ロベリア第二王女は呑気に心酔する
プルメリア王国従属国のお飾り王の第二王女であるロベリアは、アコニの母の姪であり、その母が勝手に決めたアコニの婚約者候補の一人であった。もちろんアコニの誕生パーティーで例の衝撃発言も聞いていたのであるが、実のところあのとき彼女は心の中でガッツポーズをしていたのである。
強烈な叔母と父の望みで、仕方なく婚約者候補になることに了承はしたものの、彼女の興味は専ら演劇に注がれており、結婚どころか恋愛にすら興味はなく、アコニを見て「かっこいい」と思ってもそこに恋だの愛だのが絡んでくることはなかった。そんなことよりも今現在演劇界のプリンスと名高いキース様を追っかけることに精魂を注いでいるため、恋愛や結婚に時間を割いている暇がないのである。
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ロベリアの日課は毎朝の祈りから始まる。もともと熱心な宗教家である父王は、その姿に深く感心し、この第二王女を特にかわいがっているのであるが、彼女にとってこの祈りは倍率の高いキース様主演舞台のチケットを取りたいがための験担ぎの一つに過ぎず、さらにこのような殊勝な姿を父に見せていれば臨時収入が期待できるだけのものであった。
今日も今日とてロベリアが、近々始まるチケットの発売日に向け一心に祈りを捧げていた、そんな穏やかな朝のことである。
アコニの母から届いた手紙に、彼女は一気に現実へと引き戻され、キース様の特大ポスターを見上げては深いため息を吐いた。彼女にとって今日は大変憂鬱な日である。叔母からの手紙には、しっかり息子の婚約者候補をもてなすようにと書かれていた。
「めんどうだわ、日頃の行いが悪いとチケットが取れないかもしれないのに」
今日は、アコニが婚約したいと熱望しているヴァイオレット・ローエンシュバルフ公爵令嬢を招いてお茶会をするのである。どうやらまだ深い仲にはなっていないどころか、友人からスタートしたという今時珍しい清らかな関係のようだ。だからこそ今のうちに値踏みし、必要があればアコニの婚約者にふさわしくないと自覚させよというのが叔母から下された指令である。
心底では叔母を苦手としている彼女が仕方なくとは言え大人しく従ったふりをしているのは、キース様へのお布施(チケット代)のための臨時収入が期待できるからだった。正直なところロベリアにとって叔母の強烈な上昇志向は受け入れ難いものがある。
苦労して這い上がって、一体そこに何があるというのだろう。そんなことよりも、この世の至宝との覚えめでたきキース様を見ているほうが確実に幸福を得られる、というのがロベリアの本心である。
朝からメイドたちがお茶会の準備で慌しくしている様子を尻目に、ロベリアはキース様の出演する公演日程を眺めながらどれを何回観劇しようかと真剣に考えていた。呑気な父王は、愛娘のきりりとした様子に、お茶会での振る舞いを考えているのだろうと都合よく解釈したばかりか、ようやく王女としての自覚を持ってくれたと心の中で小躍りしている。
こうして各人の思惑を抱えたまま、お茶会の時間は刻一刻と迫っているのであった。
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ヴァイオレット・ローエンシュバルフ公爵令嬢が城に到着したという知らせを受け、ロベリアは重い足取りでゲストルームへと向かっていた。ロベリアにとってアコニとの婚約は重荷であり、自身の自由を奪うだけのものである。
アコニと結婚すれば王妃も夢ではないと言われたときはこれでキース様を惜しみなく目に焼き付けるための資金を得ることができると喜んだが、叔母の何一つ自由のない生活に思い至り、すぐに考えを改めた。叔母は王妃にはなったが、自由もなければいつまで経っても幸福な様子がない。
ロベリアのほうが一応身分は上になるが、そんなくだらないことで相手を抑えつけられる時代ではなくなってきている。奪い合うつもりが毛頭ない男のために、他人から恨みを買うことほど愚かなこともないだろう。
