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後編

 チェーン店の安い居酒屋。辛うじて空いていた個室に滑り込んだ。個室といっても周囲を軽く仕切ってあるだけだから、完全な密室では無い。それでも話をする場所があるだけまだマシなのだろう。適当な摘みとハイボールを二つ注文して、私と坂城は向かい合わせに座った。


「順風満帆って感じだね、坂城」


 極めてごく普通に、笑いかけてみる。坂城はチラとこちらを見た後、すぐに視線をテーブルに移した。


「順風満帆か。それはお前の方だろ」

「なんで?」


 嫌味のような棘が刺さる。再度、先程の冷えた空気がこの室内に充満していくようだ。


「何となく。その化粧の仕方とか、服装とか、いかにも」


 いかにも、デキる女、って感じ。

 無意識に、左手で首元の髪を弄っていた。落ち着かない。指で捩じってみたり、巻き付けてみたり。


「ねえ、そう言えばさっきのはどういう意味なの?」

「さっきの?」

「私と坂城は、同じ立ち位置だとか何とか。それって何?」

「ああ…」


 先程伊井田くんの出現で中途半端になってしまったこと。私が坂城のことを嫌いだとか、相容れないだとか。例えそれが本当のことだとしても、どうしてわざわざそんなことを言うのだろう。


「だって、そうだろ?俺が言うのもなんだけど、俺って昔はさぁ、結構人気あったと思うんだよな。運動も勉強もそれなりに出来たし、人当たりも良かったし」

「…坂城、それ自分で言う?」

「だから最初に言っただろ、俺が言うことじゃねーけどって。とにかくまぁ、俺自身調子に乗っていたところはある。それは認める。で、向井、お前も俺とはまた違うけど、クラスの中では人気があったよな。さっき吉崎が言ってたように、才色兼備とか何とか言われてさ」


 吉崎とはみぃちゃんのことだ。

 坂城の言っていること、何となく理解できる。私と坂城、性別は違うけれど、クラスの中で良い位置を保っていた。それなりにみんなからチヤホヤされて、恵まれた環境で過ごしてきて。

 調子に乗ってたのは私も同じだ。


「だから一緒って言いたいの?」

「まあ、そうだな。だから、向井とは良い組み合わせだと思ったんだ。一緒に居ると、美男美女って持て囃されて、気分が良かったし」


 一体、坂城は何の話をしたいのだろう。

 彼とこんな話をしたことは無かった。なにしろ、こんな嫌味なことを言う奴でも無かった。

 当時、高校生の頃の私たちは、どこかお互いを意識しながらも、表面だけで付き合ってきた。仲の良いクラスメイト、素敵な友人として。そんな友人と一緒に居る自分。最高だと思えた。

 だけどそんなこと、もう過ぎたことだ。まだ若かったし。今更そんなどうでも良いことを曝け出す必要なんて無いのに。


「坂城、そんな嫌なこと言うやつだったっけ?」

「嫌なことかもしれないけど、事実だろ。お互いあのクラスの中で優越感に浸ってたバカだってことは」

「バカ?」


 苛立たしい気持ちを抑えるように、繰り返した。

 事実?何だそれは。私と坂城は、一緒じゃない。私は周りのみんなを見下したりなんかしていないし、優越感に浸っても無い。それに。


「そんな感覚で、付き合う相手を選んだりしない」

「……」

「坂城が私と付き合いたかったのは、みんなに注目されたかったからでしょ?」


 高校生活最後の夏休み前。私は坂城に告白された。坂城のことは嫌いじゃなかったし、格好良くて爽やかで、好感を持っていた。でも、彼がなぜ私と付き合いたいのか。その点はどうしても理解出来なかった。

 受験シーズンということもあり、その告白は断ったが、その後も坂城とは友人として付き合ってきた。つかず離れずの関係。

 そんな中、薄々感付いてもいた。彼が私に告白した理由。


「本当に、俺は調子に乗ってたんだ。言い訳なんかしねーよ」


 溜息を吐いて、坂城はハイボールを飲み込んだ。


「向井も、俺と同じだろ?」

「だから、違う。一緒にしないで」

「同じだよ、向井。ただお前は、俺より上の立ち位置に行きたかっただけだ。俺と付き合わなかったのも、同じ大学に行なかったのも、俺より上に行きたかったからなんだろ?」


 坂城のハイボールグラスの中身。全く減っていない。

 こいつは全然酔っていない。その瞳がハッキリ私を映し出しているから。私を揺さぶりながら、そうだと言うのをただひたすら待っている。

 同意すれば満足?


「あんたと同じだって言ったら、何か救われるの」


 坂城が眉を寄せた。

 認めたくないけれど。否定しているけれど、自分自身分かっている。私と坂城は同じタイプの人間だ。自分のことが大好き。自分が他人からどう思われるか、世間の中でどんな位置を陣取っているか、そんなことばかり気にしている。

 坂城のことは好きだけれど、本当は苦手で。お互い仲良くなりたいと思っていることは感じているのに、負けたくない。一方がとんでもなく上の立場であれば、憧れとか尊敬とかいった綺麗な気持ちでいられたのだろうけれど、二人とも同じ立場だった。抜け駆けなんて許せない。そこに性別など関係無く。


「坂城は、私に何て言って欲しいの?私たちは同じだよって?そうやって慰め合いたいだけなんでしょ?あんたに何か嫌なことがあったのかどうかは知らないけど、そうやって都合良く頼って来ないで」


 何故、私はこんなに苛々しているのだろう。

 坂城が昔と何も変わらない完璧な姿で現れたから?

