第八話 警告
「な、何なんだこの猫は。喋ったぞ……」
驚きはしたものの、当事者から一歩だけ離れていたガランは立ち直り、僅かに間合いを開け武器である槌が無いことを後悔した。
見た目はただの猫であるのに、その姿に見合わない異様な威圧感を感じとった。
「そっちのドワーフは大丈夫だ。マヨイガはお前を選ばない。カルの森に入っても妖怪はいないしな」
「ま。待て! 何の話をしているのだこの猫は。分かるように話せ。いや、そもそも何故猫が話せる!」
自らの常識が現実と合わず、混乱するガランにぬえは一瞥だけして石頭、と言い残しクラ―を再度見る。
「な、何で駄目なんだ?」
この猫は何なのか、ミミリナはこの猫を知っていたのか、クラーの頭にはいくつもの疑問が浮かんだが全てを思考の隅へと追いやる。
重要なのはこの猫が何を知っていて、何を教えようとしているのか。それだけであり、それ以外は後に回しても良いと考えた。
「今は妖怪の立ち位置が決まっとらん。あやふやで、微妙で、どう転ぶかも分からない状況。だが、マヨイガはそんなことを気にしない。迷った奴を入れるだけだ。お前の様に迷った奴をな」
「そ、それはない。カルの森は誰よりも詳しいつもりだ、それにエルフが森で迷うなんて聞いたことが無い」
「その程度の感覚など、マヨイガには関係ない。それにマヨイガは道に迷う奴を招くのではない、心に迷いがある奴を迷わせて招くのだ。迷っているのだろう? 今の状況か、自分か? 分からんが迷いが消えるまでカルの森に入るな」
否定できなかった。否定したくても、その言葉は正しく言葉を呑むしかなかった。
森に入ってカロ山脈の魔物に会って以来、ずっと悩んでいた。
あの時の心臓を掴まれたような威圧感。再びあった時に逃げられるのか、気づかれずにすむのか。それに複数、集団で活動していたことを教えなくていいのか。ガランは混乱するからしなくて良いと言ったがそれは正しいのか。
自分は冒険者に向いていないのではないか。
己の腕に自信があったからこそ、否定は出来たが振り払えなかった。
迷っていた。本当にそれで良いのか。
それを表情にも態度にも見せず、長年の仲間も偽れていたのに目の前の猫には見抜かれた。
出る言葉など何もなかった。
「マヨイガに入れば立場が定まっていないわしら妖怪はお前の扱いに困る。逃がすわけにはいかん、だが留めておくわけにもいかん。なら食うしかないだろう?」
だからカルの森に入るな。
まるで呪いの様にその言葉がクラーの中へと染みこんでいく。
染み込んだ言葉はクラーの思考を侵食する。
行くつもりだった調査を、行こうと考えただけで吐き気がする程度に。
「あら、なに? 客? 妖力感じて戻ってきたら何してんのよ」
「何でもないんよ。協力者も得られたし今日は帰ろうと思うんよ」
猫又は周りを見て察したように、ふんと鼻を鳴らしてぬえを後に続いて店の外へと歩き出す。
あまりにも怪しい猫二匹の行進。呼び止めたい、誰もがそう思いながらも行動に移せるものはいなかった。
「あんたが呪言を使うなんて珍しいわね。そんなに不味い状況だったの?」
カラルを出て人型に戻ったぬえとその肩に歩くのが面倒と乗る猫又、薄らと霧が出てマヨイガの入口に差し掛かる辺りで猫又が先の騒動について聞いた。
猫又からすれば同士扱いから逃げるとミミリナの寝室に辿り着き、悲しみを抑えるため本能のままカーテンを引っかいたりベッドを荒らしているときに、ぬえのただならぬ妖力を感じたのだから。
しかも現場に着いてすぐに呪言の痕跡を見つけた。
呪言は妖怪の中でも祟る、呪うなどに特化した妖怪しか出来ない妖術。無意識に相手の思考を誘導したり、ある考えに至ると意識を失ったりと相手の思考と行動に枷を付ける。
