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完全無欠の番

作者: 王加王非


 西暦二二九八年

 それは脳味噌が溶け出しそうなほど暑い日曜日。

「私達が作るものは社会を変えてくれるかしら?」

 そう言い残して私は人探しの旅に出た。


 あの日と同じく茹だるような蒸し暑さに、銃声さえも湿って聞こえる。

 これで何人目だろうか。暑さのせいか数もまともに数えられなくなってきた。

「貴様が何故ここにいるッ!」

 知らない顔が私の顔を見て狂気に顔を歪ませている。

「――」

 私が口を開くよりも前に、男は手にした銃を発砲していた。

 男は間もなく血飛沫を上げてひっくり返ってしまう。

 この蒸し暑さの中、これ以上加湿しないでほしい。

 そもそも聞く気がないなら話し掛けないでほしい。

 ああであってほしい。こうであってほしい。

 やはり人間は無欲にはなれないのだ。

 科学とはほとほと貪欲さと腐れ縁なものではあるが、大局的に見れば欲望を叶える以上に、今満たしたはずの欲を再度飽きさせるための模造の複製乱造に利用されることの方が多い。

 それを考えると科学進歩の犠牲者がこうして科学者を逆恨みする気持ちも、いや……気持ちだけはまあわからなくもない。

 障害物を突破する手段は用意していない。

 眼前に広がる白いコンクリート壁を打ち破りたくて、転がった知らない男の手から目ぼしいものを拝借する。

 粘土のようなものを壁に放り投げて爆発させる。

 しかし、壁にはヒビ一つ入らなかった。

 あゝ、なんということでしょう。

 これから先、私の障害突破力の無さによる苦労に一抹の不安を覚えつつ、仕方がないので近くに有ったダクトから侵入した。

 室内の廊下に降りるための出口が開けられず、もう一度男から粘土を剥ぎ取りに引き返した。

 身を挺して敵アジトのダクト清掃をするつもりなど毛頭無かったのだが、この兵装に可変式機構と自浄効果を実装しておいて本当に良かった。

 爆破した天井裏から這い出ると視界を埋めるのは白い床と壁、鼻を刺すはアルコール臭。

 派手に建物内のダクト口を爆破したためか、飛び降りた廊下には既に幾人かが群がっていた。

「まさか生きていたとはな。廿樂燎子(つづらりょうこ)

「毎度ご贔屓頂き恐縮です」

 白衣の上から全身を覆い隠すように纏う退紅海蜂(アラゾメウミバチ)

 その名の通り退紅に彩色された奇抜なレインコート。

 退紅海蜂から伸びる十三本の触手状スカートの裾を軽く摘み上げて膝を折り、頭を下げた。

 狩衣のような角ばった衣装でありながら、海月のように浮力を感じさせる所作はタキサイキア現象と錯覚するほど見る者の体感時間を引き延ばす。

 それは条件反射的に恐怖心を煽る、敵対者へのせめてもの警告であり、慈悲である。

 そんな私の自己満足でしかない礼儀は誰に通じることもなく、下げた頭の旋毛に容赦なく向けられた銃口がいくつかあった。

 そこからいとも容易く飛び出した弾丸らは、たったの数センチメートル先で待つ私の脳天に届くことはなく、その全てが退紅海蜂に飲み込まれる。敵性を感知した退紅海蜂によって銃は砕け、握る腕から血飛沫が上がる。

