―Ⅶ―
ロンドンの一等地にそびえるビルの最上階には、全面ガラス張りの部屋が一つあるだけだった。
この部屋からなら、ロンドン中を眺めることが出来る。もしかしたら、ロンドンの支配者になった気分になれるかもしれない。
「喜ぶのです。お前は今回の事業は成功するのです。――」
「本当か! これで、パリの奴らを出しぬけるぞ!」
その言葉を聞き男は両手を上げて喜んだ。食糧が不足しがちなこの時代に、脂肪と共に欲をため込んだ腹が目立つ。その上に被せられたワイシャツは男が動くたびミシミシと悲鳴じみた音を鳴らし、しわのないベージュのスーツがひらひら踊っていた。
男の目の前に居るのは十代前半ほどの少女だ。
東洋の血が混ざっているのか黒く艶のある長い髪に、黒曜石のような瞳をしていた。さらにその少女は真っ黒なドレスを纏い、腕には長手袋、足は長いブーツと、肌が現れているのは顔だけだった。
少女は、眼前で喜ぶ男を一瞥すると、小さく咳ばらいをした。
それに気づいた男が、いやらしい顔で反対側へ腰かける。
「それで、報酬はおいくらほどで? もっとも、この事業が成功した暁には世界が買えるほどの金が手に入る! いくらでも、差し上げましょう!」
自慢げに語る男を前に少女は感情がほとんど籠っていない声で伝えた。
「金などいらないのです。私が欲しいのはお前が一番大切にしている物」
少女の言葉を聞き、男が椅子から立ち上った。側近と思われる男が二人、胸ポケットに手を伸ばす。銃が入っていることは初めから分かりきっていた。
「まさか、わしの命が欲しいとでも言うのか!」
少女が小さく笑った。
これをどうとったかは知らないが側近が銃をだし発砲。渇いた発砲音に一瞬遅れ、胸部と頭部から血を流した少女が椅子に力なくもたれかかった。
「何故撃った! こいつはまだ使えたかもしれないというのに」
感情的になった男は舌打ちすると、低い声で言った。
「片付けておけ」
側近の二人がそれに応じるのを聞く前に、男の頭はこれからのことに頭が切り替わっていた。儲けた金をどうやって増やそうか、その金で政治に介入してやるのも面白い。金の力があれば女王さえ手に入れられる。
男はそう思考を巡らせほくそ笑んだ。
「つまらない記憶なのです」
そんな中で響いた声に男の脳は、冷水をかけられたように反応した。
「何故……」
「理屈を説明してもお前には理解できないのです」
少女が一歩前に出ると、男が尻もちをつきじりじりと後退していく。その時男の視界の端に音もなく倒れている二人の側近の姿が目に入った。生きているのかすら判別できない。
「やめろ……殺さないで――」
「私は寛大なのです。子供のお遊びに付き合ってやるくらいわけないのです」
「見逃してくれ……」
「お前の命などいらぬのです。ただ、報酬はきちんと貰っていくのです」
翌日、自社の社長室で倒れている男が、秘書に発見された。
一命は取り留めていたが、男は喋ることも、食べることも、動くことも出来なくなっていた。
新種の病かと疑われたが身体や脳に異常はないため原因は分からずじまいだ。
その日のニュースで医者が言っていた。
「まるで、動くことを忘れたみたいだ」
と。