5話 村の真実
木製の両開きの扉を開けると、そこには地獄が広がっていた。
本来なら長椅子が整然と並べられている場所には足、腕、腹、胸、首といったあらゆる部位が引きちぎられたり、干からびたりした死体が転がり、なかには巨人に踏み潰されたかのような圧死体も見られる。
死体は室内に乱雑に置かれ、一面を赤く染めていた。
奥の一段高いところにある十字架に打ち付けられているのは崇高清らかなる救世主ではない。
両手両足を打ち付けられた、女の死体。
おぞましいことに女の顔には皮膚がなく、剥き出しの顔からは窓から差し込む月明かりによって未だに水気を残していたからだ。
「ひどいな……」
金髪の魔女サガは素直にそう感想を漏らした。
ただし彼女の感想は周囲の惨状にではなく、鼻が曲がりそうなほどに濃い血と腐臭にだ。
サガがいる場所は村の中央に位置する教会の中。
ネイとセレアが薬草を採りに行った後、彼女は密かに家を抜け出し教会へと来ていた。
目的はこの村に入ってから付きまとう違和感を調べるためだった。
そしてサガの考えは悪い方向に的中している。
サガは十字架を眺めていた。
正確にはキリストの変わりに張り付けられた身元不明の女性。
サガは思いをめぐらせるように目を細る。
似ているのだ。
その女が、顔はまだしも先ほどまでサガたちと談笑しながら食事をした女性と背格好が似すぎている。
と、突如サガの後方で扉が閉まる音がする。
そして、サガが扉の方を向くよりも早く教会の窓という窓から赤々と輝く松明が投げ込まれた。
教会内の温度が上昇するとともに、炎が燃え移り辺り一体が火の海と化す。
「ふむ、どうやらやつらも本気になってきたようだな」
そう言ってる間にも、炎の波が押し寄せてくる。
だが、サガに焦りの色はない。
『われ纏うは清き風の隣人』
短い言葉が教会内に流れた瞬間、サガに押し寄せてくるはずだった炎の波はその手前で止まる。
魔法――その言葉は<魔女>や<暗黒種>を語る上で欠かすことは出来ないものだ。
古くはエジプトやメソポタミアの呪術や祈祷から始まり、それを簡略化し言語形態に置き換えたものが魔法だといわれている。
魔法は自身の言語からなるが、言葉自体に意味はなく、発声することで空気を振動させ、自身の魔力を流すことで現象を起こす行為のことだ。
今サガが唱えた魔法は空気中に風の流れを作って炎を遠ざけるようにしたのだ。
ただしこのままではいつか教会自体が崩れて生き埋めになってしまう。
サガは教会の扉へ向かって歩き始める。
「さて、パーティタイムとしゃれ込むか」
口元に残虐な笑みを刻むと一歩また一歩と進む。
そして魔法を高らかに唱える。
『われ解き放つは開幕を告げし、荒ぶる風の帝王」
爆風が教会の内から扉を吹き飛ばした。
そこから現れたのは炎を背にして立つ、美しい金色の魔女。
それを迎えるのは松明を手に持つ村人の一団とその前に立つ微笑みを絶やさないセレアの姉、クラビスだった。
両者は一言も介することなく対峙していた。
サガは無感情な瞳で、村人は畏怖と憎悪の瞳で、クラビスはおかしいまでの慈愛の瞳で見詰め合う。
「お戻りにならないから心配していました」
先に口を開いたのはクラビスの方。
広場中に響き渡るようなよく澄んだ声であった。
サガの背後で燃える教会の光が彼女をさらに夜の中に怪しく照らす。
「茶番はよせ、<暗黒種>」
対してサガは射抜くような視線をクラビスに向けた。
「お前の魂胆は見え透いている。大方、魔女である私を食って不老不死にでもなるというバカバカしいことを考えているんだろう」
「ふふ、さすがは<夜魔の女王>。いえ、それとも<死を撒き散らす乙女>や<コンスタンティノープルの悪魔>と呼ぶほうがいいかしら?」
サガの挑発にクラビスはまるで楽しむように言葉を返す。
それにサガは眉間にしわを寄せた。
「知っていますよ、あなたのことを。闇の世界ではその名を知らぬ者のいない、最古の魔女。かつては、コンスタンティノープルで一〇〇〇人を虐殺し、第四回十字軍の引き金になった怪物」
サガはクラビスの顔を見た。
クラビスの顔の皮膚がめくれ上がり、剥がれていく。
そこには慈愛の笑みを浮かべていた女の顔はなかった。
口が三日月のように裂け、爛々と輝く瞳は爬虫類のような縦に瞳孔が走る。
服の破れた下半身は蛇の胴体が身体を支えて異様に長く青白い手が生えていた。
「ラミア種か。貴様、クラビスの皮を這いで、化けていたのか。どうりで臭いが人間のそれなわけだ」
「ふふ、あの女がどうしても妹を殺せないと言うものですから、家族ともどもあの世へご招待しました。神の御許へ送るなんて、わたし優しいでしょ?」
異様に長い舌で真っ赤な唇を舐めながら、異形の蛇女は恍惚と呟く。
