―Ⅴ―
「さあ、フェンリル。覚悟はいい?」
ジェシカが、楽しそうに笑う。
そこに、フェンリルの脚が下ろされた。その衝撃で再び、地面が陥没する。直撃して、生きていいられる人間は存在しないだろう。
「くそっ」
掠れた声でウィルは声を上げたが、周囲の音にかき消されその声は届かない。
さらに、フェンリルは念押しと、磨り潰すように足を動かし、しかし獣の顔に困惑の表情を浮かべた。
「こんなものなの? フェンリル」
ゆっくりと、フェンリルの脚が持ち上がり、次にはフェンリルの躰が宙を舞い、背中から轟音と共に地面に落ちる。
「調子に乗り過ぎよ」
赤い少女だ。流れるような長い髪は血のような赤、細部まで技巧を凝らした赤いドレスは、お伽噺に出てきそうな代物だ。
そして、一際目を引くのは背にある異形。コウモリを思わせる双翼が広がっていた。
「これはもう駄目ね」
少女は、手にしていたボロボロに崩れた、ジェシカの持っていた二本のサーベルを投げ捨て、フェンリルを一瞥すると、目を細めウィルを見る。その瞳も深紅に染まっていた。
「ウィル、いつまで寝てるの」
笑みを浮かべた口元に二つの牙がわずかに覗く。
「そろそろ動けるはずよ。私のウィル」
「無茶させやがって……」
ウィルは立ち上ると同時に発砲する。弾は少女の横を通り過ぎ、フェンリルから分離された幻獣の頭を正確に打ち抜いた。
「さっさと倒すぞ」
「――ジェシカ(・・・・)」
「そうこなくちゃ」
ジェシカが腕を横へ伸ばすと、赤銅色の大鎌が出現させた。瞬間、周辺の魔力の濃度が一気に跳ね上がる。
ウィルは銃に残っていた弾を捨て、別の弾倉を叩き込む。地面をはねた銃弾は、全ての文字が強すぎる魔力に異常発光し、銃弾ごと塵になった。
「ジェシカ、フェンリルは任せるぞ」
「私に指図する気?」
赤く染まったジェシカは大鎌を振るう。
「だったら、私をその気にさせてみなさい?」
そういうと、ジェシカはダンスのステップを踏むかのように幻獣の合間を進んでいく。
「あいつ……」
ウィルは銃を幻獣に向け、発砲。今度の弾はウィルが創り出した傑作だ。銃弾は霧散せず、確実にジェシカの道を切り開く。
ジェシカは視線だけで笑った。
「なかなかうまくなったじゃない」
「振り回されっぱなしはごめんだからな」
「だったら、これならどう?」
起き上がったフェンリルの攻撃を跳んで回避すると、フェンリルの眼前へ飛ぶ。
「馬鹿かッ」
反射的にウィルはジェシカに向け銃を撃つ。
ジェシカは、その弾を踏み台にさらに跳躍。残りの弾は分離した幻獣を撃ち抜き、フェンリルの鼻先を掠め動きを止める。
ジェシカは、フェンリルの頭を飛び越えると、その背中に足を付ける。
「ふふっ。少し太り過ぎね。もっと痩せたらどう?」
「貴様ッ……」
フェンリルが低い声で唸る。
「口の利き方を忘れたようね。フェンリル」
「貴様のような小娘に払う態度などないッ」
同時に、幻獣を分離させる。
「ウィル!」
ジェシカの声から数瞬遅れ、幻獣の頭に銃弾が吸い込まれ、重力に引かれ落ちていく。
下から怒鳴り声のようなものが聞こえたがジェシカは無視した。
「じゃあ、教えてあげるわ」
ジェシカは魔力を少し解放すると大鎌を振り上げ、笑みを見せる。
「可愛そうな狼さんに、ね」
「貴様、まさか『赤きみか――」
一息に、振り下ろした。
――ギャアアアァァァァァ!!!
耳を劈くような悲鳴に、フェンリルの足元にいたウィルは耳を塞ぐ。一拍おいて何かが倒れる音と、濃密な血の臭いがする雨が降る。
同時に、フェンリルと同化していた幻獣が動きを止め、糸が切れた人形のように倒れていった。
「ジェシカ! 大丈夫か」
「……やられた」
ジェシカはウィルの前にそっと着地すると空を睨む。ウィルも同じ方へ目を向け、息を飲んだ。
「その姿を見るのは久しいな」
「そうね。会いたくは無いのだけれど」
中世の絵画から現れたような青い衣装を纏った男は、ジェシカと同じように、白い天使の双翼を広げ宙に浮いている。
Xランク、『深淵の淵を廻る者』 ガブリエル。
「貴様、何しに来た」
残弾を確かめる間もなく、ウィルは空にいる幻獣へ銃口を向けた。
「君たち人間にとっては都合のいいことだよ」
ガブリエルが取り出したのは、暗緑色に鈍く輝く水晶体のようなものだった。
「あれは、フェンリルの核」
「フェンリルの核?」
「フェンリルの記憶、思考、能力、魔力の大元よ。簡単に言うと、フェンリルの命ってとこね」
「ご名答。流石、Xランク『|血色の(赤き)三日月』」
ガブリエルは不敵に笑ってみせる。フェンリルの核を突き出した。
「くれてやろうか『血色の三日月』?」
「アンタと一緒にしないで」
ガブリエルは少し肩をすくめてみせると、一息にフェンリルの核を飲み込んだ。
「これでフェンリルは永遠に消え去った。敵意を向けるのではなく感謝するべきではないのか、人間?」
「喰ったのか……。フェンリルを」
「いつみても反吐が出るわね。『深淵の淵を巡るもの』、幻獣を喰う幻獣」
「人間を喰わなければならない君よりは、幾分かはましだと思うが?」
ガブリエルが言い終わると同時に、ガシャリと大きな金属音が鳴った。
「なかなか面白いことを言うのね」
鎌の代わりに幾本の鎖を造りだしたジェシカは、その中の一本をガブリエルに向け飛ばしていた。
先程の金属音は鎖の先端の円錐を重ねたような金属塊とガブリエルの短剣が衝突した音だった。
ガブリエルはその反動を利用し、宙へ舞い上がった。
「褒め言葉として受け取っておこうか」
「勝手にしてなさい」
ジェシカが不機嫌に唸り、ウィルがガブリエルが完全に消え去ったのを確認すると、二人は息を吐いた。
その間に、ジェシカの双翼はぼんやりと形を無くし、髪の色も元の金に戻っていた。
数分後、バラバラという音と共に、強いサーチライトが二人を照らした。
「ウィル、ジェシカ! 無事か!」
「所長か……」
中から半身を乗り出し拡声器越しに声を荒げているのは、所長のアルマンだ。ここからだと表情まで伺うことが出来ないが、声音で判断するに相当怒っている。
ウィルは期待せず横目でジェシカを見た。
「言い訳は宜しく」
いつの通りの無責任な頼みごとを弱弱しい苦笑いで受けてやった。