 先程まで白に統一されていた床や壁にはまたしても血肉が飛び散り、漂っていたアルコール臭は硝煙やそれらの臭いで塗り潰された。

 しかし、私の周囲の五、六人が人の原型を失い幾人かが私との距離を取った後も、目の前には青白いヘルメットを被った男の姿があった。

 バイザー越しに煌く後退した額が嫌に目についた。

 ガラクタの性能を信じ、その切っ先をこの私に向けるハゲ頭の度胸には感心せざるを得ない。

 今どき自警団なんて流行らないだろうに、彼はこんなガラクタに頼ってしまったのか。

 本当に愚かしい。素直に警察や軍にでも任せておけば良いものを。

 全身に纏う金属装甲とそれをコーティングする青白い燐光を見るには、まあそれら以上に期待できてしまったのだろう。

 試作アイギス参番型――浅葱螢(アサギボタル)は粒子拡散収縮を完全制御化したホタルシステムを搭載した超臨界金属塊を謳った破壊兵器。

 絶対的な攻撃性を持ってして主の存在維持を試みようという主旨の代物。

大池源一郎(おおいけげんいちろう)様ですね、不良品回収にお伺い致しました」

 得意でもなんでもない営業スマイルを浮かべて言ってやった。

「っ。貴様……どちらでも構わん。これを今更返す気などない」

 このハゲはこの期に及んで私がアイギスの経済効果に目が眩んだとでも思っているのか。

 今こうして姿形は違うとはいえ、私自らもアイギスを纏っているというのに。

「参番型は攻撃性に特化し過ぎたガラクタです。ホタルシステムのエネルギー供給元のハードコアも負荷に耐えきれず経年劣化が予想されます。それは本来の私のコンセプトとは異なります。廃棄処分対――」

 そこまで言うと大池は両手から放出される青白い光を私に振りかざした。

「貴様の事情など知った事か」

 確かにこの攻撃極振りアイギスのSCFSの高い溶融性はその後継機たる破型アイギスやこの退紅海蜂にとっても脅威となりうる。

 だが、私に振り下ろされた光刃が退紅海蜂のアイギス装甲を穿ち、私の肌に触れる。それよりも先にホタルシステムを退紅海蜂が破壊する。

 装甲同士の僅かに触れ合う部分から鎧袖一触……なんてことはなく、大気中に漂う退紅海蜂の交感性自戒粒子キロネクスが浅葱螢の攻勢を認識した瞬間に始末する。

「なんだこれは、どうなっている! こいつが最強のアイギスではなかったのか」

「確かに浅葱蛍が世界最強の兵器であるとされたことはありましたが――」

 ――今しがた開発者が不良品って言っただろうに。

 人は一度力に驕ればこうなるのか。

 アウトプットのみの世界。

 五感など遠に捨てたか。

 今の大池はまるでミミズに小便を掛ける子供のようだ。

 いやまて、そうなると私は小便を掛けられるミミズではないか。

 それは少しばかり不快だ。

 自壊毒キロネクスの侵食が進み、ヘルメットが青白い閃光を照り返しながらそのまま綺麗にすっぱりと割断される。

「ほんの少しだけ、毒を盛らせて頂きました」

 絶対的な攻撃性は決して防御機能の向上には繋がらない。

 やられる前にやってしまえという戦術に縛られる攻勢兵器なんてものは私の計画においてはとどのつまり殺れないと殺られる不良品というわけだ。

 攻撃は最大の防御かもしれない。

 だがそれは、本来の防御に要する半永久的持続性を伴っているか。

 答えは否、存在に適う速度はありえない。

 光の速さを持ってしても既に座っている相手と椅子取りゲームをして勝てるわけがない。

 奪い取ることを是とした時点でこの浅葱螢は私のアイギス計画の本懐と矛盾していた。

 その高い攻撃性をもってしても先制できなければ意味が無いのだ。

 もっと早く気づくべきだったな。

 SCFSがなんの略だったかはもう忘れてしまった。

 今となってはその程度の代物でしかない。

 元々この参番型は現代兵器の全方位一斉射によってあっさり抜かれる程度の防御力しか持たず、アイギスシリーズ屈指の失敗作と私の中で専ら噂されている。

「それはさておきベニクラゲの開発資料はどちらでしょうか?」

「この浅葱蛍一機のみを残して全て消去したのは君じゃないか」

「――あぁ、そう。そうでしたね」

 そうか。じゃあレシピだけが出回っているのか。

 キロネクスに毒され自らのホタルシステムによって完全に破壊された浅葱螢とその中身にもう興味は無い。

 私が次に何をするか。それを真剣に考えなければならない。

「――まずは残りのアイギス。それでいいんだよね?」

「何の話だ。他種アイギスのことなど――」

「申し訳御座いません、こちらの話です」

 そう言って足元に転がるアサルトライフルを適当に拾って、青白い光を失った大池の鏡面バイザーに弾丸を数発バラ撒いた。青白く輝いていたバイザーがあっけなく赤黒くくすんだ。

