第十五話 臆病者
「ちぃっ、こんな時にか!」
忌々しそうに舌打ちをし、脇目も振らずにアルダは警鐘の鳴る方へと駆け出していく。僕もまた、思いがけない危機の知らせに同じ行動をしてアルダの跡を着いて行く。
「何が起こっているの!」
「さあな、警備体制の万全な村だ。さぞや大きな『やま』が起きているに違いねぇ」
先ほどまで険悪な仲だった僕達。喧嘩をしている場合ではないのをお互いが考慮し、今は呉越同舟を取る。
警鐘の音を頼りに辿り着いた時には、その被害は予想以上に広がっていた。そこは村の正門、頑丈そうな門の扉ががっしりと構えられていたのが煙を外側から漏らし、次第に変色しつつある。
「どこ行ってたんだよアルダ! 他のやつらが探していたんだぞ!?」
「謝罪は後だ! 今はどうなってるんだ!」
「やつらだ! 今度は今日の昼の時の比じゃない。それに油を門にかけて火を放ちやがった!」
「商人達や村の人間の避難は済んでいるのか?」
「念の為にここの大倉庫の地下室に集まってもらってるから一応は安心だ」
怒号の中、情報を正確に引き出そうとさらに声を大きくしてアルダとその傭兵仲間は言伝をしている。やっぱり本職は違うね。
「水を運べー! 井戸からじゃんじゃん組んでこい!」
「必ず協力して運べ! 列を乱すな!」
村の人達もまた、男達を中心として門に放たれた火の消化活動に明け暮れている。水の入った桶をバケツリレーの応用で次々と運び、力の限りにぶちまけていく。それでも、効果は芳しく無い。火元が外側、つまり村の外側だから水が届きにくいんだ!
火を消すために門を開けようものなら待ち構える盗賊達がこぞって中へと侵入してくるに違いない。
「ど、どうしよう!」
〈袋の鼠という訳じゃな。あのような輩の事じゃ、ここを制圧できればこの村の者に待っているのは只々『虐殺』でしかあらん〉
動揺を隠せず、慌てふためき混乱が出てくる。
「防壁の上から攻撃しろ! これ以上敵を近づけさせるな!」
傭兵達は手馴れた手つきで次から次へと指示を出しているけど、僕は動けないでいる。元は一般人だった僕にはこのような行動は上手くできない。視線を様々な場所へ移してみれば、防壁を補強している人間を見つけ、これに決めた! と僕はそちらの場へと向かう。
太い丸太を何本も持ってきてバリゲートを作成する作業だ。重労働だが、今の僕なら数人分の労力を補える。
「お、おう…鎧の兄ちゃんじゃないか! 手伝ってくれるのか!?」
「はい、僕も手伝います!」
「よし、そんじゃあ木材をあそこに片っ端から積め上げてくれ。俺達がバリゲートを作っていくからよ!」
僕は指示をよく聞き、大急ぎで丸太や木材を壁や山のように積んでいく。休む暇など貰っている場合はないと、魂の奥底から命令を出して速度を更に上げていく。
でも、門の火をどうにかしておきたい。未だに消火活動が続けられているけど、火は勢いをあげるばかりで一向に収まらない。これじゃあせっかくバリゲートを作り上げても一緒に燃やされてしまうよ。
悪い予感がよぎったその時、突如として後ろから強力な水鉄砲が放出された。その現象に誰もが後ろを振り返り、『彼女』を発見する。
この村にとっても、僕にとっても馴染みのある姿を…。
「ライリー!?」
「これは流石にヤバイってところね。寝起きだってのに、最悪な気分だわ」
そう言いつつ、ライリーは紋章術を行使して水桶の量とは比べ物にならない水塊を門へと惜しみなく放出し続ける。
「おまけにお腹が空いててまともに眠れないのに…ふざけんじゃないわよ! こんな事するくらいなら私に晩御飯奢りなさい!」
ストレス発散とばかりにそのペースは徐々に速度を上げていく。ついにはこちらまで水浸しになるほどの水量が大きな水溜りを形成するほどに…。
ライリーの助力のおかげで鎮火は完了して危機は脱したけど、ライリーは続けて村を囲む防壁にも水の紋章術を放ち、水気を含ませていく。再度火をつけられないための予防対策だろう。
「ライリーちゃん、いけねぇ! そんなに無理をしたら魔力切れを起こしちまう!」
「わかっ、てる…ってば!」
ふと様子を見てみると、ライリーの体はどこか鈍くなりつつある。突如としたライリーの異常に不審を感じる。
〈いかんのぅ、魔力を使い切ると危うい状態になるからな〉
「そんな、それじゃあ止めさせないと!?」
〈何故止める? あの小娘は自分がやりたいようにやっている。それによる結果を熟知してもなおじゃ〉
フィロとの討論を行う間、何度目かの紋章術を放ち終えたライリーは“どさっ!”と地面に倒れこむ。慌てて村の男達が駆けつけて介抱していくが、息は荒く、顔が真っ青になりかけているライリーを見ると、その苦しみは半端な物じゃない事が想像できる。どうやら相当無理をしていたらしい。
そこへ、防壁の上から何かが伸びて村の中へと投げ込まれていく。細い物らしく、凝視してみるとロープだと分かった。ロープの先には鉤爪が付けられていて、木材で造られた防壁はすぐさまとっかかりを見つけられ、侵入経路を確保されることになる。
「まずい、やつらが村へと入ってくるぞ!」
「早くロープを切り落とすんだ!」
混乱の最中では正常な判断や行動は期待できない。案の定、間に合わず村人と傭兵は盗賊の侵入を許してしまい、次々とロープを経由して防壁の上から盗賊が乗り上げてくる。
「門に近づけさせるな! 閂を外されたらえらいことになりかねん!!」
傭兵達は籠城戦法にのっとった作戦に切り替えていき、大半を門へと集結させる。こうしている内にも両者の勢力は衝突を始め、剣や弓、はたまた槍などと己の獲物を手にして白兵戦へと入っていく。金属のぶつかり合いの音が響く剣戟の中、僕はバリケード製作の役割を止めて緊張感と警戒心を高めていく。
そこへ、何人もの盗賊達が自分へ向かってくる。
――まずい! 後ろにはライリーや村の人達がっ!
