3.女たらしの弟子
「おはようござ――、あれ?随分早いのね。」
時計を見れば朝の9時半。ギルドの営業開始は10時から。出勤してきた私がギルドの扉を開けると、何故か食堂でキルシュが奥さんの淹れたコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます!リラさん!」
「うん。おはよう新人君。今日は朝からどうしたの?」
「はい!任務報告に来ました。」
キラッキラの笑顔を向けるキルシュ。うーん。もうこの子がウチに入ってから一ヶ月になるけど、この眩しいオーラは変わらないわねぇ。
「そう。ならこれ以上待たせるのも悪いからやっちゃいましょうか?」
「え?まだ始業時間じゃないんですよね?いいんですか?」
「いいわよ。その為に待ってたんでしょう?」
「はい!」
カウンターに向かう私の後ろから嬉しそうについてくる新人君。見えないしっぽがパタパタしている気がする。
早速彼の書類を取り出し、内容を確認する。見覚えがあるそれに私は首を傾げた。
「あら?これって、君が一昨日受けた依頼じゃなかった?」
未処理の書類には『ツキマチ草の採取』とある。その名の通り月が出る時刻にしか姿を見つけることが出来ない特殊な草だ。ここからそう遠くは無い場所に群生しているけれど、人が簡単に立ち入れない絶壁に生えている。素人では採取できないのでギルドに依頼が来ていたのだ。
「珍しいわね。いつもなら終わったら直ぐ報告に来るのに。・・・・って、もしかして怪我したの!?」
もしや任務時に怪我をして直ぐに動けなかったのでは?そう思い、慌てて彼の体を見る。袖をまくり、お腹の裾をまくり、額に手を置く。けれど特別大きな怪我も無ければ、熱もなさそうだ。
「あら?大丈夫そうね・・・」
「リ、リラさん・・・」
彼の顔を見れば、カーッと真っ赤になっていた。あ、ごめんごめん。何もないのにいきなり服を捲くられたらびっくりするわよね。でも、言っておくけどセクハラじゃないわよ。
すると食堂の方から笑い声が聞こえてきた。ラウダ夫人だ。年をとっても美人な奥さんは、笑い皺を作りながらこちらを見ていた。
「リラったら早とちりねぇ。」
「あ、すいません。」
「キルシュくんはね、リラを待っていたのよ。」
「へ?」
「あ、あああああの!!!」
「どういうこと?」
「う・・」
焦った様子のキルシュを見れば、彼は更に顔を真っ赤にして眉を下げた。
「そ、その・・・昨日はリラさんがお休みだったので・・・・」
確かに私は昨日が休日だった。ギルドでは五日に一度はお休みがある。その間は他の従業員がカウンター業務を代わってくれるのだ。
「私が休みだったから、わざわざ今日まで報告に来るの待ってたの?」
まさかと思って聞いてみれば、コクンと金髪頭が頷いた。
「はぁ・・・。それはどうも、ありがとう?」
なんと応えれば良いのか分からず、とりあえずお礼を言ってみる。ま、よく分からないからちゃっちゃと仕事を済ませちゃいましょ。
いつも通り報酬の確認と任務の聞き取りを行い、書類に判を押す。彼の名前が記された棚にその書類を入れようとして、私は手を止めた。
「あら。これ、五つ目の仕事だったのね。」
そう言葉を零せば、待っていましたとばかりにキルシュが顔を輝かせた。Fランク五つ目の仕事が無事終了。彼は素行も問題ないし、依頼主からの評判も良い。これでEランク昇格となる。Fランクは真面目に仕事すれば誰でもクリアできるお試しレベルだから、彼なら当然だろう。
「昇格の手続きがあるからEランクの仕事を受けられるのは明日からになるけど、一先ずお疲れ様。」
「はい!ありがとうございます!」
そこで立ち去るかと思いきや、彼はニコニコしたままカウンターの前から動かない。まだ始業じゃないし、他の冒険者がいないから構わないけど・・・・何してるんだろう。
「まだ何か?」
「・・リラさん、約束は?」
「え?」
約束?何か約束してたっけ?
さっぱり思い出せずフリーズしていると、キルシュが目を潤ませる。こら!成人男子が子犬みたいな目をすんな!
