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ローズ=アイシス・ライラントは生まれ変わった

わたしは神様にはゆるふわでいてほしいと思います。

[いつまで寝てんの、はよ起きぃ]


 頬をぺしぺしと叩かれ、その煩わしさに目が覚めた。


[あっやっと起きたこのねぼすけさん]


 ローズ=アイシス・ライラントが目を開くと、長くて艷やかなブロンドの髪に雪のように白い肌をした美しい女性が、玉座かと見紛うきらびやかな椅子に座ってこちらをにこやかに見下ろしていた。


[にゃーお]


 ローズのそばで一匹の白い猫が、上品な鳴き声を上げる。彼女の頬を叩いたのはこの猫のようだ。

 状況がつかめずおろおろするローズに、女性は楽しそうに語りかける。


[ローズ=アイシス・ライラント、あんたは死にはった。で、どうする?]


 死。ローズはその単語で、ようやく覚醒した。そうだ、自分はあの硬くて不衛生なベッドで寝ていた。でもここは自分の知っている教会ではない。


「そう、死んだのね、私」

[飲み込み早ようて助かるわあ。たまーに、そんなはずないーって暴れる子らもいてはるんよ]


 ため息をつく姿も美しく、ローズはごくりと唾を飲み込む。汗をかいた掌を見つめて、彼女はある違和感にようやく気がついた。


「おかしいわ」

[どないしたん?]

「だって私、年老いていたのに、手のしわが全くないし……それに、そう、声も違う。もっと枯れていたはずなのに」


 まるで、あの頃に戻ったかのように、若くなったみたいだ。目の前の美しい女性は、不審そうに掌を見つめたり顔や体を触るローズを見て、上品な笑い声を上げる。


[そらそうやわ。今のあんたは、16歳くらいに戻ってるはずやから]

「えっ」


 そんなことが、と言いかけた言葉を制された。


[そんなことはどうでもよろし。それより、どうする?]


 そういえば、先ほどもそんなことを言っていたような気がする。どうする、とは一体何のことなのだろうか。


「あの、いまいち状況がつかめていなくって。私が死んだのはわかったのだけれど、あなたは一体どなた? 天使様?」

[嫌やわ天使なんて! わたしは、神に決まってるやろ]

「かみ、さま? ……神様」


 ローズの頭は不思議とその二文字を受け入れていた。そう言われても違和感がないくらい目の前の女性の美しさは神々しいほどであったし、何より自分は死んでいる。神様が目の前に現れても不思議はない、とそのときはそう思った。


「私は、地獄へ行くのですよね」


 これは疑問でもなんでもなく、確信を持って言い切れた。生前から覚悟していたことだ。


[確かに、天国に行くことはできひんなあ]


 でも、と神が続ける。


[毎日毎日ローズの祈りを聞いてたら、もう一回くらいチャンスあげたなってしもうて]


 チャンス?


[ローズ=アイシス・ライラント、あんたにもう一回、生まれ変わってやり直すチャンスをあげよう思ってます]


 ローズは我が耳を疑い、呆然とした。

 過去、自分は決して許されないことをした。そのために、家族からは縁を切られ、婚約者も失い、誰もいない教会で半世紀以上を過ごすことになった。毎日毎日祈りながら、ただ一人、取り返しのつかない罪に後悔し自らの現状に絶望し、それでもこの胸の内を明かせる相手もいないまま生きて、そして一人で死んでしまった。

 そんな自分に、神だと名乗る美しい女性が、やり直すチャンスを与えようと言っている。これは夢なのだろうか。とても現実とは思えない。

 ローズは目を閉じ、家族や婚約者だった人、そしてあのかわいらしいお方の顔を思い浮かべる。答えは、一つしかなかった。


「いいえ、いいえ神様、私にチャンスなど必要ございません」

[へえ?]

「私は過去に償い切れない罪を犯しました。それは到底消えるものではございません。どうかこのまま、私を地獄へお送りください」


 強がりでもなんでもなく、心からの思いだった。神は少し意外そうな顔をしたが、すぐに花のような笑顔を浮かべる。


[はーい、合格〜!]


 脳天気な声に、ローズは言葉が出てこない。


[さっすがローズちゃん! ここですぐにお願いします言うたら即地獄に叩き落としてやるつもりやってんけど、立派やわあ]

「あの……?」


 何がどうなっているのだろう。


[ローズ=アイシス・ライラントを、正式に生まれ変わらせてあげまーす]


 神は簡単にローズの決心に水を差す。


「神様、あの、私は本当に」

[ええやんええやん、せっかくなんやから今度は幸せに生きたら?]

「でも」

[でももヘチマもありませーん。神であるうちが決めましたー。ローズちゃんは生まれ変わるんですう〜]


 ローズのそばにいた白い猫が、楽しそうににゃんと鳴いた。ローズ一人が置いてけぼりである。


[あ、でも、生まれ変わる先は、あの婚約者んとこの直系の子孫として、やけどね]

「えっ」


 背中を一筋の汗が伝う。もう嫌な予感しかしない。


[まあ、これがローズちゃんへの罰ってことやね。あの二人はとっくに天国で悠々暮らしてはるから、それは安心して]


 そういう問題ではない、という言葉は神様の耳には届かなかった。


[ご新規転生者様、一名ごあんな〜い!]


 ローズは一言も反論する暇を与えられることなく、再びまばゆい光に意識を失ってしまった。




******




 その日、ローズ=アイシス・ライラントは神の気まぐれにより再び生を受けることが決定した。それも自分が苦しめたあのかわいらしいお方の直系の子孫として。地獄に落ちることしか考えていなかった彼女は、想定外のことに抵抗することもできずこの運命の悪戯を受け入れるしかなかった。




******




 すみれが咲き誇る、初夏の昼下がり。ローエンシュバルフ公爵家で一人の女の子が産声を上げた。彼女はヴァイオレットと名付けられ、ローエンシュバルフ公爵夫妻の初めての子どもとして大変尊ばれた。ヴァイオレットは健やかに成長し、勉学にも芸術にも優れ器量も良く、誰に対しても優しい、正に非の打ち所のない女性である――はずだった。

 確かにヴァイオレットは、幼い頃から頭角を現していた。十歳になる頃には神童の呼び声が高かった。十五歳になると天才だと褒めそやされ、器量の良さも相まって、多くの名門貴族からぜひ結婚の約束をという依頼が殺到した。

 そして二十歳を迎える今日。成人を迎えたヴァイオレットに結婚を申し込む貴族は誰一人としていなかった。彼女は今やただ家柄がいいだけの、平凡な女性へと成長していたのである。両親が、使用人たちが、生来の才と美があるはずだから、磨けばもう一度玉のように光り輝くはずとあの手この手でヴァイオレットに訴えても、彼女は困ったような笑みを浮かべ、こう言うだけだった。


「私はこれでいいの。昔はきっと運が良かったのよ」


 社交の場にも顔を出さす、部屋に引きこもりがちな彼女のことを、ヴァイオレットというだけあって、すみれのようにどこにでもいるありふれた女だと陰口を叩く者もいたが、それでも彼女は頑なに表舞台に立とうとはしなかった。




******




 このヴァイオレット・ローエンシュバルフこそ、ローズ=アイシス・ライラントが神によって生まれ変わったその人なのである。


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