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或いは、その両方か。

作者: 咲坂東雲

『神社にある食べ物や飲み物を口にしてはいけないよ』

『神様に真名を教えてはいけないよ』



『楓ちゃんが、この世の人ではなくなってしまうからね』




***




 別に台風が近づいているわけでも梅雨の季節でもないのだが、それすらも信じられない、驚くほどの土砂降り、そして強風である。その所為で差している青い雨傘は安定せず暴れ放題。故に雨傘は傘としての役割を果たしていない。お陰で私はびしょ濡れだ。濡れ鼠という言葉がお似合いだろう。学校を出た時には既に今のような土砂降りだったので、私の姿は悲惨なことになっているはずだ。

 幸いなことに最近、制服が中間服から冬服に移行し、シャツの上に紺色のブレザーを着ているのでシャツが透けて下着が見える、という心配はない。


 しかし、流石にこれは辛い。制服は大量の雨水を吸い重くなり、髪の先端からはとめどなく雫が滴っている。あと寒い。明日は間違いなく風邪をひく。――家まではまだ少し距離があるし、疲れたからどこかで雨宿りついでに休憩しようか。うん、そうしよう。

 どこか良いところはないだろうか。屋根のあるバス停、コンビニ、知り合いの家。様々な場所を思い浮かべてみるが、しかし私はかぶりを振る。屋根のあるバス停は学校の近くにしかないし、この辺りは住宅街なのでコンビニは近くにない。一番近いところでニ十分程歩く。そもそもびしょ濡れなのでコンビニに入る勇気がない。知り合いの家だってない。どうするべきであろうか。



 そういえばこの先に神社があったはずだ。距離もそう遠くはないし、走って二分と言ったところであろう。道のりもぼんやりとだが覚えている。


 よし、神社に行こう。決心すると同時に、手と腕が痛くなってきたので傘を閉じておいた。どのみち濡れるのだから差していても仕方あるまい。


 そうして、私は走るスピードを速める。運送会社のトラックが横を走り抜けて行った。




***




 果たして二分後、視界に朱が映り込んだ。神社の鳥居である。何とか神社に着いたことに安心しつつ、私は鳥居の前に来た。相変わらず雨は止みそうにない。走る度に地面に溜まっていた雨水が跳ねたため、靴も靴下もかなり汚れていた。

 胸に手を当てて呼吸を整える。久しぶりに走ったので少しばかり立ち眩みがした。反射的に鳥居に手を突く。どうやら運動不足のようだ。



「……(かえで)?」

 向こう側から、声が聞こえる。心地よくて、優しい声だった。

 顔を上げてみると、最初に目に入ったのは顔の整った、着物を着た男性。朱い和傘を差している。見知らぬ人だ。確かに私は楓という名前だが、彼のことは知らない。誰かと間違えている?

「私、ですか?」と無意識に答えていた。学校から出て初めて声を出した気がする。

「嗚呼、申し訳ない。僕の知り合いにそっくりでね。……それにしても、とても濡れているね、此方へおいで」

 目の前の人は手を差し出した。どうやら傘の中に入れてくれるようだ。私は素直に手を取り、やや控えめに傘の中に入る。ドクドクと鼓動がやけに煩かった。

 くしゅんっ、とくしゃみが出る。思った以上に体が冷えているらしい。男性は、羽織っていた焦げ茶色の羽織を私に掛けてくれたが、濡れてしまうのでだめです、と返す。しかし受け取ってもらえない。君が風邪をひくだろう、と言われた。


 男性に手を引かれ拝殿の中に入る。彼は袂からタオルを取り出し、私の髪の毛を丁寧に拭いてくれた。

「痛くない?」

「はい、痛くないです」

「良かった。それにしても、随分身体が冷えているよ。後で温かいお茶でも淹れよう」

 彼は優しく微笑んだ。

 





