―Ⅰ―
日が沈みかけたロンドンの一角で、殺人課の主任刑事が青年を脅していた。
「お前が、俺達の応援に来た僧兵だとぉ。馬鹿も休み休み言え。まだガキじゃねぇか!」
青年――ウィルは気怠そうな顔で視線を斜め上に逸らした。もう帰りたくて仕方ない。
ウィルは刑事からのらりくらりと逃げるとぼやく。
「そう言われても、俺が派遣された職員だからしょうがねぇだろ。許可証も武器も所持してる。文句があるんなら帰るぞ。苦情は所長に送ってくれ」
そして、最後に「僧兵じゃねぇよ」とも付け加えた。
刑事は舌打ちすると、目を細め品定めするようにウィルの周りを回り始める。
「……お前年は」
「今年で二十歳だ」
「俺の娘より若けぇじゃねえか」
「だからなんだよ」
「チッ……まあいい。許可証出せ」
差し出すと刑事は張られた写真とウィルの顔を見比べ、アルマンだ。とだけ言って許可証を投げ返した。
「オードヴァル……。聞いたことねぇな」
「知ってる方が稀だよ。……さっそくで悪いんだが、仕事の話をしないか?」
そう言ってウィルは煉瓦で舗装された公園に目を向けた。各地の入口には規制線が張られ警官が動き回っている。
「そうだな、やれやれ、やっとだ」
アルマンはやっとのところを無駄に強く言うと、規制線を潜っていった。まあ、警察とEPAの不仲は今に始まったことではないが、こう露骨に出されると頭にくる。
「どう見ても幻獣のやろうだろ。え、どうなんだ」
「間違いないな」
視線を下へ向けると、無残にもを腹を食い破られた死体が仰向けで倒れていた。四肢があり得ない方向へ曲がり、腸が放射状に引き出され、血肉が至る所に散らばっている。人間がやったとしたらとてつもない時間と労力が必要になるだろう。
十字を切り、ウィルは無造作に遺体に触れた。人間の肌の感触はしっかりするのに、暖かみは一切感じられない。
「まずいな、まだ傷が新しい。近くにいるかもしれない。俺達で探そう。今すぐ連絡して2ブロック先までの住民を避難させて、ここら一帯を閉鎖してくれ。大規模汚染が起こったら、左遷だけじゃすまないぞ、アンタ」
「なんで、お前に命令されなきゃ――……わーたよ」
アルマンは舌打ちすると、無線を手に取る。その時ふと思い出したように呟いた。
「そういや、お前、相方はどこにいるんだ」
「……あ、ああ。その辺を警戒させてる。そんなことよりさっさと連絡をしてくれ手遅れになる前にな」
アルマンが無線に向かった隙にウィルはスマートフォンを出しリダイヤルをかける。それでも、発信音がするだけで出る気配は一向にない。全くどこに行っているんだか。
たんっ
軽い音と共に地面に降り立つと、少女は猛烈な勢いで走り出した。年は十六、七ぐらいだろう。流れる甘栗色の長い髪に、線の細い身体。整った顔立ちはすれ違えば思わず振り返ってしまうものだ。しかし、今その顔には怒りの表情が見て取れる。
「ウィリアム・アスターク! 私を捨てていくなんて良い度胸してる……っ」
どうやら置いてけぼりを食らった少女は物騒な言葉を呟きながら、街を駆け、跳び、抜けていく。
そして、何度目かの通りを横切った時、少女の視界の端に三階の窓ほどの大きさの黒い狼のような姿がが入った。
少女は壁の小さな凹凸に足をかけると、青白い閃光を残して一気に駆け上った。
「へぇ、珍しいのが来てるみたいね」
そう呟くと少女は五階建ての建物から躊躇なく飛び降りる。それでも、全く危なげなく着地すると狼に声をかける。
「こんばんは、フェンリル。こんなところに珍しいじゃない?」
