6話 痛恨
俺はとりあえず牛頭とか蛇女とかその他諸々を無視して今の状況を理解することに専念しようと思う。
「で、今って一体どんな状況なんだ? 蛇とか牛とかがいるようだが」
「………あそこの蛇女ネジュラがこの事件の首謀者でクラビスに化けていた奴だ。牛のミノタウロスが蛇女の奴隷。バッガスはネジュラと組んでいた。村人はセレアの両親を裏切りネジュラに寝返ったらしい」
サガの口調ははっきりとしたもので俺は何も言うことが出来なかった。
何を言えばいいのかわからなかった。
だが、これだけはわかった、セレアの不安は現実になってしまったのだ。
「……セレア」
俺は地面にセレアを降ろすと、彼女の顔を窺う。
「ネイさん。私、何もなくなっちゃいました。お父さんもお母さんもお姉ちゃんもいなくなって………いなくなって、また一人ぼっちに……」
セレアは泣いていた。
瞳から大粒の涙を零して、何かに訴えるように、何かを探すように。そんな涙だった。
何を言えばいいんだろうか。
俺も失ったことはある。いろいろなものを失ってきた。辛く、悲しく、苦しい。
それは他人に理解させようとしても無理だ。
自分の痛みは、いくら突き詰めても自分の痛みでしかないのだ。
それを無理に他者が理解しようとすれば、逆に相手を傷付けてしまう。
だが、いくら痛くても、辛くても、悲しくても、苦しくても何かできることはある。
死者に出来ることなどないけど、何もやらないよりかはいいはずだ。
俺は少なくともそう思っている。
「セレア、まだ何も終わっていない。セレアの両親やお姉さんは死んでしまったけど、セレアにはまだ出来ることが残っているはずだ」
「私に出来ること……」
涙を瞳に溜めながら見上げてくるセレアに俺は一つ頷いてやる。
「生きることだ。辛くても、悲しくても、苦しくても前に進むことをやめちゃだめだ。たとえ何を失っても前へ進むことをあきらめてしまった人間はそこで終わりだ。生きていても死んでいるのと同じだ。そして、それはセレアの家族を見捨てたあの村人たちと一緒になってしまうってことだよ」
セレアの涙が止まった。だが、また眼を俺から逸らしてしまう。
「でも……でも私はネイさんやサガさんみたいに強くないのに」
「だから俺が助ける。セレアに力がないなら俺がいくらでも助けてやる。だから、セレアも戦おう」
これくらいしか俺は言えない。
俺はセレアを助けたり励ましたりは出来る。けれど心を救うことは出来ない。
絶望から這い上がるのは自分自身の力で、他人が出来るのは手を差し伸べることだけ。
だが俺は信じている、彼女が俺の手を力いっぱい握り締めることを。
「……はい」
セレアは決意を秘めた表情で力強く頷いた。
俺はそれに満足して微笑みを返す。
今日初めて心の底から笑えたような気がした。
「話はもう終わりですか?」
まるで獲物を睨みつけるような視線が俺たちに絡みついた。視線の来る方を向くとそこに蛇女――確かネジュラとかいった奴――が俺たち見ていた。
「ああ、終わったぜ。お前らゲテモノ三人組を始末するための話しがな」
俺がせいぜい皮肉っぽく言ってやるとネジュラは額に青筋三本立てて怒りやがった。
以外に挑発に乗りやすい。
ネジュラは傍らで俺に殴られてうつむくバッガスとナイフで手を負傷したミノタウロスを一瞥する。
「お前たちはあの青鬼才をやりな。魔女二人は私が食べて上げるわ!」
やたらと長い下で舌なめずりをしながら叫ぶ。
その言葉にミノタウロスは雄叫びで、バッガスは腰から剣を引き抜くことで答えた。
