プロローグ
別に助けたいと思ったわけじゃなかった。
あいつらを見ていると普通の人間みたいに感じた。
普通に生活して、普通にしゃべって、普通に笑ってた。
それでもあいつらはたった一つの理由で、殺されようとしていると考えるといても立ってもいられなかった。
気が付いたら飛び出していた。
急いで走ってあいつらの住む村まで行くと声の限りに叫んだ。
「逃げてくれ!」
と、それでこうなった。
俺の体は右手を失っていた。
それだけじゃない、両足は立つことが不可能なまでに完膚なきまでに破壊しつくされ、腹には剣で抉られた穴が開いていて今もどす黒い血が溢れ出している。
俺は無残で哀れな自分の姿を他人行儀に眺めていた。
常人なら死んでもおかしくない傷に耐えられる肉体がひどく恨めしかった。
その時、風が吹いた。
風は血で固まった俺の髪と木の梢を揺らして去っていく。俺はその光景に何か空虚なものを感じていた。
多分、死ぬんだな。
悲しみも怒りもなかった。
自分の死。ただそれだけが自然と受け入れられた。
心残りがあるとすれば、あいつらのことだけだ。
うまく逃げられただろうか。
まあ、別に助けたいと思ったわけではないが。
そんなことを考えていると、また梢が鳴った。
ふと、俺は視線を前方へと向ける。
いつからいたのだろうか。そこには一人の女がいた。
いや、女というよりも女の子と言ったほうが正しいかもしれない。
腰まである蜂蜜色の頭髪を風になびかせ、漆黒の外套で体を覆っている。翡翠色の瞳は鋭い輝きを放っていたが、顔全体の表情は冷静というよりも無感情という言葉が似合う。
俺は空虚な視線で、彼女は無感情な視線で互いを見つめ合っていた。
数秒なのか、数分なのか、数時間なのかそれすらもわからないほど時は流れ消えていく。
やがて彼女の形のよい唇が動いた。
「……里の者が世話になった。礼を言う」
それは静かで小さな声であったが、はっきりと俺の耳に届いた。
どこからか満ち足りた気分が湧いてきた。あいつらが助かったのが、そんなに嬉しかったのだろうか?
そんな俺の思いを無視して彼女は続ける。
「だが、なぜ助けた? 貴様は人間だろ」
彼女の言いたいことはわかる。
俺は人間で、彼女たちは人間じゃない。
それに俺は本来なら“狩る側”だ。あいつらを殺すことはあっても助けることなどないはずだった。
だが、助けてしまった。
「……仕方…な……い…だろ」
息も切れ切れに、それだけ吐き出す。
不思議と余り痛みはなかったが、それは体中が麻痺しているせいだと考えると先が長くないことは一目瞭然だった。
「そうか」
風に撫でられる金髪を抑えながら彼女は呟いた。
「後悔はしているのか?」
「……別に」
いい加減一人で死なせてほしいなどと思いながら、俺は律儀にも彼女の問いに答える。 視界もかすみ始め急激な眠気が俺を襲い始めた。
何もかもが限界だった。疲れ果てていた。
俺は最後の力を振り絞って彼女に語りかける。
「頼む……すごく眠いんだ……もう、死なせてくれないか……な」
言い終えた瞬間、一気に体が重くなった。
瞼も半分以上閉まりかけている。あと数秒が限界だった。
「わかった。これが最後の質問だ」
彼女はゆっくり歩いて俺の傍まで来る。
膝をついて糸の切れた人形のように動かない俺の顔を白い手で優しく包み込むと、自分の無表情な顔へと向かわせた。
俺と彼女の顔が互いの息が届きそうなほどに接近する。
そして彼女は俺の瞳を見つめながらこう言った。
「まだ、生きたいか?」
彼女の瞳に俺の血塗れの顔が映っていた。