まるで、たまたま通りかかった友人に声をかけるような話しぶりだ。すると、フェンリルと呼ばれた狼から、金に光る双眼が現れた。
「貴様のような小娘。我は知らぬ」
威圧するような重低音の声と、鋭い「狩る側」の獣の視線が少女に突き刺さる。
「あ、そう。じゃあ、本題、今すぐ帰ってほしいな。そこら辺にいる貴方の同族も連れてさ。じゃないと、貴方を倒さないといけない」
「……貴様――」
「B級幻獣を確認!」
フェンリルが口を開きかけたとき割り込む声が明後日の方から聞こえてきた。
「……また人間か」
「ウィル!」
「ジェシカ、無事か!」
ジェシカと呼ばれた少女は走り出す。
そして、ウィルという青年に抱きつこうと――はせず、強烈な蹴りが股間に食い込んだ。
「ぐあああああッ!」
ウィルはそのまま膝をつくと、頭を地面につける。女性は決して感じることのない激痛にのたうちながらもどうにか顔を上げた。
「私を置いていくなんて。よくそれで顔を見せられたものね」
「お、怒ってるのかよ」
「当たり前」
「しょ、しょうがねぇだろ。お前、何度連絡しても出なかったじゃねぇか」
「……」
ジェシカは無言でスーマートフォンを取出し何かを操作すると、ウィルに画面を向けた。
「着信履歴なんてない」
「今データ消したんだろっ」
その時再び二人の会話に割り込むように銃声が轟いた。見ると、硝煙を上げるリボルバー銃を握るアルマンがいた。
「おい! 漫才してる場合か。仕事しろ!」
フェンリルの身体から、血が噴き出していたが、それもすぐに弱くなり、傷口から銃弾が落ちると、傷は完全に塞がっていた。
「……余程死にたいようだな、人間共」
ぐわりとフェンリルの口が開く。白く鋭い牙と真っ赤な舌。その口は人間など一飲みだろう。そして、体勢を低くすると唸りを上げ始める。マズい。
ウィルは叫ぶより早く走り、アルマンに体当たりをする。
「うおっ! 何しやが――」
上体が逸れたそこにフェンリルの下顎が通り過ぎ、巨体が通った風圧が後に続く。アルマンの顔が青ざめた。
「何やってんだ。死ぬ気か!」
ウィルはいまだ握っているリボルバーを取り上げた。
「それと、幻獣に通常の銃は効き目がない。怒らせるだけだから絶対に使うな」
「じゃあ、どうやって倒すってんだよ!」
その時黒い影が二人を覆い、アルマンが短い悲鳴を上げる。フェンリルの生暖かい息が二人の髪をバタバタと靡かせた。
ふと、何かに気づいたのか、フェンリルが顔を上げる。
そこには、少女の姿があった。目の前で喰われる寸前の二人より、あっちの方が危険だと考えたのか。
「ジェシカ、しゃがめ!」
「え……?」
突然の指示に反応できず、ジェシカは横に飛ばされ、摩擦痕を残しながら吹き飛ばされる。巨体に似合わないフェンリルの挙動に驚く間もなく、ウィルはベルトから拳銃を引き出すと、引き金を引いた。
ダンッ、ダンッ
渇いた発砲音と同時に来る反動で腕が跳ね上がる。
弾は前肢と胴に着弾し血を噴き始める。フェンリルは悲鳴を上げて後退。今度は傷が治り始める素振りはない。
ウィルは続けざまに発砲し、フェンリルの巨体を穿っていく。
十発ほど打ったところで、スライドが後退したまま動かなくなり、土煙を上げフェンリルが倒れた。
注意深く接近するが、フェンリルはピクリとも動かない。ウィルはそこで、おやと首をかしげた。
数発は胴にあたっているが肝心の急所にあたったものが一つもない。
ウィルは背中に冷たいものを感じた。同時に、フェンリルの目が開き牙が迫る。
ガチン
