短編詩《僕のおばあちゃん》
僕には同じ誕生日のおばあちゃんが居た。毎年誕生日は一緒に喜んだ。
僕が高校生になった時からおばあちゃんはあまり動けなくなっていた。
無理もない。この時すでに80歳なのだから。
大学生になったある日おばあちゃんは寝たきり生活になってしまった。
大学三年生の時には単位に余裕があるから昼に家に居ることもあった。
僕が一人昼食を作っていると隣の部屋から小さな音で“パンパン”と手を叩く音が聞こえた。
ふすまを開け「何か用?」と僕が聞くとおばあちゃんは「手を叩いただけ」と言う。
次の週の休みの昼も“パンパン”と叩く音が聞こえたから部屋に行き「何か用?」と聞くと「そこにある本を取ってほしいと言う」
だが次第にただ手を叩くだけの日が多くなり僕は「用が無いなら叩かないで!」と言った。
そんなある日の夜。おばあちゃんは救急車で病院に運ばれた。
大学入学した時から何度か運ばれては家に戻ってきていたからこの時も一週間で戻ってくると思っていた。
だが容体は回復しない。
病院に見舞いに行った時はいつも寝たままで目もなかなか開けない。
「また今度来るからね」というと僕はおばあちゃんの手を握った。
そして大学を卒業した頃おばあちゃんは個室に移された。もう永くは無いと言われた。
死期が明日かもしれないと言うことで職場から一週間休みを貰った。
朝から夕方まで親戚と病院に居る生活が続いた。
ある日、病院から戻る途中に病室に寄った。
ちょうどみんな色々用事があり席を少し離れ誰も居なかった。
今思うと不思議なのだが僕はおばあちゃんに対し「ありがとう。おやすみ」と言った。
自分でも何でこんなことを言ったのか不思議だ。
いつもなら「また来るから」というのに……
そして入院から2週間が経とうとしたときの晩。家でくつろいでいると病院に居る親戚のおばさんから連絡が来た。
「心拍数が急に下がった」
急いで車を走らせて病室に向かった。
この時僕はいつものように「何とか助かった」と言われると思って居た。
そして病室に入るとそこには涙を拭きながら荷物を片づけるおばさんの姿があった。
ベッド横にある心拍数を測る機械はすでに電源が切られていた。
話による連絡を送った五分後にはもう駄目だったみたいだ。
今でも昼食を作っていると今にも手を叩く音がしそうな気がする。
あの時おばあちゃんは用があるから僕を呼んだんじゃなく僕の顔を少しでも見て居たかったからじゃないだろうか?
今あの頃に戻れるなら文句を言わず横に居てあげたかった。
この話は実話をもとに作ったものです。
あれから半年が経ちましたがどうしてあの時めんどくさらず行ってあげなかったのかな?と思ってます
おばあちゃんに「あの時は怒ってごめんね」と言いたいです