9話 死従者
さすがにさっきの一撃は危なかった。
いくら<死従者>で不死身になったとはいえ体の重要な部分を破壊されれば、動くことは出来なくなってしまう。
「……どうやら手加減はできないらしいな」
俺は肩に担いだ大剣を一瞥すると、肩から離して久しぶりに鞘を外す。
刀身と鞘の擦れる音とともに一気に引き抜く。
白銀の刀身を月光の元にさらした姿はどう形容すればいいのだろうか。
血を吸う鎌のように妖艶か、白雪山の頂きのように美しくか、抜くたびにそんなことを考えてしまう。
大聖剣<フロドベニン>、それがこの剣の名前である。
「ぐるぅおおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げ、地響きを響かせてミノタウロスが突進してきた。
一撃を与えても倒れなかった俺への怒りからか、片方しかない目を真っ赤にしている。
そして大上段に振りかぶった大槌の剛撃を繰り出す。
だが、俺は剣を片手で横へ動かすことで大槌を弾く。
返す動作で両手に持ち替えた剣をミノタウロスの二の腕に向かって振り下ろす。
奴は筋肉を膨張させることで剣を止めようとするが、無駄なのことだ。
先ほどとは違い、フロドベニンの鋭利な刀身はやすやすと腕を両断させ、ミノタウロスに絶叫を上げさせる。
さらに、俺は跳躍して剣をミノタウロスの首筋へ向けて横薙ぎにする。
これも奴は角で止めようとするが、フロドベニンは角を砕き、肉を裂き、骨を破壊する。
斬撃はいとも簡単に牛の首を巨人の胴体から切り離した。
俺が地面に着地してしばらくするとミノタウロスも重い音を響かせて大地に横たわる。
今度こそ起き上がることはないだろう。
一合目に打ち合ったときと同じ動作であったのに、俺は簡単に<暗黒種>の命を奪ってしまった。
それもたった一本の剣を抜いただけで、だ。
それゆえ、この剣の恐ろしさがわかる。
これなしでは<暗黒種>に立ち向かえない人間の弱さを痛感するときがある。
乾いた拍手の音が俺の耳に届いた。
見るとそこにはバッガスがさも愉快そうに笑っていやがる。
俺の気分はそれだけでうんざりしてくる。
「さすがだな、ネイ。まさか<死従者>で大聖剣まで持っているとはな」
そこでバッガスは言葉を切り、意味ありげな表情をしてみせる。
「これで確信がいった。お前だろ? 魔女の里の連中を助けた罪で殺されたっていう教皇庁の裏切り者は」
俺は肯定も否定もしない。そんな昔のこと当に忘れてしまったからだ。
それでもバッガスは続ける。
「楽しいぞ、ネイ。お前のような狂信者にあえてな!」
今までとは打って変わって悪鬼のような形相をしたバッガスは俺と同じ聖剣を振り上げながら迫ってくる。
「何言ってやがる。俺からしたら、お前らのほうが畜生以下のゴミ虫だよ」
俺はそれに対して身構えた。
聖剣が振り下ろされてきた。
ミノタウロスの猛撃とは違い、速く鋭い一撃だ。
俺はそれを何とか自分の剣で交差させて受け止める。
ちょうどバッガスと向かい合う形になった。
「くく、お前も俺と同じだ。戦いの中だけでしか生きられない。流血を求める人間なんだよ。だから、地獄から蘇ってきたんだろ?」
バッガスが俺に蹴りを食らわせてきた。威力こそたいした事はないが、一瞬俺の剣が鈍ってしまう。
バッガスはそれに合わせるように後ろへ下がりながら、すくい上げるような一撃を見舞ってきた。
避けることはできない、かといって剣で受け止めるには間合いがなさ過ぎる。
ならと、俺は自らの左腕を差し出した。利き腕ではない方だ。
金属が体内に侵入する嫌な感触が伝わり、骨まで到達した頃だろうか。
聖剣の進行速度が骨によって僅かに遅滞したときを狙って、バッガスの左肩へと斬撃を繰り出す。
バッガスの腕は肩の部分から完全に断ち切られた。
それからお互い数歩下がって距離を開ける。
少し落ち着いたところで俺は自らの左腕を見た。
腕の半分ほどが断ち切られ、かろうじて皮一枚でくっついていると言った状況だ。
切り口からは白い骨が露出し、鮮血が流れ始める。