 せっかく拾ったアサルトライフルもトリガーを引いた直後一瞬で溶け落ちてしまった。

『杳子が五機の試作アイギスを生み出したことは知っているね』

「だから、あと四機倒せばいいという話では?」

『いいえ、私達は既に世界各国に配布された残りの試作アイギス三機は回収済みよ』

「あら、そうなの」

『ベニクラゲの開発資料の原本には貴方が一番近いわ。詳細は転送しておいたわ』

「ええ、今確認したわ。新宿……良いの?」

『人は血を流さなければその重大性がわからないものよ。殊に革命なるものは』

「まあ、そうかもしれないね」

『私達はここで用済み、貴方にすべて託すわ』

 人の盾が絶対でないことは知っている。

このアイギス自体がその証左だ。

 私達はいつから人の死を軽んじる様になったのか。

 命の軽い重いには思うことはある。

 ただその思想が私自身のものかは果たして――。


 西暦二一八二年、日本の人口は八〇〇〇万人にまで落ち込んだ。

 少子高齢化社会の補填を目的に日本は世界警察が極秘開発した人工知能を搭載したドローンによる第三次高度経済成長に成功した。

 技術力にものを言わせて経済を支えることに成功した日本は国民の命の数も技術にものを言わせて補強した。

 廿樂遼子が翌年二一八三年、副作用の無い完全なる長寿薬セーシェルタートルを開発する。

 定期服用による推定平均寿命は一四○年。

日本中がその激的な科学進歩に揺れた。

 老化遅延効果も相まって定年を最低でも三○年は引き延ばすべきであったが、日本政府はセーシェルタートル服用者対象にたった五年で消費税を五○%にまで引き上げた。

 セーシェルタートルは安価で服用は義務ではない。

 しかしその恩恵と周囲への厄災は計り知れないものだった。

 国益のため海外展開を禁じられたが先進諸国からの強い注目も浴びていたのもまた事実だ。

 高齢者や若者を中心に広がり始めたセーシェルタートルの効果は、服用を初めて一年も経れば明らかだった。

 中高年を中心に国民の多くがそんなうまい話があるかと副作用発症のニュースを待ち望んでいたが廿楽遼子に限ってそんな失敗は起きえない。

 未知への危機感を抱いた者らのセーシェルタートルへのデモ活動はいとも容易く封殺された。

 人間は革新的な者か保守的な者かに二分できるだろう。

 日本人というのは隣国の概念の存在しない島国の国民性からか調和を重んじる。

 また、日本という地は人間の原始たる南アフリカから最果てに位置する。

 ある種の両極を備えた日本国民が採るのはいつだってモノ言わぬ多数決である。

 少子高齢化の最大の課題は少子化だ。少子化対策の弊害になるのならいざ知らず、誰にも迷惑を掛けないとあらば、少しでも長く生きたいと望むものだ。

 セーシェルタートル発売から二○年、国民の約九○%が、その効能に惚れ込み、または自らの周囲との相対的老化加速への恐怖からかセーシェルタートル常用者となった。

 反対派だった賢明な国民らも自らその身をセーシェルタートルに漬け込んで実感した。

 人間という生き物は生きるだけでお金が掛かるということに。

 貧困層によるデモ活動は超高所得者層の指示の元、政府がマスコミも懐柔してかき消された。

 起こりうる国民の反発を時期的に分散させることでそれを異端とした。

 出る杭を打つ。

 大人しげな日本人がここ数百年で会得した国民性の有効利用だった。


 すっかり日は暮れ、見上げた高層ビル群は外郭を闇に溶け込ませ、無数の窓から四角く切り取られた光を放っている。

「どれだけ科学が進歩しても人体輸送は決して楽にはならないな」

 倉庫に見せかけた秘密工場がある長崎の西端から東京まで丸一日掛けて漸く到着した。

 退紅海蜂が手荷物検査に引っ掛からないという確証が持てず、飛行機を避けた結果がこれだ。

 時を経る度、狭く高価になる東京のビジネスホテルに適当にチェックインして、ホテルのベッドに子供のように飛び込んだ。

 飛び込んだ布団は柔らかく、顔を埋めた枕はいい匂いがして、ビジネスホテルごときになんだかしてやられた気がして少しだけ悔しかった。

『お疲れ様。明日の正午には私達も東京に到着するわ。それまではゆっくりと休息をとって――ふふ、最期の東京観光もいいかもね』

 戯けた声でそう言い残して通信を切った遼子の言葉を素直に受け取った。

 昼間、私の遼子に零した疑念はきっと、『スパゲッティを箸で食べてもいいかしら?』という程度の質問でしかない。

 賛否両論あるだろう。もしくはどうでもいいことだろう。