 それともこんな下らない告白をして、彼らしくない姿を見せられているから?

 どちらも最悪だ。


「ふっ…、くく」


 突然、坂城が笑いだした。声を隠すように、くつくつと笑っている。


「…何?」

「本当に、相変わらずだ、向井」


 顔を上げた坂城の表情、呆れたように笑っている。


「何なの」

「今日最初に向井に会った時の態度。それで分かった。お前はまだあの時のまんまなんだって。まだくだらねーことで、俺に対抗心を燃やしてる。だからこうして、お前と話をしようと思ったんだ」

「……」


 きっと坂城は、私を痛めつけたいのだ。

 彼の話を真面目に聞いてしまった私が馬鹿だった。こいつはやっぱり私と同じだ。自分より上の立場の者が気に入らないのだ。だからこうして過去の出来事を曝け出して、お前は馬鹿な人間なんだと責め立てようとしている。


「向井、安心しろよ。俺はお前が思ってるような完璧な人間じゃねーから」

「はあ?」


 完璧な人間じゃない。

 こんなに綺麗な顔をして、いい仕事について、誰からも好かれるあんたが完璧じゃないだと?


「ふっ、そんな顔するなよ」


 知らぬ間に睨んでいたらしい。眉間を揉むように、指で摘まんだ。


「俺さあ、バツイチなんだ」

「え?」


 突然の坂城の言葉に、思わず顔を上げた。坂城は胸ポケットから煙草を取り出して、指で弄んでいる。


「去年の夏結婚して、先月離婚が成立した。だから今は無事、独身」


 左手を軽く上げて、笑っている。彼が結婚したなんて話は聞いていなかったし、勿論離婚したということも。だから、何と言ったらいいのか全く言葉が出てこない。


「えっと。それは、大変な」

「ホント、大変だった。たった一年。そんな短い間に、結婚も離婚も経験したんだ。何もこんなに急がなくていいんじゃねーって感じ」


 煙草を口元に咥えながら、坂城は何でもないことのように話している。こんな時気の利く台詞を言えたらいいのだけれど、生憎私はみぃちゃんじゃない。彼女だったら何と言うだろう、と考えてみたけれど、答えは出なくて。


「その、何で?って聞いたら、悪い、よね。あ、言いたくなかったら、言わなくていいから」


 私が躊躇いながらそう尋ねると、坂城はまたフッと鼻で笑って、「別に良いよ」と告げた。


「相手の浮気。俺、残業とか土日出勤とか多いから。その間に、たまたま男とホテルから出てくるの見てさ。主婦の浮気ってマジであんだなーって、感心したよ。で、離婚。子どがいなくて助かった」


 カチッと音がして、ライターに明かりが灯った。ジリジリと、煙草の先端を燃やしていく。


「そっか。ごめん、変な話させて」

「別に。俺が話始めたんだし。とにかくさ、俺は嫁に浮気されて離婚したみっともない男ってわけだよ。昔は、こうありたいっていう理想?例えば、良い大学出て良い所に就職して金稼いで良い女と結婚して良い家庭を持って…みたいなモノがあったんだけど、もうそんなもの崩れちまった。完璧な人間にはなれなかった」


 吐き出された煙は、狭い個室だからだろうか、消えることなくすぅ~っと天井まで伸びて、汚れた空気に変わる。白い靄のようなものが、目に見える形で空中に浮遊している。


「離婚ぐらい、どうってことないじゃない」


 そんな人、世の中に腐るほどいるんだし。離婚して幸せになる人だって、沢山いる。

 そう自分で呟きながらも、そういうことじゃないと分かっている。

 失敗、したくないのだ。


「まあな。でも会社では陰口言われまくりだよ。いくら成績を上げても、仕事のしすぎで奥さんほったらかしてたとか、本当は俺が浮気してたんじゃないのかとか。根も葉もない噂話。どーでもいいけどさ」


 起きてしまった事実は変えられない。

 一度あったことは無かったことにはできない。

 離婚という事実。それはその後どんな出来事があったとしても、リセットされるわけではないから、共に連れて歩くしかないのだ。


「俺が大事にしてきた理想なんて、本当に下らないものだ。気にするだけ無駄だよ。自分の立ち位置がどうかなんて、今はもう…」


 自分は完璧でありたい、誰からも一目置かれる存在でありたい。

 そんな理想…私はまだ、それを大事に抱いているの?


「向井は、どうだ?」


 壁にもたれて、こちらを伺う坂城の瞳。

 彼が私にそんなことを素直に話したのは何故?