もちろん、痛みはあるが我慢できないこともない。
所詮は不死者だ。
血もじきに止まる。
俺が大した傷を追っていないのに対して、バッガスの方は明らかに致命傷だ。
いくら重厚な甲冑を着込み、常人よりも体を鍛えているからといっても所詮は人間の範疇だ。
左腕が損失し傷口から大量の血を流していてはすぐに息絶える。
事実バッガスは荒い息をつきながら聖剣を支えにして、かろうじて立っているだった。
「もう剣を引け、バッガス。勝負はついた」
「いや、……まだ勝負はついてない。……俺とお前が、どちらかが倒れるまで勝負は……続く」
息をつきながら、また嫌味ったらしい笑みを顔にはり付ける。
俺はそんな奴の顔が今回は嫌に思わなかった。
それは純粋に戦いを求める表情、言い換えれば血に歓喜する表情。
俺にはわかる。かつて俺もそんな人間だったから。
「さっきの答え教えてやるよ」
俺が言い終えた瞬間、雨が降ってきた、最初は少なくやがて大粒の雨が。
雨は俺たちの血と泥を流して去っていく。
気まぐれで変わりやすい山地特有の雨であった。
そして再び夜の星と月が空に輝き始める。
「『地獄から蘇ってきたんだろ?』ってお前は言ったがな本当は、質の悪い魔女に叩き起こされたんだよ」
言い終えると同時に全力疾走。
足の泥濘も無視して走る。
それはバッガスも同じだ。
奴が何か叫んでいたことはわかったが何を言っているのかはわからなかった。
そして俺たちの距離が間近に迫る。
交錯は一瞬だった。
俺の垂れ下っていた左腕が水溜りに落ちる音が聞こえた。
その後に俺のはるか後ろで、もっと多きな音と水しぶきがあがる。
「あばよ、バッガス」
俺はそれだけ奴に投げかけるとサガとセレアの元へと小走りに駆けた。
もし俺も昔のままだったらバッガスのようになっていたのかもしれない、という考えは無理やり頭の中に封印した。
◆
髪から滴る水滴をわずらわしく振りながら俺は二人のもとに走った。
どうやら向こうでも決着がついているらしい。
だが何かがおかしかった。
ネジュラが拘束され、サガが魔法をかけ、それをセレアが見張っている。
だが俺の脳裏に嫌な予感が張り詰める。
まさか。
突然サガが口から血を吐いた。
その瞬間を狙ってネジュラの戒めが解け、蛇が俊敏に地面を這う動作でセレアへと向かう。
蛇の胴体でセレアをとぐろに巻いて動けなく拘束した。
「形勢逆転ですね、サガ! まさか自らの魔力を封印されているという噂も本当だったとは思いませんでしたよ」
セレアを拘束する手を緩めずにネジュラは高らかに笑う。
セレアの口を青白い手で覆っているのは魔法を使わせないためだろうか。
俺は動けそうにないサガと肩を並べる。
「すまん。雨のせいで魔力が乱れた」
素直にサガが謝るなんて珍しいなと、場違いなことを思いながら俺はネジュラと相対する。
サガが動けない以上、ここは俺が何とかするしかない。
俺はセレアを静かに見た。
彼女は視線だけで俺に語りかけてきた。
やるならやってくれ、という力強い瞳だった。
生きることをあきらめていないが、死ぬことも怖くないといった決意の眼差しだ。
「それではこれで終わりですね」
ネジュラはセレアを抑えていない方の手で青い炎の塊を発生させる。
ゆらゆらを燃えるそれは邪なものの魂に見えた。
「死になさい!」
呪詛の言葉と共に他人の命を燃やす炎が飛来する。
俺は素早く懐から二本のナイフを出して投擲。
一本は火の玉に直撃しまばゆい発光によって周囲の視界を奪い、もう一方はセレアを拘束するネジュラの手に突き刺ささる。
そして手の拘束が外れた瞬間セレアは気合の声を上げて、魔法を発生させる。
セレアの体にとぐろを巻く蛇腹に無数の氷の槍が突き刺さった。
その隙を突いてセレアは拘束を脱出する。
セレアの呪縛が解けた瞬間、俺の呪縛も解けネジュラへと肉薄した。
近づくにつれネジュラの絶望する表情が見える。
「ま、待って……!」
俺はその言葉に残虐な笑みと最高の一刀を持って答えてやった。
こうして長い長い夜は幕を閉じる。