 しかし、心の奥底で誰もが一考し、持論を持つだろう。

 自分の意志や意見を持つことは大切だ。でもその意見を必死に正当化しようとする自分に気付いているだろうか。

 自分の吐いた嘘に対して正否を判断できるのは実のところ自分しかいない。

『自分に嘘を吐くな』なんてよくそんなこと言ったものだ。

自分を偽っていることを自覚できる人間なんてそうは居ないのに――。

 私を誂う遼子に対して何も思わないのは、遼子自身もそこに疑念を抱いているからだ。

 私は完全透明化させた退紅海蜂を装着したまま、なんとかスーツから真っ白なワンピースに着替えると夜の東京へと繰り出した。


 二二○五年、日本人口は一億人を超えていた。

 日本は寿命延長による超高齢化社会へと大きく舵を切っていた。

 国民は実に愚かだった。当時の出生率からでは二十年あまりの間、たったの一人も人が死んでいなくてもそんな数字にならないということにさえ気づいていなかった。

 その国民増加内訳は実に簡単だった。

 国民がセーシェルタートルに注目を向ける間に、国家は静かに移民政策を進め、こともあろうかその移民政策の効果をセーシェルタートルの効果と誤認させる。

 国民らがその真実に気づくより先に、売国阻止を謳い日本軍の政府要人の暗殺により他国の政府占領を阻止した。

 当初マスコミは暗殺事件を国民に伏せていたが、その後の日本軍による大々的なクーデターにより真実は白日の下に晒され、マスコミの事件隠蔽が裏目に出て国民の注目を集める事となる。

 一年後、日本軍のクーデター成功という事態を危険視した世界警察は経済制裁をチラつかせた日本への政治介入により、統治国家再建を図る。

 超高齢化社会の最大の課題である年齢的多数派優遇と育児制度軽視に歯止めをかけるべく、世界警察を筆頭に国連の指示の下、日本は年齢比率選挙を半ば強制的に施行させられた。

 最大多数の最大幸福は呆気無く崩れ去った。

 政治経済共に科学技術の進歩に追随し発展を遂げた後収束を迎え、少子高齢化問題の深刻化が進む先進諸国にとって日本は良いモデルケースとなった。

 移民による流通によってセーシェルタートルは大陸に流出していたが、世界警察や連合国は自らそれらによる社会的影響を危惧し、いまだ規制していた。

 世界各国は日本での法整備を優先した後、その結果を鑑みてセーシェルタートルの販売へと踏み切った。

 日本新政府はこの事態を是とせず、国連撤退後、各国の監視を出し抜き、かつて政府が依頼した長寿薬を超える不老薬の開発を遼子に依頼する。

 それから僅か一ヶ月後、遼子は予め用意していた完全なる不老薬ベニクラゲを発表し、日本中で販売された。

 人類は不老不死を獲得した。

 廿楽遼子のネームバリューは一つのブランドとして扱われ女性を中心に飛ぶように売れた。

 一年後には政府主体で無償頒布を行う事となった。

 新政府は身体老化が無くなり、怪我や病気も激減するとして、大幅な平均寿命の上昇を見込んでいた。

 しかし、そううまくは行かなかった。

 確かに怪我は減った。病死はあまり減らなかった。

 国民の健康への意識が低下し生活習慣病は身体機能が衰えない分減少したがそれも限界を迎えた。遺伝的な病は勿論のこと精神年齢と肉体年齢の乖離が精神に及ぼすストレスは馬鹿にならなかった。

 不老がそのまま健康を示しはない。

 国民の多くがそれを理解していたはずだった。

 しかし、感覚的に理解が及ぶ頃には既に手遅れだった。

 不老化と投票権年齢人口比率均等化により年長者優遇政治は終了し、年金制度の見直しにより定年は六○歳から一二○歳に繰り上げられた。

 麻薬認定への動きが再度活発化したが、新政府が協力を依頼した廿楽遼子の所属する製薬会社大地製薬やその親会社ガイアの多額の献金によって政府はそれを鎮圧させることとなる。

 献金資金は海外への密売で賄われていたが力の源に意味などない。

 ここに来て服用そのものを拒む者も少なからずいたが、国政がベニクラゲ常用を前提としたものであり、その薬にリスクや副作用もなく、より健康体で働くことができる環境の中、肉体的な病に関する社会福祉は廃れ、老いによって自ら労働の義務を放棄しようとする者に手を貸す者がいるはずがなかった。

 それから十年程で今度こそ純粋な国民の増加となる。

 それに伴い消耗品を始め国の金が回り始め、随分と景気は良くなった。

 画して人材たる人間そのもののドローン化が進み、年齢層の多分化による所得の瞬間的格差、勤続年数倍増によって生涯賃金の格差は深刻化し、資本主義社会の寿命をより一層縮めることとなる。