『神社にある食べ物や飲み物を口にしてはいけないよ』




***




「着替え終わったかい?」

「はい、何から何まですみません」

「気にしないで、僕が好きでしていることなんだから。ほら、お茶を淹れたから冷めないうちに飲むといい」

「ここ神社ですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。僕はこの神社の……」

「この神社の?」

「……まあ、関係者とでも言っておこうかな」

「そうなんですね。あ、お茶頂きます」



 先程彼に渡された着物に着替えた私は、どこからか彼が持ってきてくれたお茶に口をつける。火傷しないように気を付けながらこくりと流し込むと、身体がじんわりと温まった。美味しい。

 着物を着ているからなのか、自分がいつもより大人になっている気がした。授業で初めて茶道を習ったときに似ている。着物も多分、かなり上等なものだ。どこから持ってきたのか聞いてみると、近くにある神職に就いている人の休憩場所から取ってきたという。何故そこにあったのか不思議だが、流石に尋問みたいで嫌なので聞かないでおいた。



「ところで、君の名前を聞いていなかったね。君は何という名前なんだい?」

「楓です。九ノ(ここのは)楓と申します」

「おや、容姿だけでなく名前まで同じなんだね」

「そうなんですか?」

「ふふ、そうなんだよ。因みに、僕は千影(ちかげ)ね。千に影で、千影」






『神様に真名を教えてはいけないよ』




***




 この神社に来て一時間程経ったであろうか。最初は鬱陶しい位に激しく降っていた雨も、今は弱まりぽつぽつと心地よいメロディーを奏でている。夏に聞いたら涼しくきっと感じる。

 そろそろ家に帰ろうか。今日は、お婆ちゃんが秋田から此方に来てくれているのだ。ここ数年会っていないから、数日前からとても楽しみにしていた。いつまで経っても元気なお婆ちゃんの姿と、微かに香るお香の匂いを思い出すと自然に頬が緩む。伽羅、だったか。お爺ちゃんが毎年くれるのだと私が小さい頃言っていた。今でもその匂いがするのだろうか。そうであってほしい。