「・・・名前、呼んでくれるって。」
「!あぁ・・」
そう言えば、新人君と呼ぶのを止めると言った気もする。よく覚えてたな。まぁ、彼のプライドもあるんでしょうね。
「ごめんごめん。そうだったわね。じゃ、また明日ね、キルシュ。」
「!!!はい!!お疲れ様でした!」
そして彼は満面の笑顔で意気揚々と帰って言った。朝から元気ね〜。
「随分と懐かれたようね。」
はーっと息を吐くと、カウンターまで奥さんが淹れ立てのコーヒーを持ってきてくれた。その笑顔にはからかいが含まれている。
「偶々エサをあげた子犬に懐かれた気分です。」
「あははっ。確かにそうも見えるけど・・」
「え?」
「彼は立派な男よ?それを忘れないようにね。」
「はぁ・・・・」
口元に艶のある笑みを浮かべて奥さんがキッチンへ戻っていく。はぁ。色気のある人って羨ましいなぁ。すでに五十近くの筈だけれど、若い頃はさぞかしモテただろうと分かる程奥さんは綺麗だ。今も長とラブラブだもんね。
(結婚、か・・・・)
幸せな結婚なんて経験していないので分からない。だからラウダ夫婦を見ていると、離婚した過去の自分が惨めに思える。
(ま、昔の事うだうだ言ってもしょうがないわね。)
さて、仕事の準備を始めるか。
* * *
「また指名ですか?」
渡されたのはウチのギルドに来た新しい依頼内容が書かれた書類。十数枚あるその中にEランク冒険者キルシュ=ベルレイを指名した仕事が三件もあった。彼がランク昇格してから二ヵ月後のことだ。
「最近ここいらじゃあ人気だからなぁ。」
「そうみたいですね・・・。」
書類を持ってきてくれた同僚にお礼を言って、私はその依頼書を眺めた。
実はこの頃キルシュを指名してくるお客さんが増えている。冒険者を指名すればその分報酬が上乗せになるのだが、それでも構わないというお客さんがいるのだ。どうやら彼、持ち前の人懐っこさと真面目な仕事ぶりで評価が鰻のぼりらしい。ウチの冒険者を指名してくれるのだから、ギルドとしてもキルシュ本人としてもありがたい話だ。普通なら喜んで受けるのだけれど、指名数増加の要因がどうやら仕事ぶりを評価してくれているだけではない事に最近私は気づき始めていた。
わざわざ冒険者を指名するのだから、当然相手は羽振りの良い顧客だ。大きな商家や貴族が主。けれどキルシュの場合、若い娘がいるお客さんが圧倒的に多い。つまり人気があるのは若い女性達に、という事。これがスカードならなんの心配も無いのだけれど・・・。
(あの子が上手く女の子たちをあしらえるのかしらねぇ・・・)
女の嫉妬程恐ろしいものはない。万が一女性トラブルに発展すれば彼の今後の仕事にも差し支えるだろう。権力のある彼女達の親が出張れば、ギルドの評判も地に落ちてしまう。
(うーん・・・。心配しすぎかしらね。)
けれど一途に幼い頃の恋を追いかけている彼が女性の扱い方を知っているとは思えない。ま、万が一何かあればあの女ったらしが保護者なのだし、なんとかなるのかしら。
と、思っていたのだけれど、ちょっと考えが甘かったみたい。
「・・・・大丈夫?」
「大丈夫・・です・・・」
うん。ダメだわ、コレ。
夜。ぐったりとした様子で酒場のテーブルにつっぷしていたのはキルシュだ。隣街まで男爵家のお嬢さんを送り迎えする仕事だった筈だけれど、護衛と言うより彼を連れて歩きたかっただけらしい。買い物からお嬢様方のお茶会まで連れ出されたそうだ。
こういう場合後処理が難しい。依頼は移動中の護衛、という名目だった。だから買い物やお茶に付き合うのは依頼内容には無い仕事だ。当然こちらから男爵家へ注意をする事はできる。けれど護衛の為に連れ回したのだと言われればギルド側は折れるしかない。女は強かだからねぇ。判断するのは長だけれど、可愛い女の我侭にわざわざ注意はしないだろう。キルシュには向かない仕事だったというだけで今回は処理されそうだ。
指名は絶対ではない。やりたくないなら断る事も出来る。でも、本気で最短Aランクを目指しているのなら、キルシュは断らないだろう。うーん。自分で納得して仕事を受けるのなら仕方が無いのよね。良い人生経験だと思うしかないわ。私がやきもきした所で状況は変わらない訳だし・・・って、何よ私。やきもきしてたのか。
まぁ、私が口を挟む事じゃ無いって事よね。キルシュにはご愁傷様と言っておこう。