 夜の東京は何年経ってもその色合いにあまり変化はない。

 第三次経済成長前後で街の光量が変化することも無かった。

 ただ、道行く人々の多くが若々しい。ネオンライトの割合は昔より増えただろうか。

 しかし、違和感は拭えない。道行く人の歩き方は身体よりも精神に理由がある。

 肩で風を切るように歩く人はそうそう見つからない。

 抜き身のナイフのような危なげな輩が居ないのだ。

 どれだけ頭が悪かろうと生き続ける限り人間は年を取り学習する。

 死に怯え、背負う寿命の長さに茫漠とした絶望を感じている。

 彼らの絶望も後の数百年の世代交代が終われば嘘のように消えて無くなるだろう。

 適当に入った中華料理店で出てくる飯はとても精密に調合され寸分のミスなく調理されていて、不味いと思うことを決して許さない味と食感だった。

 厨房に人はいない。フロアにも店員と呼べるものはいない。あるのは券売機と監視カメラ。

 それと全自動調理器と配膳ドローンのみ。

 客は疎らだが、繁盛していると言っていいのだろう。

 券売機に表示されていた金額かそれなりに高かったように思う。

 廿楽遼子の世紀の大発明は世界を変えた。

 ありとあらゆるものを変えたはずだったのに、世間様はこうもなにも変わらない。

 二○○年も経てなお、第一次産業革命前後のような景色の変化はなかった。

 硝子越しに雑踏を見つめる間にいくらか冷めてしまった炒飯は、それでも美味しかった。


 確かに廿楽遼子は世界を変えた。

 エリクサー。

 水銀。

 アムリタ。

 数千年前から数多の人々が喉から手が出るほど欲しがった永遠の命を齎した。

 しかしそれは、全人類はもちろん国民の総意でさえなかったのだろう。

 日本において、神仏への信仰は非常に希薄である。

 人智を超えた所業から遼子はまるで宇宙人のような扱いであった。

 極秘裏でありながら、ベニクラゲのレシピはすでに公表されていたにも関わらず、廿楽遼子自身がありとあらゆる国家、機関、組織に狙われることになる。

 長寿薬セーシェルタートル、次いで不老薬ベニクラゲを生み出し巨額の富を得たはずの遼子を含めその開発チームは一人のこらず闇に葬り去られた。

 一度蹂躙したはずの日本からベニクラゲという更なる劇物が現れたことで、世界警察のメンツは丸潰れし改革は徒労に終わる。世界はベニクラゲに連なる富と権力を強奪しようと躍起になった。

