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6.ドラゴンの鱗

 その昔、大地を揺らす地震災害はその地に住むアースドラゴンが引き起こすと考えられていた。そしてその当時、北北西にある岩と木々の覆われたジュゴン山脈に一匹のアースドラゴンが生息していた。近隣の街の人々はアースドラゴンの怒りを買わぬよう、三年に一度生贄を捧げていたのだ。生贄に選ばれたのは若い生娘。生贄とそれをアースドラゴンのお膝元まで運ぶ役割を持った男達がドラゴンの生息地まで辿り着くには必ず通らなければならない洞窟がある。そこを越えれば人の住まない未開の地。

 だがある年、どうしても娘を生贄に差し出したくない貴族の父親が一計を案じ、娘に似た容姿の娼婦を金で買って身代わりにした。するとその年、その地に大地震が起こった。それ以来、生贄を誤魔化すことが出来ないよう、洞窟にはある結界が張られる事となった。


 キルシュは今、その洞窟の前に立っている。洞窟の入口を調べれば、確かに過去の術師の仕業であろう結界が施されていた。はるか昔の人々が使用した術は現代では廃れ、もはや操る者はいないと言われている。過去に何度か起こった自然災害によって当時の文献も残っておらず、この結界を造り出している文様を解読し、解除できる者も居ないだろう。

 そっと腕を出し、結界があるであろう空間に触れる。けれどキルシュ自体には何の変化も現れない。結界に弾かれることも無い。結界が感知するのは女性のみ。そして弾かれる対象となっているのは生娘ではない女性だ。それを確認し、薄暗い洞窟の中へと足を踏み出した。

 足元が暗い為歩きにくさはあるものの、大型の動物が巣食っている訳でもなく、小一時間ほどで洞窟を抜けることが出来た。けれど急激な眩しさに目を細めたキルシュは盛大な溜息を吐いた。目にした光景はアースドラゴンへの道のりが決して簡単ではないことを示していたからだ。

 そこはうっそうと茂る森と岩山で視界を占められていた。依頼主から託された地図によれば、もう一つ山を越えて、アースドラゴンが生息している谷まで歩かなければならない。

 懐から古びた地図を出し、一度道を確かめる。古びたといってもあの結界が張られた時代から比べればはるかに新しいものだ。紙の端は茶色く変色し始めてはいるが、保存状態が良かったのか、インクもしっかり残っているし、擦り切れた様子も無い。それに何より、この地図は獣道まで詳しく描かれていた。何度もアースドラゴンの元へ行ったことのある者なければ描けない地図だ。


「よーし!もうひと踏んばり!!」


 自分に気合を入れて、キルシュは岩場を登り始める。思い出すのは、この地図を受け取った時のこと。

 Aランク昇進の祝いがあった翌々日。早速ずっと目標であった『ドラゴンの鱗』の依頼を受けるべく、キルシュは紫雷のギルドへと向かった。意気揚々とリラへ依頼を受けたい旨を告げると、いつものように彼女は依頼の説明をしてくれた。


 内容はこうだ。国の北北西の端、ジュゴン山脈に古来より住んでいるアースドラゴンの鱗を取ってくること。それ以外のドラゴンでは認められないこと。もし鱗を取ってくることが出来なくても、必ずギルドまで報告を入れること。そして、出発する日の朝にギルドに寄ってから行く事。

 何故一度此処に寄るのかと聞くと、渡すものがある、と言われた。当日顔を出したキルシュにリラが差し出したのがこの地図。そして布にくるまれた一つの包みだった。この包みは決してドラゴンと対峙するまで開けてはいけないと言う。いつもと違った風変わりな依頼に首を傾げたが、これはずっと受けたかった自分の目標なのだ。今更断る理由がある筈も無く、キルシュは素直にそれに従った。

 それと、この依頼に関してはもう一つ、いつもと違うことがあった。それは依頼主と顔を合わせなかったことだ。常ならば、リラから簡単な説明を受けた後、依頼主の下へ行って直接詳細を聞くことになる。報酬も仕事が終わった後に依頼主から受け取る場合が多い。けれど今回の依頼に関してはギルドを通して報酬が渡されると言う。


(ま、いっか。考えても分からないものは分からないし。)


 この依頼は7年もの間、誰も成し得ずにギルドの掲示板に依頼書が貼られたままだったという。それもそうだろう。確かにドラゴンの鱗は高額な値段で取引されているが、現在ドラゴンはほとんど人前に姿を見せなくなった。まず探し出すのが困難であるし、力が未知数なドラゴンを捕まえるなど命がけだ。そこまでしなくても安全に金を稼ぐ方法は他にいくらでもある。成し得なかったと言うよりは、依頼自体受ける者が居なかったというのが本当の所だろう。それに、地図があった所で、今もこの先にドラゴンが居る保障はないのだ。