<暗黒種>ラミアと云われる眷属が中東の土着信仰には存在する。
上半身が妖艶な美女で下半身が蛇の身体を持つそれは若い男、女を惑わせその血肉を糧として若さを保つといわれる。
「ああ! 今日は何という喜ばしい日でしょう! 最古の魔女といわれたサガの肉を喰い、血を飲み、骨をすする! 過去の伝説は息絶え、そして私が伝説になる日が来るなんて!」
蛇女は夜空に向かって高らかに笑い、そして静かに止まる。
「申し送れました。私の名はネジュラ。そして今宵のもう一人の魔女を紹介しましょう」
ネジュラは異様に伸びた指をパチンと鳴らすと村人の一団が割れ、二人の人影が現れた。後ろ手に縛られたセレアとセレアを羽交い絞めにするバッガスだった。
「サガさん……」
セレアは悲しみに涙を零しながらサガを見つめている。
先ほどのサガたちの会話から姉と家族が殺されたのを察したのだろう。
その顔には絶望が張り付いていた。
「お父さん……お母さん……、お姉ちゃん」
嗚咽を漏らすセレアを見つめながら、サガはいつもの無表情な顔を向ける。
だが、その瞳には憤怒の炎が宿っていた。
「心配するな、すぐ助ける」
この言葉にセレアは多少の驚きを表す。
果たしてサガは数分前にネイが同じ言葉を言ったのを知っていたのだろうか。
「で、そっちの髭面も貴様の仲間というわけか」
サガが次に言ったのはセレアを羽交い絞めにしているバッガスのことだ。
バッガスはニヤニヤ笑いを絶やさずにサガを見る。
「俺はおもしろいから、この化け物を手伝ってやっているだけだ。俺のことより、ここの村人の方がよっぽど悪人だぜ。何たって自分たちが助かるためにこのガキの家族や村を守ろうとした奴らまでを裏切っちまったんだからな」
「嘘……嘘よ……」
「嘘じゃねえよ。何なら教会に死体見に行くか? つってもすでに消し炭か」
悲痛な抗議の声を上げたセレアだったが、それも力なく協会が燃えて崩れる音に消える。
地面を見ながらか細い言葉を発し続けるセレアをサガは静かに見つめていた。
彼女が泣いているのかサガからはもう見えなかった。
その後ろでは、村人たちが小声で「貴様らなんかがいなかったら」とか「俺たちの生活を返せ」などの毒々しいまでの言葉を吐き出している。
魔女はいつでも何処でも忌み嫌われる。
ネジュラが片腕を上げる。
それだけで村人の声が止まった。
「さて、それでは宴をはじめましょう。血の宴をね」
ネジュラの言葉が終わるとともに家屋の一つが爆散した。
夜空に広がる土煙から現れたのは巨人だった。ただの巨人ではない。
三メートルはある巨大な背丈の頂上には牡牛の頭部が鎮座している。
体は全体的に赤黒く、腰に毛皮を一枚だけ巻き、手には無骨な岩を砕いた大槌を握り締めている。
<暗黒種>ミノタウロス。ギリシア神話にも登場する半獣半人の化け物である。
凶暴で気性が激しく、人間など太刀打ちできない怪力を誇る。
サガは瞬時に悟った。教会の中の死体はこいつがやったのだ、と。
ミノタウロスは咆哮を上げながらサガに大槌を振り下ろす。
その攻撃を横に転がって避けるが左腕に裂傷が入るのがわかった。
「ははは! どうですか? そのミノタウロスは私がクレタで拾ったものです。さあ、楽しませてくださいよ!」
再びミノタウロスが大槌を振り上げる。
サガは避けながら疾走。
大地を陥没させる剛撃をかわしながら反撃の糸口を探るが、攻撃の手を緩めないミノタウロスに防戦一方となる。
サガとミノタウロスとの行為が数回ほど続いた頃だろうか、サガは突然動きを止めてしまう。
「どうしましたか? もう逃げるのは終わりですか?」
ネジュラは蛇の尾を振りながら愉快に笑っていた。
自分の勝利を確信し、負けることなど考えていないかの様な表情である。
「いや、逃げる必要がなくなった」
「そうですか。なら死んでください」
それと同時に大槌が振り下ろされる。
その一撃はサガの骨を砕き、肉を裂き、確実な死を与えるものだと思われた。
そう、サガとサガの相棒以外は。
森の中から夜の闇を切り裂く銀光が三閃。
それらは狙い違わずミノタウロスの大槌を握る手の甲に命中する。
大槌の軌道が外れ、サガの真横に直撃した。
そして、次の瞬間には、そいつは現れた。
森の中から飛び出してきた黒い影は邪魔な村人をまるで蟻のように蹴散らしバッガスへと切りかかる。
辛うじて初撃を防いだバッガスだったが、腹部へ強烈な蹴りを浴びると掴んでいたセレアの呪縛が解かれた。
その影はそのまま翻って、セレアを脇に抱えサガの横へ跳躍し着地。
「遅いぞ、馬鹿者が」
サガはそいつの顔も見ずに悪態をついた。
「しょうがねえだろ。助けてやっただけありがたく思え」
大剣を肩に担ぎ不機嫌な顔をしながらネイは相棒に返事を返した。