ガーベラは目撃してしまった
ヴィオラには、戦地のボランティアで出会ったガーベラという友人が一人いる。彼女は平民の生まれだが、医師としてボランティア活動に参加しており、気さくで明るい性格とハキハキした物言いをヴィオラが気に入り、その後二人はすぐに意気投合した。
「あははは! それでおねーさま、その王子様とご友人になったんだ!」
ボランティア活動の休憩中、ヴィオラの話は例によって姉のヴァイオレットのことである。彼女の話の八割は姉のことなので、ガーベラは慣れっこであった。写真でしか見たことのないヴァイオレットのことを妹を通じてよく聞いているため、ガーベラにとってはヴァイオレットも友人のような感覚である。
ヴィオラは、自分に求婚してきたはずの王子と友人になったと姉が嬉しそうに報告してきたことをため息混じりに語っていた。こんなはずではなかった、今頃はやれ婚約パーティーだの挨拶回りだのと駆けずり回っている予定だったのに。そう思うと、今日何度目になるかわからないため息がこぼれる。
「お姉様ったら、その日から王子と手紙のやり取りをなさっているのだけれど、メイド曰く本の話ばっかりで全ッ然恋愛に発展しないのよ」
「え、貴族様って手紙読まれちゃうの?」
「当たり前でしょ。怪しいものだと困るもの」
「はあ、困る、ねえ。……でも、おねーさまと王子様の関係が切れたわけじゃないんだし、まだまだこれからでしょ?」
ガーベラの言葉に、ヴィオラは考え込む。確かに関係が切れていないだけはいいかもしれないが、このまま手紙のやり取りだけで老人になってしまいやしないかという不安がどうしても過る。ぽやんとしたところは姉のたくさんあるかわいらしいポイントの一つであるけれど、ぽやんとし過ぎているきらいもあるとヴィオラは思っていた。
「まあ、おねーさまはちょっとぼーっとしてるから、王子様がしっかりしないと進展しないかもしれないけどね」
ヴィオラの不安を悟ったようにガーベラが言った。
「そうなの。それが心配で心配で。どうしたらいいのかしら……」
「既成事実でも作ったら?」
何気ない一言に、ヴィオラは激しく首を振る。
「お姉様を傷物にしろと言うの!?」
「いやいやいや違うよ。既成事実作っちゃえばもう結婚するしかなくなるじゃん」
「そんなのイヤ! 婚前交渉なんてお姉様が軽んじられているみたいじゃない!」
ヴィオラの姉への愛は重症だとガーベラは呆れたような視線を向ける。そんなことには一切構うことなくヴィオラは続けた。
「それにお姉様にはいつまでも清らかなままでいてほしいんだもの……。まるで聖女のようにお優しくて穏やかで。そんなお姉様が……イヤだわ、本当にイヤ! ああ、お姉様!」
「……結婚するって、そういうことも含まれるでしょーよ」
ガーベラの言葉はヴィオラには届いていないようだ。ガーベラにとってヴィオラは公爵家の令嬢というよりも、見ていて飽きないおもしろい友人である。姉のことで一喜一憂し、時にはこんな風に自分の世界に入り込んでしまう。少々行き過ぎなところもあるが、ヴィオラの愛情深さをガーベラは尊敬もしていた。
もちろん、ガーベラも家族のことは愛しているし大切に思っている。しかし家族の一挙手一投足でここまで感情が揺さぶられるようなことはない。
ヴィオラがボランティア活動に勤しむのも、戦地で被害に遭った人々を救いたい気持ちも当然のことながら、姉に自慢の妹と思ってほしいからだ。月に一度、公爵家で学校に通えない子どもたちを集めて勉強も教えるのも、子どもたちの将来のためであることに間違いはないけれども、姉に自分の成長した姿をアピールしたいからだ。そしてあわよくば、姉とともに教えたいからである。
ここまで徹底していると、気持ち悪さが一周りしておもしろさが勝ってくる。当然、公爵家令嬢という肩書よりも、重度のシスコン・ヴィオラのほうが印象に残る。だからこそ、ガーベラはヴィオラと友人でいるしいたいと思っている。
「ねえ、ガーベラ、お願いがあるの」
ヴィオラはひらめいたと言わんばかりに勢いよく顔を上げる。思わず後ずさったガーベラの手を力強く握り、鼻息荒く言った。
