? 隠れ蓑なんだ。発見した異世界への入り口を隠蔽・運営するのは」
「運営?」
「ヤナセから聞かなかったか。潰れかけの宗教団体を買収して異世界と日本との通路を運営しているんだ。現代社会で行き詰まった人間をこちら側に連れてきて生きる道を提供するのが、あの団体のコンセプトだよ」
そうだったのか、だからあんな怪しい宗教に見えたのか。
「オマエが創設者だったのか…」
「金だけはあったからな」
「てっきり宗教にハマって身代巻き上げられたと心配したのに」
「残念だったか?」
「騙されるヤツじゃあないとは思っていたけどなあ」
「そこは『勿論』というしかない」
「お前のオヤジさん『一度くらいは家に帰ってこい』って言ってたぞ」
「考えとく」
「河田美津子も同期会したいと言ってたし」
「アイツなあ、社会人になってからずっと二股かけてたんだぜ!? 今更会う気もないわ」
「それはショックだなあ」
河田美津子がそんな女性だったとは。
そんな風に私と真鍋は昔話に花を咲かせる、この奇妙極まりない状況は置いておくことにした。
会えなかった15年を埋めるように話を掘り返していく。
彼は警察官として勤務する最中に、ふとしたきっかけであの『異世界へと続く扉』を発見したことが全ての始まりだったそうだ。
それを運営するために「輝望の集い」を作り、少人数を異世界へ導くこととした。
その第一号が他ならぬ彼自身だった、というわけだ。
破天荒極まりない話を聞きながら、彼が学生時代とまったく変わっていないことに安心と少しの嫉妬を覚える。
私はこんなに不幸だというのに、彼はこんなに生き生きとしている。世の中はなんと不公平なんだろう。
似たような境遇、もしくは真鍋の方が可哀相な状況で互いの傷を舐め合うがごとく酒を飲めれば良いと思っていたのに。
不幸なのは私だけだったようだ。
「それで、どうする? この『アンロクドル』に住んでもいいんだぞ?」
唐突に真鍋が提案してくる。
「なんでそうなる」
「いや、オマエのことだ。何もかもに行き詰まって此処に来たんだろう?」
「……」
「現代日本で生きていけない、居場所を失った人間を受け入れてくれところでもあるんだ。環境はお世辞にも良いとは言い難いがな」
「私には妻も娘もいるんだぞ……」
「それと人生の行き詰まりは関係ないだろう?」
確かにそうだ。
「オマエはあの世界じゃいつか絶対に行き詰まる、そう思っていたよ。オレもそうだったし、オマエはオレに似ている」
それは学生時代の頃から思っていたことだ、根っこの部分では似通っている人間同士が出会ったと思っていた。
その片方が、こうやって見知らぬ大地で生きていくことを選択した。
私もその方が良いのではないかと助言してくれている。
失望を重ねるだけ、私の人生はだいたいそんな感じでしかなかった。
齢を重ねることで上向くとも思えない。
ならば、この新天地で1からやり直すのも手だろう。
だから、私は答えるために口を開く。
「いや、やめておこう。私にとってオマエが用意してくれた世界に安住するのは逃げでしかない」
「そうか…」
真鍋は少し残念そうな顔をして私の決断を受け入れる。
由美子や沙月が大切なわけではない、私はまだ現代社会で頑張れそうだ、と感じただけだ。
この「アンロクドル」があれば。
見知らぬ異世界でワイバーンに乗っている真鍋がいる、ということを知っていれば。
どんなにつまらない生活でもおくっていけそうな気がしたのだ。
だからこそ、この異世界で生きるべきではない。
「すまないな、せっかく誘ってもらったのに」
「後悔はしないか?」
「多分すると思う。でも、いいんだ」
そう言って、私は笑った。
なんだか久しぶりに心の底からの笑顔ができたような気がする。
「そうか。残念だよ、でも会えて良かった。また、此処に来てくれよな」
「もちろんだ。年に2〜3回くらいは遊びに来たいよ」
どちらも信じていないことを言葉にしているような気がする。
いわゆる、社交辞令だ。
数時間、彼が持ってきた葡萄酒を飲みながら語り合い、それで終わった。
私達は固い握手をして別れる。
おそらくは二度と会わないことを感じながら、「またな」と言って別れる。
本当によくある話でしかなかった。