 刹那、真剣な表情を浮かべたお婆ちゃんの姿が脳裏をよぎる。同時に声も、まるで映画を見ているかのように、はっきりと聞こえてきた。


『神社にある食べ物や飲み物を口にしてはいけないよ』

『神様に真名を教えてはいけないよ』

『楓ちゃんが、この世の人ではなくなってしまうからね』


 冗談でも何でもないそれは多分――お婆ちゃんからの警告。

 黄泉戸契、神隠し。簡単に言えば、この世ではないところの飲食物を食べて、この世の者ではなくなること。神様に自分の名前を教えて、神域に連れていかれること。

 嫌な汗が額を伝う。いや、千影さんが神様だと決めつけてはいけない。

 けれど、ここにいてはまずい――そんな気がした。

 急に怖くなった私は、隣でぼんやりと外を見つめている千影さんに声を掛ける。

「あの、千影さん。私そろそろ帰りますね。着物は洗って、今度持ってきます」

「……」

「千影さん?」

「楓ちゃんは」

 千影さんがゆっくりと口を開く。

「黄泉戸契や、神隠し、って言葉を知ってるかな」

 え、と思わず声が出た。千影さんが此方を向く。

「或いは、もう気付いているか」





 私は、自分でも気付かないうちに拝殿を飛び出していた。無我夢中で、鳥居に向かって走り続ける。着物なので走り辛いが構っていられなかった。

 早く、早く逃げないと。捕まったら終わりだ。彼は、千影さんは間違いなく――この神社に祀られている神様だ。必死に逃げて抗わないと、今度こそ連れていかれる。

 先程の千影さんは、これ以上ないほど綺麗だった。綺麗だったからこそ、恐かった。そのまま飲み込まれてしまいそうで、私が私で居られなくなってしまうようで。

「鳥居はどこ……ッ?」

 灯篭が並んだ参道を兎に角走り続ける。けれどいつまで経っても鳥居が見えてこなかった。

 この神社は別に小さいわけではないが、少し走れば鳥居はすぐに見えてくるのだ。けれど一向に見えてこない。まるで同じところをぐるぐると回っているようだ。

 もう体力の限界だ。私はその場に虚しくも座り込む。後ろから草履で地面を踏みしめる音がした。

「千影さん……」

 何を言えば良いか、分からない。

「ごめんね、楓ちゃん。最初から全部、仕組んでいたことなんだ。……いや、違うな。君がこの神社に雨宿りしに来ることを利用したんだ。

 それでも君は、二つの禁忌を犯してしまった。神気が含まれている物を口に含むこと、神に真名を教えること。まず君は、鳥居の前に来た時、僕の呼び掛けに答えてしまった。そのあと僕が名前を聞いたときも、あっさりと。そして僕の神気が入ったお茶を飲んでしまい、君はもう人間ではなくなった。

 もう、この神社から出ることはできないよ。君が今日、あの鳥居を通り過ぎた瞬間から、僕は出口を閉じたんだ。

 ……さあ、楓ちゃん。いや、楓。疲れただろう、僕に身を委ねると良い。目覚めたときには、きっと楽になっているよ」

 そう言うと千影さんはゆっくりと手を伸ばす。抗う気力すらもう残っていない私は、おとなしく彼の腕に抱かれるしかなかった。

 意識が薄れていく。目が覚めた時にはもう、私は私ではなくなっているのだろう。

 脳裏に、大切な人達の姿が浮かぶ。走馬燈って、こんな感じなのかな。或いは、これが走馬灯なのかな。

 ――ごめんね、皆。さようなら。

 その言葉は、再び降り出した激しい雨の、煩い雨音にかき消された。




***




 千影は、単刀直入に言えば元々は人間だった。何百年も前の話ではあるが、この町も、決して豊かとは言えないが民同士が助け合う、明るい村だった。千影はそんな村の住民だった。

 千影には、恋人が居た。楓という、千影より六つも年下の美しい娘だ。二人は心から愛し合っており、村の住民も二人の結婚を心待ちにしていた。二人の両親も、同じだった。

 しかし、そんな二人、否、村自体に不幸が訪れる。

 ある日、村を大雨が襲った。畑は水浸しになり、田も必要以上に水位が上がり、川が氾濫する程の大雨である。

 それも一日ではなく、何日も続いた。

 住民達は頭を悩ませた。どうすればこの危機を乗り越えられるのだろうか、と。

 そしてそこに、更なる悲報が届く。

 楓が、川で溺死したというのだ。発見されたときには、既に息を引き取っていた。彼女が川で洗濯をしていたときに雨が降り出したらしく、急いで帰ろうとした際に足を滑らせ川に落ちた。そのまま急な流れに逆らうことができず亡くなった、というわけだ。

 千影は勿論、村の住民も呆然としていた。楓が死んだ、その事実に千影は知らないうちに涙を流す。

 そして、千影は呟いた。

 ――僕が、犠牲になります。あの世で神様と交渉して、雨を止めましょう。そうしたら雨も止んで、僕も彼女に会えるかもしれないから。

 その言葉に、住民達は反対する。だが、千影は考えを一切変えなかった。

 結局話し合いの結果、千影は村の土地神になるために生贄として捧げられることになった。土地神になりこの土地を守り続け、いつか楓が生まれ変わって再び自分の前に現れたら、今度こそ永遠に二人で居られるようにしよう。

 そうして長い年月が流れ、楓は確かに千影の前に現れた。

 千影は彼女を見て、確信した。確かに彼女は楓の生まれ変わりだと。――前世の記憶がないと分かっていても、自分の気持ちを止められなかった。

 生まれ変わりである彼女は、名前までもが同じだった。そうして千影は、楓を隠した。

 また楓も、禁忌を犯した。

 二人は今度こそ、永遠に一緒に居られるようになったのだ。




 ……これが、物語の真相である。




***




『××県××市で、県内の公立高校に通う九ノ葉楓さんが行方不明になりました。

 楓さんは三日前に学校を出てから家に一度も帰っていないとのことで――』



九ノ葉楓が犯した禁忌は


『黄泉戸契』か、『神隠し』か、




――或いは、その両方か。

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