(それでも俺は行かなくちゃ。)


 幼い頃の約束を果たす為に。そしてもう一度、あの人の笑顔を見るために。






 半日かけて山を越え、目的の谷を見つけた時にはもう日が暮れていた。暗くなれば知らない地で無闇に歩くのは危険だ。一晩の野宿を覚悟して準備を始める。

 かつては大きな流れだったのだろう。谷間を流れる小さな川の傍で腰を下ろし、魚でも居ないかと目を凝らす。けれど既に空は群青色。魚は諦め、枯れ木を集めて火を起こした。下した荷物の中を漁れば、そこから小さな籠が顔を出す。それはリラが持たせてくれた弁当だった。

 紫雷のギルドがある街からこの山裾までは丸二日かかる。一日目の昼にでも食べるよう持たせてくれたものだが、たっぷりの量があったのと、勿体無くて一気に食べる気がせず、ちまちまと摘んでいたのだ。中に入っていたのはサンドウィッチと燻製肉、リンゴが一個と蒸かした芋。保存の利かない野菜の入ったサンドウィッチは先に平らげ、今残っているのは燻製肉とリンゴだけ。肉は焚き火で軽くあぶって、リンゴは川の水で洗って丸かじりする。帰る時にはリラの弁当も空だろう。街に戻ったら御礼を言わなければ。


 火の始末を終えて、マントで体を包む。見上げた空には満点の星。

 野宿は初めてではない。ギルドに入って冒険者となり、ランクの高い仕事をこなすようになると野宿なんて当たり前になった。盗賊や夜盗の捕縛、果ては一人で犯罪ギルドに潜入したこともあった。そんな仕事に比べれば、人の敵意に晒されない今回の依頼はそれほど危険ではないように思う。まぁ、実際にアースドラゴンに対峙しなければ、危険度は計り知れないが。


(ドラゴン、か・・。)


 ドラゴンについての文献はいくつも残されている。専門的なものから児童文学まで。幼い頃はよく好きな女の子と絵本に描かれたドラゴンを見て胸を躍らせたものだ。彼女は特にアースドラゴンが好きだった。気性の荒いファイアドラゴンとは違い、アースドラゴンはとても穏やかで優しいのよ、とよく話をしてくれた。

 彼女は自分とは違って王都に住んでいる訳ではなかった。父親の仕事の関係で時折王都を訪れた際、こちらに預けられていたのだ。彼女に会えるのは一年に数回だけ。けれど夏は長期滞在するから、彼女と遊ぶのが自分の楽しみだった。

 十六年前。夏が終わりに近付いた時、彼女が父親と領地へ帰ってしまうと聞いた。そこで俺は庭から摘んできた花を差し出して言った。自分と結婚して欲しいと。花は受け取ってくれた。けれど彼女はこう言ったのだ。


『私が欲しいのは花でもドレスでも宝石でもないわ。ドラゴンの鱗を取って来られるくらいキルシュが強い男になったら、結婚してあげる。』


 そして、その夏を境に彼女は王都を訪れる事はなくなった。父親伝いに花嫁修業に入るから、無闇に男児が居る家に来ることが出来なくなったのだと聞いた。

 彼女が花嫁修業?誰のために?自分ではない他の男に嫁ぐ為に?

 幼くても俺は真剣だった。真剣に彼女が好きだった。


――ドラゴンの鱗を取って来られるくらいキルシュが強い男になったら、結婚してあげる。


 そうだ。彼女は言っていたではないか。どうしたら自分と結婚してくれるのかを。

 それから俺の心はただひたすらにドラゴンの鱗を、そして彼女を目指したのだ。


「・・・・・・?」


 星空を眺めながら岩の上に寝転がっていた俺は、かすかな揺れを感じて上半身を起こした。だが、なんの音も聞こえない。季節がら、雪解け水が流れ込んでくるとか、土砂崩れが起きているとか、そんなことは無いだろう。しばらく集中して辺りを窺っても異変は見つけられない。気のせいだったのか、と思った時それは起こった。