「疲れている所、言いにくいんだけれど・・」
「え?なんですか?」
「実は、今日また新しい依頼が来てね。貴方指名が三件。」
「・・・・指名、ですか。」
「ま、どれも急ぎじゃないから。気が向いた時に内容確認しにいらっしゃい。」
「分かりました。」
ほーら、やっぱり嫌とは言わないのよね。見上げた根性だわ。
「あなた甘いの平気?」
「へ?はい。」
「ならこれどうぞ。」
「ホットミルク、ですか?・・いただきます。」
私がキルシュに渡したのはホットミルク入りのマグカップ。中にはちょっとレモンとたっぷり蜂蜜を溶かしてある。私が疲れた時にいつも飲んでいるものだ。
「・・美味しいです。」
ほっと息を吐きながらキルシュの表情が緩んだ。いつも笑顔だから、落ち込んでいると気になっちゃうのよね。やっと笑顔になった彼を見て、私も力が抜ける。
「そう。良かった。」
「これ、リラさんが淹れてくれたんですか?」
「自分のついでよ。」
そう言って私も自分のマグカップを掲げて見せた。中には同じものが入っている。
「ありがとうございます。」
不思議な子よね。こうやってふにゃっと笑う姿は今でも冒険者になんて見えないんだけれど。キルシュの持つ独特の柔らかい空気がそうさせるのかしら。
「おや?リラは休憩中?」
「今丁度人がいないからね。仕事?スカード。」
ギルドに入ってくるなり、片手を上げてこちらに向かって来るのはスカードだ。今彼がうちから受けた依頼は無かった筈だから、用があるとすれば新しい仕事探しだろう。
「あぁ。ちょっと面倒な仕事があってね。リラに応援頼めないかと思って。」
「私に?」
Aランク様が事務員の私に何を頼むというのだろう。首を傾げていると彼が目の前に差し出したのは一枚のカード。手に取り見れば、甘い花の香りがする招待状だった。
「これ、フレール侯爵家のパーティーの招待状じゃない。」
「そ。前に侯爵の依頼を受けてから懇意にしてもらっててさ。是非にと誘われたんだけど、パートナー同伴がマナーだろ?」
「・・・・・まさか私にパートナーになれって言ってるんじゃないわよね。」
「うん。そのまさか。」
にっこりと微笑まれ、さり気なくスカードが私の髪に触れる。ちらりとその長い指先を一瞥し、私も満面の笑みを返した。
「断る。」
「即答なんて酷いなぁ。」
「スカードならパートナーぐらい選り取り見取りでしょ?着飾って貴族のパーティーなんて面倒な事ごめんだわ。」
パチンとスカードの手を払う。大袈裟に痛そうな演技をするスカードだが、顔は楽しげに笑っている。最初から私が断る事くらい予想済みなのだろう。分かっていてやるのだからタチが悪い。
「たまには着飾った君を見てみたいんだよ。なぁ、キルシュ。」
「へ!?えっあの・・その・・・!!」
急に話を振られたキルシュが顔を真っ赤にしてあたふたしている。この子見てると毒気が抜かれるわ。スカードのような男にならない事を祈ろう。
「あの、俺も、その・・・、綺麗な格好をした、リラさんを・・・その・・見て・・みたい、です。」
段々と小さくなっていく声。比例して彼の顔が下を向いていく。すっかり俯いてしまったが、彼の真っ赤な耳はこちらからでも十分見えている。お世辞一つでこれだけ照れてしまうのだから、女慣れしてないことは一目瞭然だ。ほんと、可愛いなぁ。
「ありがとう。じゃあ、それは別の機会にね。」
「・・・結局俺の方は断るわけね。」
「当然でしょ。身近な所で済まそうとしないで他を当たって頂戴。」
「ずるいなぁ。キルシュには優しいくせに。」
「だって害が無いもの。」
「俺はあるわけ?」
「大アリじゃない。」
ポンポンと軽口を叩きあっている内に、いつの間にか時間は夜の七時を回っていた。ギルドのカウンター業務は夕方五時まで。役所みたいにきっちりとした決まりではないので相手が急いでいたり、こちらの手が空いてれば受付する事もあるけれど、基本はこの時間を守っている。後の一時間で当日の仕事のまとめや片づけをして、それが終わったら奥さんの作ってくれる夕食を食べて七時前後で帰宅するのが私のいつもの一日だ。
「あ、リラさん。帰るんですか?」
飲み終わったカップをもって席を立つ私に続いて、キルシュも立つ。彼の質問に頷き、私は彼の分の空いたマグカップを手に取った。
「えぇ。仕事も終わったし、今日は帰るわ。」
「あ、あの、俺も帰るので送ります。」