ぬえがそんな手段を使うほどの事態だったのか。猫又はその場にいなかったことを若干後悔していた。
「それほどでもないんよ。ただ、ミミリナが協力してくれれば妖怪を広められるかもしれないんよ。そんな時にマヨイガに入られては困るんよ。逃がせば変な情報を広められるかもしれない。殺せば良いが無益な殺生、下手すれば知らない道具で情報を送られるかもしれないんよ。そうなれば妖怪は魔物と同義となる可能性があるんよ」
妖怪とは人でも魔物でもない何かである。
妖怪という存在をようやく一人に教えられた。一人に教えれば広めるのは容易い。後はゆっくりと広めていけばいい。妖怪に寿命なんて無いのだから。
ミミリナと交友を持てた瞬間、ぬえも猫又も同じ考えだった。違ったのはぬえは情報を優先し、猫又はミミリナとの上下関係を優先しようとした。本能ゆえ仕方がないが、邪魔と判断されぬえに追い出された。
その後に現れたクラーとガラン。猫又も一目見ただけでエルフ、クラーがマヨイガに誘わい込まれると。
それが困るとぬえは言っている。
妖怪という情報をゆっくりと誤解と間違いが出ないように浸透させようとしていたのに、マヨイガに誰か入るのは困ったことになる。
情報は種類によって伝達速度が異なる。
誰かの恋愛、もしくはスキャンダルは素早いが忘れられるのも早い。
逆に教訓などはあまり伝わらず広まるのはゆっくりだが、心には残る。
そして情報の伝達が早く、いつまでも記憶に残り続けるものもある。例えば。
自らに実害を与えるかもしれないもの、現象だ。
もしもクラーがマヨイガに入ればどうなるか、カロ山脈の魔物と勘違いするのでは、危険と判断するのでは。
その情報がカラルに流れれば、妖怪はずっと魔物として扱われる。それも非常に危険な魔物として。
可能性としては高いとは言いがたい、逃がすつもりはないし、殺す前に情報を送られるとも思えない。
だがゼロではない。だからぬえは呪言を使ってまでクラーにカルの森に入るのを禁じた。
無益な殺生などと言っていたが、すべては妖怪のため。今更殺すのを躊躇う妖怪などいるはずもない。
ぬえが妖怪のため念の為にした行動、ならば問題ないだろうと判断し猫又はぬえの肩から降りた。
「なら良いわ。それでこれからどうするの? あいつだけじゃないでしょ、マヨイガが誘い込む人は」
「それはぬりかべに頼んで迷い込もうとした奴を通せんぼしてもらうんよ。GPSは無いから大丈夫なんよ」
ぬりかべはGPS普及の為活動できなくなった妖怪、この世界では問題なく活動でき、また危険性も少ないのでうってつけの妖怪だ。
「その後は他の妖怪の報告聞いて、問題がなければミミリナにして貰って協力して妖怪を広めるんよ」
「そう、お願いするわ。私は寝るわ、眠いから」
気まぐれというのか、カラルに行ったことに満足した猫又はすべてをぬえに押し付けようとする。
それは面倒とぬえも何とか猫又に報告を押し付けようと不毛な争いをしながらマヨイガに着くとそこには。
どでかいドラゴンの死体が三つほど転がっていた。
「「わーお」」
どうやら報告会は簡単に終わりそうになかった。
『妖術』
妖怪が使える不思議な力。座敷童が家を繁栄させるのも、覚が心を読めるのも全部妖術。ようじゅつのちからってすげー。
『ぬりかべ』
バッタン? 違う、ぬりかべです。道を塞ぐ迷惑な妖怪。某アニメの影響で壁のような妖怪と思われがちだが、三つ目の犬、もしくは獅子のような姿もある。作中はどでかい三つ目の犬みたいな姿。GPSの普及により道を塞いだらばれてしまい、活動できなくなった。哀れ。
『ドラゴン』
ファンタジーでは王道の魔物。超強い。カロ山脈に生息している。カロ山脈の生存競争に負けた場合、飛んで遠い地へと移動する。それにより都市がいくつも消え、国が危機に陥った記録もある。