 しかし、私はそれを認めなかった。


 ビルの照り返す朝焼けに煌く新宿。

 その光景を拝むことはもう叶わない。

 空は黒煙と灰が覆い、天を穿つべく聳えた鉄とコンクリートは跡形もなく消し飛んでいた。

 地を這う肉達は蒸発し、立ち込める赤黒い霧からは鼻を刺す異臭がした。

「そのしかめっ面。退紅海蜂とやらは匂いを感じ取れる機構になっているんだな」

 新宿に大きな穴を空けた女は長いポニーテールとネクタイを風に揺らしながら笑っていた。

 その手の社会で生き抜いてきたが故か、その艶やかな黒髪に反して口調は男勝りで、身に纏うはいくらか仕立て屋でケチを付けたであろう白いメンズスーツ。

 まるで歌劇団。

 頭に3DCGアイドルのコスプレの如く設えた二対のアンテナはその人と成りを考えれば拝啓も相まってシュールレアリスムを感じさせる光景だった。

「この兵器は人が人であるために創造されたのよ。有害物質は全てキロネクスが分解してしまうけれどね」

 我ながらこの荒野を目にしてよくもそんなことを言えたものだ。

「これだけの破壊兵器が人のためか?」

「だから言ったのよ。それは失敗作だから、返してって」

 高麗美澪。

 齢二十七にして大財閥ガイアグループの御曹司。

 ベニクラゲの効果か見た目はもっと若いが。

 社長令嬢にしてその手自ら父親である高麗隆一会長を殺した女。

「お前には感謝してもしきれない。この世界を統べる力と仕組みのすべてをもらったのだから」

「貴方にそんな恒久的なものは与えていないわ」

「ほう。そうであるならば、別に回収する必要等ないだろう?」

 全くもってその通りなんだけど。

 こんな苦労を強いられるのであれば、端から時限爆弾でも搭載しておくべきだった。

「いいえ、回収できる程度の力は世界を統べる力とは呼ばないというだけの話よ」

「わざわざ否定をしに来たわけか」

「糠喜びさせてしまったというのであれば謝罪しましょう」


 試作機を含む対核兵装アイギス五機による経った一年で集結した第四次世界大戦は全て廿楽杳子が糸を引いていた。

 人々の願いを叶えつつも廿楽遼子は死んだ。

 ただ、それだけの事実が、その実妹たる廿楽杳子を変えた。

 遼子は人に希望を抱いていた。

 無限の可能性という背中が痒くなるようなことを信じ、薬を媒介としてそれを成し続けた。

 それに比べて、杳子は人に関心がなかった。

 それが姉への卑屈だったのか、姉と対比した人類への失望なのかは当人にもわからない。

 ただ、杳子は遼子を人としてカテゴライズしていないことだけは確かだった。

 その姉を死に追いやったことで向けられた人類への関心と知性は兵器として顕現した。


「遼子の完全性は生物の域を超えていた。完全である遼子に過ちはない。だったか?」

「!?」

 高麗美玲は灰に染まる空を見上げつつ呟いていた。

「お前が誰かは知らないけど、私はあの時感じた廿楽杳子の狂信的な破壊衝動の熱を忘れない」

 その眼はあの頃と変わらずギラギラと野心に満ちていた。

「貴方は確かに、そのアイギスにふさわしい逸材だわ」

 あの頃と変わらず、持て余す財に飽きることのなく飢え続ける高麗美鈴という非常識的存在は私に活路をくれる。


 完全性とは一生物である人間の器では許容しえない。

 ならば環境が、世界が、完全性を擁せないことこそが課題である。

「存在しうる意志全てを敵に回してでも世界を変える覚悟はあるか」

 ――個を守りうる完全防壁とその存在の誇示は、願いを叶えるより先にその身が尽きぬために。

「破滅成す覇はその身を呪うと知れ」

 ――世界へ下す心無き鉄槌は、その先の世界には不要であるから。

「世界を変えたいと願うならこのアイギスを渡そう」

 ――その心が願う変革はこの盾が叶えよう。


 黒き爪は大陸の飢餓人に。

 緑の毛は中東の狂信者に。

 青き牙は欧米の守銭奴に。

 黄の尾は南米の無秩序に。

 白き翼は極東の破天荒に――。


白磁蝙蝠(ハクジコウモリ)、どういう意味でこんな名前を付けたか知らないけれど、私は気に入ってる」

 放射状射出型光子エネルギー炉をその背に搭載させただけの伍番型。あとは頭と腰に角か耳かよくわからないパステルカラーのアクセサリーを添えただけ。

 眩き閃光を補う為の敵性自動検知と自滅回避のための浮遊制動だけを追加実装したが故にその名前を付けた。

「気に入ってもらえたなら嬉しい限りだわ。ここで壊してしまうのが少し惜しいくらいに」

 この兵器は全てを壊してしまえば安全だろうというシンプルイズベストな思想で作り出した。

「巫山戯ているとは思わない? 今この私が望めば国が一つ滅ぶんだぞ?」

「確かに出力次第では世界を滅ぼせるようにしたわ」

「そんな代物を人に渡せるお前が、私は怖くて怖くてたまらない」

 いや、口角を上げて言われても、とてもそんな風には見えないのだけど。

「貴方の会社の総資産を軍事運用すれば同様の結果は得られるはずでは?」

 勿論、手間も時間も掛かるけど。

「ふン。虚無主義者かと思ったらそうでもないのか」

 もしかすると杳子はそうだったかもれない。

 けれど遼子は違ったろう。

「二人が求めたのは社会と個体の完全性であって破壊はその通過点でしかないのよ」

「神を気取ってお前たち廿楽は何度人を殺せば気が済むんだ?」

 最初は人の望みを叶えたかった。ただそれだけ。

 無辜な夢を抱き、それを実現しうる力が齎すは大虐殺ならぬ大虐生。そんな言葉ないけど。

「貴方ももう気付いていたのね」

「ナチスを始めアインシュタインやオッペンハイマーの関わったマンハッタン計画はこの国の民を焼き払うだけでなく、今なお、末裔が世界を蝕み、皮肉にも世界を豊かにし続けている」