「え?」
カウンターにカップを返すなりそう言われ、私はまじまじとキルシュの顔を見てしまった。そうか。そう言えばこの子良いトコの出だったな。久しぶりの女扱いに、ちょっとびっくりしてしまった。
「あぁ、大丈夫よ。ここから直ぐ近いし。」
「で、でももう外は暗いです。送らせてください。」
「はぁ・・、じゃあお願いするわ。ありがとう。」
「いえ!!じゃあ行きましょう!!」
奥さんとスカードのにやにやした笑みと共に見送られてしまった。この私が断りきれないなんて。天然って恐ろしいわ。
夜風が気持ち良い。ここは静かな山間の街だから晴れた日には星が良く見える。涼しい風に当たりながら歩く帰路は自宅まで十五分の短い距離だ。本当に送ってもらう程じゃないんだけれど。
隣を歩くキルシュを見れば、彼は機嫌良さそうに歩いていた。ついさっきまで疲れた顔していたくせに。
「そう言えば、キルシュの自宅って王都の近くよね。ここからかなり時間かかるんじゃないの?」
「えぇ。実家は、そうですね。馬でも二時間はかかりますよ。紫雷のギルドで仕事を始めてからはスカードさんのお知り合いの所に下宿させてもらってるんです。」
王都の方が色々仕事はあるだろうに。わざわざウチに入ったのは、やはりスカードが言っていた憧れの冒険者がいるからなのだろうか。
「へぇ、大変ねぇ。あ、そう言えば、スカードの言ってたフレール侯爵からも仕事が来てたわよ。」
「仕事って・・、俺指名のですか?」
「そう。名前は侯爵になってたけど、実質あなたを指名しているのは次女のメリナお嬢様でしょうね。依頼内容が郊外の別荘へ行くお嬢様の護衛になってたから。」
あ、困った顔になった。そして小さく溜息を吐いている。断りたくても仕事である以上断れないのだろう。まぁ、フォローぐらいしてあげるか。
「そんな顔しなくても。メリナ=フレールと言ったらお人形のように美人って評判よ。男なら傍で眺めてるだけでも嬉しいものじゃないの?」
「・・・そうかもしれませんけど・・。あの、リラさんは俺がこういう仕事受けるのって・・どう、思いますか?」
「え?私?」
質問に驚いて聞き返せば、キルシュが真剣な面持ちでコクンと頷く。そんな神妙になるような事言ったかしら、私。
「キルシュがどんな仕事受けようと、目標の為に頑張ってるんだなぁ、と思うけど?」
「リラさん!」
突然嬉しそうな声で名前を呼ばれたかと思うと、体を拘束される。いや、違う。キルシュが私を抱きしめているのだ。
(え?え??)
何がどうしてこうなった!?突然道の上で起こった出来事に目を白黒させていると、益々体に回った腕に力が篭る。ちょちょちょっと待って!何これ?親愛のハグとかそいういうことなの?っていうか私の鼓動煩い!!こんな子供みたいな年下男に抱きつかれたぐらいで何動揺してんのよ!思ったよりも体が大きいとか、体が熱いとか、筋肉の付いた腕が逞しいとか・・・・・・おおおお思ってない!思ってないから!!
「俺頑張りますから!!」
「あ・・っそう、頑張って・・・」
「はい!!」
この子が一体何考えているのか分からないけど、こういう生き物だって事にしておこう。じゃないと私の身が持たない
――彼は立派な男よ?それを忘れないようにね。
いつか言われたラウダ夫人の言葉が蘇る。えぇ。そうですね。全くその通りでした。今正にそれを実感してますよ。スカードと違ってこの子に触れられるのは心臓に悪すぎる!
「ちょっといつまでこうしてる気!」
「あ、すいません。」
ぱっと両手を挙げてキルシュが離れる。けれどその顔は緩みっぱなしだ。
「・・・なんで笑ってるの。」
「だって、なんだかリラさん可愛いから。」
「かっかわ・・・・・!!!!」
明らかに私に似合う言葉じゃないでしょうそれ!!ギルドの人たちに聞かれたら大笑いされること間違いなしだわ!!え?スカードも言ってたって?あいつの可愛いは使い回され過ぎた社交辞令よ。失笑する価値も無いわ。
「ほら。真っ赤になって可愛い。」
にこっと笑ってキルシュが私の左手を取る。そして軽く握ったまま歩き出した。
「えっちょっと・・・」
「あ、分かれ道だよ。リラさん家はどっち?」
「・・こっち。」
未だにどくどくと煩い鼓動を宥めつつ、彼に手を引かれてついて行く。もしかしてこの子、スカード以上に女ったらしになるかもしれないわ。
末恐ろしや、天然たらし。