「なんとなくわかったけど、イヤ!」
「あなたからお姉様に何とか言ってくれないかしら?」
やっぱり、とガーベラは頭を抱える。目の前のヴィオラは本気だ。頼ってくれるのはありがたいが、こういうのだけは勘弁願いたい。
「お願いガーベラ! あなただけが頼りなの」
「無理だから! 貴族様のお戯れに付き合えるほど庶民は暇じゃないの!」
「ひどいわ、お友達だと思っていたのは私だけだったのね」
ヴィオラは大げさに両手で顔を覆い肩を震わせる。明らかに嘘泣きとわかるのに、なぜかガーベラの良心が少しだけ痛んだ。
「……で、具体的に何すればいいの?」
ガーベラの言葉にヴィオラの表情が輝く。
「ありがとう、ガーベラ! やっぱりあなたは親友だわ」
「でも今回限りだからね」
「わかってる、大丈夫よ〜」
と、あまりわかってなさそうなヴィオラに、ガーベラはきつく釘を刺さねばと思った。
「一筆書いてもらうから」
「……ケチ」
******
「うわっ、何ここ」
ヴィオラとのやり取りから一ヶ月後、ガーベラは迎えの馬車に乗り、ローエンシュバルフ公爵家を訪れていた。ローエンシュバルフ公爵は、国内でも一二を争う名家である。その地位や名声を表すかのような立派な屋敷に、ガーベラはぽかんとするしかなかった。
堅牢で格式高い白を基調とした門構え、門から屋敷の玄関まではまるで自然公園のように木々が美しく茂り、花々が咲き乱れている。門すらないガーベラの家とは天と地ほどの差だ。
ヴィオラのことは友人だと思っているけれど、やっぱり自分とは住む世界が違うのだと改めて思い知る。そして、こんな場違いなところに来てしまったことを今さらながら後悔した。大体、ヴィオラの姉に自分が何を言えるだろう。姉にもっと外の世界を知ってもらうきっかけにしたいだけとヴィオラは言っていたが、そもそも貴族と庶民では土俵が違いすぎる。
馬車が停まり、今すぐ走って逃げようかなどと考えていると、これまた大きな扉が開き、いつもとは服装も見た目も一段と華やかなヴィオラが現れた。美人だとは思っていたが、きちんと化粧をしてドレスを着ていると絵画に出てくる貴婦人そのものだ。少なくとも、シスコンには見えない。
「今日はありがとう、ガーベラ。ぜひゆっくりしていってね」
これでも一番高いワンピースを着てきたのだが、ガーベラは自分のみすぼらしさに恥ずかしくなった。持ってきた手土産は一応ヴィオラが好きだと言っていたスコーンだが、手渡すのがなんとなく躊躇われる。
「あら」
ガーベラがもじもじしていると、ヴィオラはスコーンの入った袋を目ざとく見つけ、いつものように明るい声で言う。
「きゃー! ここのスコーン私大好き! ありがとうガーベラ!」
いつもと変わらない様子のヴィオラに、ガーベラも少しほっとする。
「うん、おみやげ。良かったらあとで食べようと思って」
「嬉しいわ、本当にありがとう。……これ、あとで出してくれる?」
ヴィオラの半歩後ろに控えていたメイドが恭しくお辞儀をして、ガーベラの手土産を貴重品のように受け取った。
「ごめんなさい、立ち話になってしまって。さ、入って入って。……あの、その、えーっと、実はもう一人、いらっしやることになったの」
先ほどとは打って変わり、もう一人、という言葉にヴィオラの目線がうろうろとさまよった。何か都合の悪い人物なのだろうか。ガーベラは嫌な予感に身震いする。
ふかふかの絨毯の上を歩いた廊下の先にあるゲストルームに入った瞬間、ヴィオラとガーベラは目に入った光景に硬直してしまった。
床の上で仰向けに倒れている美しい容姿の女性に跨るように乗っかったこれまたイケメンの男性、慌てたようなメイドの姿。一瞬、変な空気が流れる。
「ご、ごごごご誤解です!」
女性の上で慌てて弁解しても説得力ないなとガーベラが思うより先に、ヴィオラが悲鳴に近い声を上げた。
「お姉様から離れて! この破廉恥王子!」
――今、この人何て言った?
「お、王子って、王子って……。アコニ王子!?」
ガーベラの驚きの悲鳴は、ローエンシュバルフ公爵家の屋敷に響き渡ったという。