「うわっ!!」


 突然下流から岩がせり上がり、地響きと共に大きな影を造ったのだ。屋敷一個分はあろうかという大きさのそれは、月明かりに照らされて銀色の光彩を輝かせた。


「まさか・・・、アースドラゴン?」


 俺の言葉に応える様にフシューッと荒い鼻息が漏れる。しかもゆっくりとこちらに近付いているようだ。濃いグレーの鱗で覆われた太い足が前に進む度に地面が揺れる。眠っていた鳥達が夜だというのにバサバサと木々から飛び立つのが見えた。

 思わず横に置いていた剣を鞘から抜く。だが、頭を過ぎったのは彼女の言葉。


――アースドラゴンはとても穏やかで優しいのよ。


 本当に?自分よりも大きく力の持った存在の前で丸腰になるのは非常に危険だ。剣は手放せない。けれど自分は十六年間彼女の言葉を信じて此処まで来た。自分が信じるべきは、何よりも彼女自身だ。

 一度抜いた剣を鞘に戻し、腰のベルトに取り付ける。直ぐに動けるように身構えたまま、その場に立ってドラゴンを見上げる。すると月光に照らされたアースドラゴンは俺の前で静かに頭を垂れた。それは服従の証ではない。どうやら俺の匂いを嗅いでいるようだ。


「??」


 大きな鼻面を近づけられるのは正直恐怖心が宿る。今は閉じられている口が開けば、忽ち自分は飲み込まれてしまうだろう。だが、時折鼻息が掛かるだけで、ドラゴンが牙を見せることは無かった。頭から足の先まで匂いを嗅ぎ終わると、今度は俺の荷物に興味を示した。岩場に置かれたままの荷物に鼻先を寄せる。すると腹の底に響くような声が辺りに響き渡った。


『パンだ。』

「・・・パン?」


 ゆっくりとした速度で紡がれたのは低い、老人のような声。だが、それは不思議な言葉を発していた。


『パン。』

「パン?パンって、あのパン?食べるパンのことか?」

『パンをくれ。』

「・・・・・・くれって、言われても。」


 リラに貰ったサンドウィッチはもう平らげてしまった。あの荷物の中にパンは入っていない筈だ。弁当の籠からパンの匂いがするのかと思い、バッグを漁って籠を取り出す。けれどドラゴンはそれに興味を示さなかった。ならばどれからパンの匂いがするのかと、一つ一つ荷を取り出してドラゴンの前に差し出してみる。けれどドラゴンは動かない。最後にリラから渡された包みを取り出すと、ドラゴンが動いた。


『クルミパンだ。』

「へ?」


 そう言えば、ドラゴンに遭遇したら開けて良いと言われていた。慌てて包みを開けば、そこに入っていたのは確かに、ドラゴンが言った通りクルミのパンだった。しかもキルシュの顔ぐらい大きなパンが三つ、保存が利くよう普通よりも硬めに焼いてある。


「これ、食べるのか?わわっ!!」


 一つ手にとって掲げてみれば、ドラゴンがあんぐりの大きな口を開けた。まるで此処にくるまでに通ってきた洞窟のようだ。試しに一個口の中に投げ入れてみれば、ぱくりと食べた。固めに焼いてあるといっても、ドラゴンにとっては歯で租借するまでも無いのだろう。味わうように舌で転がし、ごくんっと飲み込んでしまう。するとドラゴンは鋭い銀色の目をうっとりと細めた。どうやらこのアースドラゴン。このパンがお気に召したらしい。 そしてまた、何も言わずに口を開ける。こうしてあっと言う間に三つを食べ終えてしまった。


「ごめん、もう無いんだけど・・。」


 再度口を開けたドラゴンに向かって正直に言う。ここで襲い掛かってきたら、と一瞬頭を掠めたがそれは杞憂に終わった。ドラゴンは大人しく口を閉じ、ゆっくりと地に伏せたのだ。


『惜しいな。実に美味だった。』

「・・・お前って、前にもパンを食べたことがあるのか?」


 でなければ、パンの存在を知っている筈がない。伏せたまま、ちらりと銀色の目がキルシュを見返す。


『あるぞ。もうどのくらい前のことが忘れてしもうたが。』

「へー。もしかして、生贄の娘が持ってきたとか?」

『生贄?大昔はそんな風習がヒトにもあったらしいが、我はそんなもの知らぬ。』

「知らない?なら、誰がこんな所までパンを?」


 意図的に人間が持ってこなければアースドラゴンがパンを口にする機会などない筈だ。まさかドラゴンが自分でパンを作るわけが無いのだし。


『娘だ。』

「・・娘?」

『あぁ。そうだ。その娘とは友になったのだ。』


 そう昔を語るアースドラゴンの声は人と変わらず穏やかだった。

 

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