どうやら村人たちの方は何もしてこないらしい。まあ、その方がいい。
生きようとしない奴らは傍観でも決め込めばいいのだ。
「来るぞ。お前ら準備はいいか」
俺は邪魔になる外套を脱ぎ捨てて片手に剣を握りながら左右の二人に訊く。
「サガ、セレアをたのむ」
「大丈夫です」
セレアは毅然と俺の言葉をさえぎった。
俺はまじまじと彼女の横顔を覗き込む。
そこには何ものにも絶えがたい勇気という名の“力”が存在していた。
不思議と口元から笑みがこぼれた。
「そうだな。セレアの方こそサガを頼むぞ」
「貴様の方こそ死ぬなよ。生き返らせてやった借りはまだ返してもらっていないのだからな」
今度はサガが俺に言葉をぶつけてくる。俺はそれに満面の笑顔で答えてやった。
あの無感情な眼で睨まれるかと思ったがサガは苦虫を噛み潰したような顔で再び前へ向き直った。
それに俺も続く。
「それじゃあ、行って」
その言葉が終わると同時に俺は疾走していた。
狙うは巨体で鈍感そうなミノタウロス。
俺は奴との距離を瞬時にゼロにした。
だが、それはミノタウロスも予想の範疇だったのか両手に握る大槌を気合とともに振り下ろしてくる。
意外と速いが俺はそれを余裕でかわす。
同時に、ミノタウロスの腕に大上段からの一撃を浴びせる。
だが、奴は筋肉の膨張によって剣の体内への侵入を防御する。
さすがは<暗黒種>と言ったところか。攻撃も防御も半端ではない。
まあ、こちらも剣を鞘に収めたまま戦っているのだが。
俺は地面を強く蹴ると三メートル近い高さを跳び、ミノタウロスの首へ向かって横一線の斬撃を走らせる。
これも奴はこめかみから生えている二本の角で剣を弾く。
だが、俺の本当の狙いは首ではない。
俺は霞むほどの速さで懐から手投げナイフを抜き取ると、投擲することなくミノタウロスの充血した瞳へねじ込む。
嫌な感触が腕を伝うが、ナイフをさらに奥へと差し込み、ミノタウロスの胸板を蹴ると再び地面へ着地。
逆に牛頭の巨人は激しい絶叫を上げて大地へ倒れる。
ここまでの攻防およそ数秒、これでミノタウロスは無効化できた。
そんなことを考えていると腹から剣の切っ先が現れた。
しまった油断した。
考えるよりも速く背後に向かってがむしゃらに剣を振ると、あっさりと腹から覗いていた剣先が消えてなくなる。
俺が背後を振り返ると当然のようにバッガスが俺の血に塗れた剣を握り締めていた。
あの嫌みったらしい顔を俺に見せながらバッガスは喋りだす。
「やっとお前と殺し合いが出来るな、ネイ!」
言葉の最後に俺の名を叫ぶと袈裟切りの一刀を打ち込んでくる。
それを俺は後ろへのバックステップと剣の腹で遮って、威力を殺す。
しかし、バッガスはお見通しとばかりに剣を流れるように搦めて、三種類の斬撃をほぼ一拍の間に打ち込んでくる!
さすがは聖剣騎士団の分隊長といった所か。その辺の奴らとは次元が違う。
だが、
「こんな小手先だけの技で俺を倒せと思っているのか?」
俺は剣で奴の攻撃をいなしながら口をつく。
「いや、本命はこっちだよ」
俺がいなしていた剣をバッガスは自らの持つ聖剣で弾くと、俺に何か振りかけてくる。俺がそれを砂だと理解するよりも早く、瞬時に俺の視界を奪い、決定的な隙を作った。
俺は最低でも頭だけは守るために剣を顔の前に平行に立てる。
衝撃は真横から来た。
剣による斬撃ではなく、もっと巨大な身体全体への攻撃。
やばい本気で死ぬかも。
なすすべもなく森へ吹き飛んでいく中で俺は僅かに眼をあけて加害者の姿を確認した。
そこにいたのは大槌を振りかぶった姿勢の片目のない牛頭だった。