廊下を歩きながら、ロベリアは何度も何度も重いため息を吐いた。
「心配ありませんわ。ロベリア様ほどのお方に勝るとは思えませんもの」
メイドが的外れな心配をして励ましてきたが、ロベリアは適当に返事をする。このメイドも、ロベリアの本心は知る由もない。
扉の前に立ち、ロベリアは大きく深呼吸をした。
ロベリアの目的はただ一つ。叔母の不興を買うことなく、ヴァイオレットとアコニをうまく婚約させることである。資金源は確保しつつ、自由も失わない。難易度は高いが、成功すればリターンも大きいのである。
「なせばなる、なさねばならぬ何事も」
この前千穐楽を迎えたキース様の主演舞台でのセリフで自分を励まし、ロベリアは開けられた扉へと一歩を踏み入れた。
「お初にお目にかかり光栄です、ロベリア王女。ヴァイオレット・ローエンシュバルフと申します」
ロベリアが部屋に入ったと同時に、目の前の女性は恭しくドレスの裾を軽く持ち上げて頭を下げた。艷やかで絹のような御髪に、白磁のような白い肌、長い睫毛に縁取られたエメラルドグリーンの優しげな瞳と誰もが羨む器量を持った女性に、ロベリアは幕が上がった瞬間を観ているときと同じ感覚を抱いていた。まるで時が止まったような、世界に自分とその人しかいないような、一瞬で別世界へと誘われるような、あの高揚感――。
「ロベリア様?」
ぽかんとしたままのメイドに訝しげに名を呼ばれ、ロベリアは我に返った。ぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせて小首を傾げる様子でさえ舞台のワンシーンのようだ、とロベリアは呑気なことを考える。
「あっ、えっと、ロベリアです」
気品も何もない庶民のようなロベリアの挨拶に変な空気が流れた。失敗したと彼女は瞬時に悟る。
「良かったですわ、ロベリア様とってもお優しそうな方で」
しかし後悔したのも束の間、ヴァイオレットの朗らかな声と明るい笑顔がすぐに場の空気を和ませた。
「何この子一生推せる」
「……え?」
「私、何があってもあなたの味方よ」
きらきらとした目を向けるロベリアに、ヴァイオレットは言葉を失い苦笑いするしかなかった。それはロベリアのメイドにしても同じである。もしアコニの母がこの場にいたら卒倒していたことだろう。
さすがは従兄妹だけあるのか、ロベリアの笑顔はアコニの面影があった。ヴァイオレットの心臓が少しだけ跳ねる。ロベリアはヴァイオレットの手を取ると、子どものようにはしゃいだ声で言った。
「私の部屋でお茶にしましょう」
予定外のことにメイドが何かを言いかけたが、ロベリアは気にした様子もなくヴァイオレットの手を引いて歩き始める。誰しも想像しなかった事態にメイドたちは慌てふためいたことは言うまでもない。
「あの、ロベリア様? 私のような者がお部屋にお邪魔してもよろしいのでしょうか?」
「何をおっしゃってるの? ヴァイオレットだから部屋に来ていただきたいの!」
少し強引なところもどうやらアコニに似ているらしい。ヴァイオレットはもう何も言うまいと口を閉ざした。それはメイドたちも同様である。
ロベリアは最初の言葉通り、すっかりヴァイオレットのファンになっていた。ずば抜けた容姿もさることながら、心遣いも柔らかな雰囲気も、女版キース様のようだと思っていた。アコニの母がなぜヴァイオレットのことが気に食わないのか不思議なほどである。
ロベリアの部屋に着き、本来の目的であるお茶会でも始めようとした矢先、別のメイドが青ざめた顔をして報告にやって来た。
「ロベリア様、プルメリア王国王妃様が、アコニ王子の母君が……いらっしゃいました……」
ヴァイオレット始め周囲がざわつく中、父王の呑気さをまんまと受け継いだロベリアは満面の笑みで言い放つ。
「ちょうど良かったわ! 叔母様にヴァイオレットの素晴らしさをわかってもらいましょうよ!」
王女とは、得てして世間知らずなのである。