「生前の罪を糾弾される機会をくれたこの今一時だけ、私は遼子に感謝しよう」

「!? 何を言っている?」

「貴方の言うように私は死の商人。ノーベルのダイナマイト然り、ガルストンのオレンジ然り。カラシニコフのAKでさえ兵器でありながら民のためを思い生み出された」

「だからどうした? それだけの脳があるんだ、人の多くは自分とは違って愚かだと気づけただろう」

「その通りよ。だから遼子は死の対局を目指して、セーシェルタートルやベニクラゲを開発した。もちろん海外へのリークを率先して行ったのも遼子本人よ」

 世界が救いたいわけではない。もっと個人単位で幸福を齎すことができたらとそう思った。

「ならば、今この瞬間に私とお前が纏っているアイギスはなんだ?」

「アイギスは人を殺すことができる。だけど、人を殺すためにあるわけではないの」

 アイギス計画の首謀者も実行者も廿楽杳子ただ一人。

「はぁ。だからこの兵器には起動スイッチがないのか。この受動機構の裏を欠くのは骨が折れたぞ」

「だから回収しに来たんだけどね? 貴方が杳子のカウンターシステムの誘発起動を手にしなければ、私がこの場に来ることはなかった」

 まあ違う目的で会いには来るんだけど。

「嘘は良くないな」

「あら、ごめんなさい」

 もちろん、高麗美玲が白磁蝙蝠のカウンターシステムを掌握することは推測できていた。

「私が例外なく人を焼き払うことを躊躇わないと知っていただろう?」

 白磁蝙蝠に出力調整機構は付いていても射出方向修正機構は付いていない。

 絶対的な防御の代償として備わったのは無差別破壊。

 開発当時、光子熱波の対応策は同出力光子熱波の衝突だけ。

 彼女自身とアイギス他、衣装を傷つけないようにすることくらいで精一杯だった。

 高麗美玲は何食わぬ顔でポケットから取り出したデリンジャーを自らのこめかみからわずかに離して突きつける。

「だから貴方には、かつて私が貴方にしたように私達の煉獄を作ってもらうことにしたの」

 閃光。銃声さえも熱波が掻き消す。

 デリンジャーごと吹き飛ぶかとも思っていたが、先程彼女が言っていた通り、大分研究を重ねたのだろう。銃弾のみが消し去り、まるで閃光が走る直前に巻き戻ったような光景だった。

「こうして死角がある以上、後継機があるのは予想できたがな」

「貴方に聞きたいことは二つあるわ、ベニクラゲの真のレシピの在り処について、そして、貴方はそのアイギスを失ったあともこの世界で生き続けたいかどうかについてなんだけど、どうかしら?」

「閃光直視でも効果なし。五感への影響を受動側で制御しているのか」

「これだけ私が余裕をかましてもまだ活路を見出そうとするところは大好きよ」

 二つ目の質問に意味なんかない。実のところ私はもう答えを出している。

 高麗美玲自身に決定権はない。

「そんなもの手にしたその日に捨てたさ。あのレシピのせいで安価であるはずのベニクラゲが安価で製作できなくなるからな」

「どうして?」

「お前はもっと社会を学ぶべきだったな。廿楽遼子が作り出したオリジナルレシピは多くの陰謀によってブラフを追記されたが、そのおかげで奇跡的にどれだけ経済が回っていたことか」

「薬は安くなければ意味がないでしょう」

「いいや、ベニクラゲを買う金は国でなく企業が補填すべきだ。なんなら私の総資産でもって全人類のベニクラゲを担保してやってもいいくらいだ。この私が言うんだ間違いない」