薄らと目を開くと、そこにはギロチンと化した牙が、目に飛び込んできた。どうやらまだ自分は生きているらしい。
フェンリルの頭上には一つの人影があった。フェンリルの脳天に突き刺したサーベルを一息に抜くと、軽々と飛び降りウィルの横に立つ。
「ジェシカ、助かった」
「情けない」
ジェシカは赤く染まったサーベルをしまうとそっぽを向いてしまった。
ウィルはアルマンに素直に頭を下げる。
「済まなかった。危険な目に合わせた」
「おい、お前。さっき普通の銃は聞かないようなこと言ってたじゃねぇか。どういうことだ」
「ああ、それか」
特に隠し立てすることもないので、ウィルは予備弾倉――正確にはその中の弾――を見せた。そこには細かな記号がびっしりと描かれている。
「俺達は『文字』って呼んでる。幻獣の構成要素の一つ、『魔力』を相殺できる。……って言われてる」
「なんだそりゃ」
「俺に言うな。とにかくこれが幻獣に対して、唯一効果があるんだよ」
一度見た実験映像では、『文字』が描かれた部屋に入れられた幻獣は、急速に衰弱し消えてしまった。
「こんな小さい物にも描けるんだな」
「ああ、剣とか槍の方が目立ってるが、俺のは銃弾なんだ。だから、銃は普通のものだ。見るか?」
アルマンは銃をまじまじと見ると、手を顎に当て唸り始める。
ふと、くいと袖を引かれ見やると、ジェシカが笑いながら立っていた。何気ないものなら可愛いのだが……
「警部、この男、寝起きの私を襲ってくるような最低な奴なので逮捕してください」
「んなっ! 何言ってやが……」
背筋に冷たいものを感じ振り返ると、アルマンが手錠を手に構えていた。
「……いい趣味してるじゃねぇか、このくそ野郎」
ブワッと脂汗が噴き出してくる。アルマンはウィルを睨み上げた。
「ふざけんなっ! 誤解だ! 冤罪だ! 俺は無罪を主張する!」
「ああ、詳しい話は署で聞いてやるよ」
二人はジェシカの周りでぐるぐると追いかけっこを始める。
あろうことかジェシカはそれを見て笑っていた!
「ジェシカッ、お前からも何か言ってくれ」
「ん~。寝てたらいつの間にか横にいたり……」
アルマンがリボルバーの撃鉄を上げた。
え、俺ここで死ぬの?
「あれはお前が寝ぼけて部屋を間違えたんだろ!」
「私の下着持ってたり……」
「だったら自分で洗え!」
アルマンは二人を交互に見比べると、手錠をしまった。
「チッ、お洒落なブレスレットを嵌めてやったのに」
「じょ、冗談だろ……?」
ウィルは時計を確認すると、背筋を伸ばした。
「ランクB 幻獣フェンリル、討伐完了しました」
「ご苦労」
二人は視線を交わしあうと、どことなく笑みがこぼれた。
「ねぇ、挨拶はもういい? 別所で依頼が来てるけど?」
「はぁ、そういうことは早く言え。じゃあな警部、仕事あったら優先的に回せよ」
「あ、ああ。いや、なんだ、その……さっきは助けてくれて――。いや、なんでもない。さっさと行け僧兵ども」
旧式のサイドカーがロンドンを走っていた。バイクには青年が跨り、サイドカーには少女が座っている。
「そういえば、お前、フェンリルと何か話してたな」
「ん? さぁ、崇高な目的とか言ってたけど。……ッ」
「おい、どっか怪我してんのか」
ウィルは視線だけを横に向ける。グイッと突き出したジェシカの左手首が青黒く腫れている。下手をしたら折れているかもしれない。しかし、次の瞬間、腫れが引いていき、元通りの白い手に戻っていた。まるで、幻獣のように。
「私の心配をするなんて、二百年早いわ」
「そう、だったな」
ウィルはため息を吐くと、速度を上げた。