「私、は」


 私は。

 坂城、いや、みんなに会いたくなかったのは、今の私を知られたくなかったからだ。

 彼の言う通り、私はクラスで誰よりも優れた人間でいたかった。大学も、有名な私立大学に合格が決まっていたけれど、坂城もまた同じ所だった。

 私はやればもっと出来るはずだ。

 更に上の国立大学を目指して、浪人した。

 それなのに、良い結果は出なかった。二年も浪人するなんて流石に恥ずかしくて、中途半端な国立大学に進んだ。次は見返してやる、そう思っていたのに。


「私、就職出来なかったの」


 手元のハイボールは氷が解けきって薄くなっている。それでも無理矢理飲み込んだ。


「就職活動、失敗して。地元に帰って来た。それで今、Y広告の契約社員」


 地元のエリア採用でようやく見つかった仕事。それでも正社員ではなくて、一年更新の契約社員。

 私が思い浮かべていたのは、全国転勤なんかしながらバリバリ仕事をこなすキャリアウーマン。今はそんな理想とはほど遠い、現実。


「正社員登用もあるから、試験受けたりしてるんだけど、今のとこ上手くいってなくて。…何なんだろうこれ、ほんと馬鹿みたい。でもこれが現実なの。ねえ、坂城」


 視線の先には、何も言わずに私の言葉に耳を傾けている憎い男。


「これで満足?」


 坂城が煙草を燻らせながら、軽く唇を上げた。


「最高だな。俺ら、やっぱり似た者同士だよ。あんなに上手くいってた世界から、見事に抜け出すんだもんな」


 無性に苛々する。坂城の言葉も、自分の現実にも、何もかもが腹立たしい。

 何故私はこんな状況にいるの?何故坂城はこんな状況にいるの?

 何故?

 私は坂城が結婚に失敗したことを喜んでいるの?それとも彼までもこんな境遇にあることに悲しんでいるの?他のクラスメイトがそれなりに上手くやっていること、楽しそうに過ごしていることが悔しいの?


「下らない」


 成功したとか失敗したとか。自分がどれだけ凄い人間になったのかとか、どれだけお金を稼いでいるのかとか。玉の輿に乗れたとかブランド物を身に着けているとか。

 何が幸せで不幸せかなんて知らない。みんな抱いているものは別々だから、そんな一般化した理想なんて下らない。

 それなのに。


「なのに、どうしてこんなに下らない理想が、欲しいんだろう…」


 坂城が煙草を押し潰した。

 私も坂城も分かっている。自分が他人よりどれだけ立派かとか、どれだけ裕福かとか、そんなことを気にすることが馬鹿げたことだってこと。

 それでも頭に染みついている…本当は求めているから。

 それは理想と現実が離れれば離れるほど追い求めたくなる。もう手に入らないものが愛しいと思うような、そんな執着心。ただの無いものねだりだって分かってはいるけれど、手放したくない。現実を見たくないだけ。


「向井、悪い、俺…ただ吐き出したかったんだ」


 坂城がテーブルの上、冷めた料理を眺めながら呟いた。綺麗にセットされた髪の中から、白く光るものが見えた。


「こんなこと、言える奴がいなくて。お前に話すのもどうかとは思ったんだけど、一番、分かってくれる気がしたから」


 そう言って伝票を手に取った。


「時間取らせたな。帰るか」


 そのまま席を立って、先に歩いて行ってしまう。慌てて私もその後を追いかけた。


「お金…」

「いいって。俺が誘ったんだから」


 坂城は勝手に会計を済ませて、店の外に出た。あと少しで日を跨ぎそうな時間。金曜のこの時間はまだまだ沢山の人で溢れている。


「坂城…、ありがとう」

「こちらこそ。ありがとう」


 今日はじめて、きちんと目を合わせて話をした気がする。頭一つ分背の高い坂城を見上げて、相変わらず大きな瞳だな、と思った。

 暗い夜の闇。これからどんどん深みを増して、夜は続いていく。この夜が長いのか短いのか…私にはちっとも分からない。朝と夜は繰り返しながら、必ずやって来る。明けたと思ったら更けていく。沈んだと思ったら昇っていく。それが惰性ではなく希望だと思えたら、素敵なんだろう。


「向井」

「なに?」

「俺は、諦めてないから」


 諦めていない。

 坂城の口調は、当初のそれよりも心なしか弱々しい。

 下らない理想を追い求めることか、それともまた別の何かを掴むためか。

 彼は何に対して、そう告げたのだろう。私には判然としないが、それでも自然と唇が緩んだ。


「楽しみにしてる」

「ああ。お前も」


 そうして坂城は颯爽と、夜の街中へと消えていった。一度も振り返ることなく。私はただぼんやりと、その後ろ姿を見守っていた。


(頑張れ)


 初めてかもしれない、坂城にそう告げるのは。

 足を一歩、前へ踏み出した。ハイヒールの靴音が私の気持ちを持ち上げようとする。薄っぺらいプライドの音。私が身に着けているものは結局こんなもんだ。ひんやりとしたコンクリートが足裏に触れた。気持ちが良い。こんなにも気分が楽になるなんて知らなかった。

 道路脇にゴミ箱が目に入った。汚れた紙袋やペットボトルが散乱している。私は躊躇わず、その中にハイヒールを投げ入れた。

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