 高麗美玲にとっての総資産がこの世界であることが今漸くわかった。

 この女は元々世界を半ば牛耳っていた。それをすっかり忘れていた。

 この世界の万物が彼女の獲得しうる大事な資産候補である。

 いいや、忘れてなどいない。私はそうなるように仕向けたのだった。

「今は昔とは違う。国に力などない。それをわかっていたから私にお前は伍番型を渡したのだろう?」

「私達がもっとも恐れていた悪用方法に貴方が手を出す意味がそもそもなかったのね」

 戦争特需は世界統一者には存在しない。

 巻き上げる必要なんかない。

 ただそこで生きている限り高麗美玲の肥やしになる。

 すべての陰謀に対策を打とうと躍起になる自分に嫌気がさしたか、ぼやいてしまう。

「私達はライト達のように空を飛びたかっただけなんだけどなぁ」

「それで共犯者の私に何をして欲しいんだ? 廿楽の亡霊め」

 白磁蝙蝠を使う度、大地が抉れ、私は覚束ない足で抉れた先の地面に着地する。

 反重力装置を搭載した白磁蝙蝠装着者の高麗美玲は遥か高い地表でこちらを見下ろしていた。

「まあそれなら話は早いか……反重力装置を作れるのは今のところは私だけなんだ」

私はそう言って石ころを彼女の真下に放る。

「ふン、それくらいは考えたさ」

 赤き皮は冥界の御神霊に。

「そう」

 私が投げた石ころは本当にただの石ころだ。

 白磁蝙蝠の反重力装置を相殺させるものでも何でもない。

 石ころを閃光が焼く瞬間。

 私は私自身に予め仕込んでおいた反重力装置を作動させ、彼女の眼の前まで距離を詰める。

 私がその場に辿り着くまでに、数千回は白磁蝙蝠のカウンターシステムが私を敵性と認識し閃いただろうが、キロネクスの粒子制動機構によって私に光子熱波は届かない。

「共犯者であると自覚してくれていたなら話が早いわ」

 反重力装置は搭載したけれど、白磁蝙蝠に水平移動の機構は搭載し忘れた。

 逃げ場の無い高麗美玲に私が抱きつく形でキロネクスが彼女の白磁蝙蝠を破壊する。

「くっ」

 構えたデリンジャーを手首ごとキロネクスが吹き飛ばしてしまうが問題はない。

 苦痛に歪む高麗美玲に口移しで薬を流し込む。

 この年にして中々新鮮な背徳感と高揚感が得られた気がする。気のせいだと思いたい。

「殺戮の堕天使に告げる。たった今、私は貴方の生殺与奪権を獲得した」

 血に染まる純白のスーツからは高麗美玲の綺麗なそれこそ白磁のような腕が生えてくる。

「お前はやはり悪魔だな」

 その表情から察するに、痛みさえ一瞬で消えてしまうほどに即効性があるとは思わなかった。

 高麗美玲が噎せて吐いた血は体内に入り込んだキロネクスの排出だ。

 キロネクスは今のところ私への敵性以外には無力であり、自己免疫力の前では無力だ。

「私の出した答えを教えてあげよう」

 高麗美玲に飲ませた薬は生前の遼子の頭の中にだけ残されたベニクラゲありきの超速自己再生秘薬――不死身薬プラナリウム。寿命を縮める代わりに再生可能な全てを幹細胞から生成させる。骨を再生させるのはちょっと大変だったけど。

 因みに飲んだら死ねなくなる。体そのものが癌化するようなものだが、まあその辺は杳子のクローン達共々遼子の墓場に埋めておこう。

「お前、まさか?」

 高麗美玲の瞳に映る私の瞳には無数の機械仕掛が透けて見えた。

「進化と完全は相反する。故に私は、進化する機械を纏う完全な生物で有ることにした」

 この身は朽ちぬように、人工知能として。

 この衣は朽ちぬように、機械生物として。

「化物め」



 ベニクラゲで世界の覇者となった高麗美玲はその財をもって日本の法を裏金と圧力でもって変えた。

 社会主義に次ぐ資本主義経済は不老不死の人の身には合わない。

 教育の完全無償化、及び有償教育の完全規制。

 贈与税、相続税率を一〇〇パーセントにし、出生時の経済格差を抹消した。

 選挙権は存在せず、機械的に選ばれた学生がその数十年後にその任に就く。

 日本軍は解体され、廿楽姉妹の開発した様々な新薬と兵器の再現へと資金繰りがなされた。

 消費税率と法人税率が飛躍的に伸び、所得税と固定資産税は大幅に下げられた。

 不明瞭な生活保障は完全に撤廃し、障害者福祉は大幅に増額された。

 死刑は撤廃されベニクラゲ服用を強制化した終身刑のみとなった。

「一世一代でなければ、人権と平等が保てないとそう言いたかっただけじゃない?」

「いいえ。平和に向けた戦争抑止は兵器ではなく、その国の保有する研究開発力だと言いたかっただけよ」

 また人々が新世界に足を踏み入れるなら、その時は新しい社会を用意しなくてはならない。

「それで、私はいつになったら死なせてもらえるのかしら?」

「とりあえずは私達が作った兵器と薬が模倣できない限りは貴方に世界を統一させるわ」


 ――完


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