ヴァイオレット・ローエンシュバルフは友人を持つ
「よろしければ天気もいいですし、庭でお茶でもいかがですか」
図書室を好きなだけ見学でき貴重な本を目にすることができたからだろう、すっかり緊張が解れたヴァイオレットは、普段ならば遠慮するところを、笑顔で王子の提案を受け入れた。
二人が庭に出るとテーブルが置かれ、すっかり準備万端である。近くにはあの噴水があった。あのときは夜だったためよくわからなかったが、花壇には花々が咲き乱れており思わず感嘆の息が漏れる。
「ヴァイオレット、さあ」
「あの、殿下。妹のヴィオラもご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
王子はヴァイオレットの願いに嫌な顔一つせずに答えた。ヴァイオレットは振り返り、少し離れたところでずっと見守ってくれていた妹に小さく手招きする。ヴィオラが不思議そうに近づくと、ヴァイオレットはいつものように優しい笑みを浮かべる。
「ヴィオラもぜひご一緒させていただきましょう」
「それはいけませんわお姉様。せっかくの殿下とのお時間に水を差してしまいますもの」
「大丈夫ですよ、レディ・ヴィオラ。それにヴァイオレットがしたいことは叶えたいのです」
「まあ。ふふ。せっかくですのでご一緒させていただきますわ」
三人が席についてすぐ、どこから現れたのかメイドたちがケーキスタンドに乗った色とりどりでかわいらしいお菓子と紅茶が用意された。ローエンシュバルフ公爵家のメイドたちもテキパキと仕事が早く優秀であるけれど、王宮で務めるメイドたちはやはり違うのだとヴァイオレットはぼんやり考える。
「……お姉様? 聞いていらっしゃいますか?」
「あっごめんなさい。ぼーっとしてしまって」
慌てるヴァイオレットを見て、アコニがくすりと笑みをこぼす。変なところを見られたと恥ずかしくなったヴァイオレットは思わず下を向き、ティーカップの取っ手を指でなぞる。ヴィオラはからかうような口調でアコニに言う。
「お姉様、たまにこんな風にぼーっとなさることがあるんです。いつもはしっかりなさっていらっしゃるんですけれど」
「そうですか。今日はヴァイオレットのいろいろな表情が見られてとても楽しいです」
「楽しい、ですか……?」
「はい、とても」
アコニの言葉にヴァイオレットは思わず首を傾げた。誰かと話しをして、楽しいと言われたのは初めてであった。もちろん、王子殿下に言われ大変なことと恥ずかしくも思ったのだが、それ以上に自分も目の前の王子と同じように楽しいと感じていることに不思議な感覚が込み上げる。次期国王候補と名高い方の婚約者などあり得ないと最初から真剣に考えてはいないが、それを抜きにしてもっとこの王子のことを知りたいと思っている自分に戸惑った。
ヴィオラは姉の表情を見て何かを悟ったのか、ナフキンで口を拭い王子に向き直る。
「私、もう少し王宮を拝見してもよろしいでしょうか? 珍しい美術品も多くて興味がありますので」
「ええ、もちろんです」
「ヴィオラ、私も――」
妹は姉の言葉を笑顔で遮る。
「お姉様はもう少し殿下とお話しなさってください」
ヴァイオレットは戸惑った様子で視線をさまよわせたが、「そうさせていただくわ」と小さく頷く。ヴィオラは席に立ち、メイドに案内されながらお茶会を後にした。
ヴィオラがいなくなると、途端に沈黙に襲われたが、王子は全く気にした様子もなく相変わらずにこにことヴァイオレットを見つめている。その様子も、ヴァイオレットにとっては不思議で堪らなかった。
ヴィオラやマリーゴールドのように、どんなときでも自分の味方でいてくれる人は少ないけれどいる。ただしそれは、幼い頃から一緒にいて築いた関係があってこそだ。ところが王子とはあの夜に出会うまで今まで顔を合わせたことはなかった。それに王子であればヴァイオレットの噂も耳にしたことがあるはずである。それなのに、こんな身なりで現れても王子は態度を変えるどころか、誠心誠意ヴァイオレットと向き合おうとしている。
ヴァイオレットはそこまで考えて、もしやと考えた。王子殿下ともなれば、周囲の女性はきっと美しく華やかな方が多かったはずだ。だからこそ、自分のような者がひどく珍しいのではないだろうか。それならば合点がいく。王子にとって自分は物珍しい生き物――珍獣なのだ。
婚約者などと言い出しているのは、王子が正気を失っているからに違いない。目を覚まさせなくてはならないと小さな正義感が彼女を襲う。
「ヴァイオレット」
「はい」
「あなたは、この国をどう思いますか」
唐突な質問に、さすがのヴァイオレットも口を閉ざす。次期国王候補を前に、この国について話すのは躊躇われたし、自分のような取るに足りない人間が口にすることが許されるとは思えなかった。その考えを悟ったのか、アコニは慌てて訂正する。
「いえ、すみません。国のことは違いますね。少し恥ずかしくて、とんでもないことを口走ってしまいました」
恥ずかしそうに笑ってアコニは続ける。
「本当は、私のことをどう思うか聞きたかったのです。私の気持ちはすでにお伝えした通り、あなたと結婚したいと思っています。初めてこんな気持ちになりました。でも、ヴァイオレットの気持ちを無視して押し通すことはしたくありません。あなたが大切だから」
王子の言葉にヴァイオレットは息を呑む。真っ直ぐで裏表のない言葉は、彼女の心にダイレクトに響いた。
「あなたの気持ちを一番大切にしたいのです」
ヴァイオレットは、王子の懐の深さに感動する。それと同時に、これは早急に王子の目を覚まさねばならないと考えた。ヴァイオレットは言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。
「殿下は、殿下は……素晴らしいお方だと思います。聡明で、お心もお考えも大変深くいらっしゃって、私に向けていただけるお言葉一つ一つが大変恐れ多いことと思っております。ただ、今すぐお気持ちを受け入れることはまだ……」
「そうですか……。申し訳ありません、私が急ぎすぎてしまいました。あなたが誰かに取られるのではと思ってしまって」
「まあ、とんでもございませんわ。……でも、もしできることなら、もっと殿下のことを知ることができれば、とも思っております」
アコニの表情が明るくなる。ヴァイオレットはにこりと微笑んだ。
「嬉しいです、ヴァイオレット。では、どうでしょう? 結婚のことはひとまず置いておいて――もちろん、私はあなた以外と結婚するつもりはありませんが――それはともかくとして、とりあえず友人から始めませんか?」
「それも、大変恐れ多いですわ……」
「これからも本の話などさせていただけたら嬉しいのですが」
本の話と聞き、ヴァイオレットは少しだけ考えた。本でも、特に小説を読んでいる人間はヴァイオレットの周りにはほとんどいない。ヴィオラも読書家だが、分厚い専門書がほとんどであるし、そもそも小説自体、教養のある人間が読むものではないと思われている。その話ができるのは確かに貴重だ。
それに、王子の目を覚まさせるためには、ここで関係を切るのは良くないかもしれない。――かわいらしいあのお方も、一度は元婚約者の前から去ろうとした。するとますます元婚約者は熱を上げていったのである。前世の記憶がここで役に立つことになろうとは。ヴァイオレットは心の中で苦笑した。
「かしこまりました。では、ご友人として、これからどうぞよろしくお願い申し上げます」
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その日、ヴァイオレット・ローエンシュバルフとアコニ・プルメリアは共通の趣味を持つ友人となった。これはアコニの衝撃の発言よりも、さらに衝撃を与えることになる。二人の運命は、きっとあの神でさえ予想できていない。