動揺を隠しつつ、近い順から体当たりそのものな攻撃で敵を撃破し、一人目を地面に倒しこんだ後には二人目を飛び蹴りで吹き飛ばす。
この身体での戦い方には大分慣れてきた。痛みを感じたり、傷を負う心配もする必要がないので、強固な鎧による防御力を攻撃力に変えて肉弾戦に挑んでいける。でも本気を出したら殺してしまうかもしれない。そんな考えに囚われている僕には上手く力を出し切れていなかった。
その残心が油断を生む。
抑えきれなかった他の盗賊達が僕の守る村人達へと自分を抜けて襲いかかろうとしていたんだ。
(しまったっ!)
悔やむ気持ちが一気に襲いかかる。それを救ったのは、村人達へと一斉に迫る盗賊達の命を奪ったアルダ達傭兵の弓矢による一斉放出だった。多数の矢が経路を横から割り込むように射られ、襲ってきた盗賊達全員を蜂の巣にする。
一瞬で人の命が奪われた光景に呆然とし、僕は次第に恐怖が芽生え始める。
こんなにも簡単に人は死ぬのか…。
こんなにも人は簡単に命を奪えるのか…。
こんなにも…。
現代の平和を満喫し、暴力による人の生死に干渉することなど皆無に等しかった僕には受け止めきれなくなってきた。最初の盗賊の襲撃の際、無残に切り捨てられた死体を見た時、嫌悪感が浮かんでまともに直視できなかった事もあった。
心に余裕が持てなくなりつつある僕に、僕が先ほど倒した盗賊がよろけながら起き上がり、一気に僕を蹴り倒してその上へとのしかかる。僕に馬乗り状態になった盗賊の鬼気迫る表情を直視した時、自分の情緒は悲鳴を上げる。
「うわあぁぁぁっ!! 助けてえぇぇぇっ!!」
情けない声で悲鳴を上げて助けを求めてしまった。今や頭の中には『頑丈』という言葉は抜け去ってしまい、人間として恐れを抱いていたんだ。
盗賊は僕のヘルムに手をかけ、喉元へと己の持つナイフを突き立てようと強引にするが、僕が暴れまわるので中々上手くいかない。この隙を突かれ、後ろの気配に気づかぬまま、近づいていたアルダによってナイフで首を切り裂かれ、絶命したのだった。首から噴水のように噴き出した血はこちらへとかかり、ご自慢の黒蒼の鎧を深紅へと染めていく。
「あ、あぁ…ぁ、ぁ…ぁ……」
体の震えが止まらない。かけない筈の油汗が滲み出るような感覚に襲われ、ベットリと付いた血を手で拭う。 直視した大量の血は僕にショックを与えるには十分だった。これに、そんな暇はないと言わんばかりにアルダが僕へと掴みかかる。
「ふざけんな! 戦うことができねぇんならここに来るな! 人を殺すことに恐れを抱くんだったら最初からやるんじゃねぇっ!!」
アルダは苛立っていた。半端な戦い方しかできず、手間をかけさせるだけでしかないこの僕――臆病者――に…。
「使えないんだったらお前は邪魔なだけなんだよ! とっとと避難所へ籠ってろ! この素人がっ!!」
無理やり立ち上がらされ、後ろから蹴りを入れられた僕は体現できない感情を持ったまま、それを抑えつつ戸惑いながら駆けて行く。恐怖が僕を完全に支配し、直感でそう動かせたのかもしれない。一度後ろに振り返るも、足を動かしてアルダに言われた通りに避難所へと向かっていく。
情けない、怖い、悲しい、その最中にて思った感情の種類は計り知れなかったが、一番に思ったのは――
――悔しかった…。
〈惨めじゃな、何とも惨めな姿じゃ〉
「…うるさい」
〈お前は闘争というものを全く理解しておらん。だから、放棄せざるを得ない衝動へと駆られてしまうんじゃろうな。全くもって未熟じゃ〉
「……うるさい」
〈では何か? 妾がこの場で指摘せずにおればお前は逃げた事実を無くせるとでも?〉
「くっ……!!」
泣きっ面に蜂とでも言わんばかりに、フィロは静かに僕を酷評する。反論しようがない厳しい評価。それに僕は幼子の駄々のようにフィロへ口を閉ざすように命令するけど、聞き入れられることは無かった。
この日、僕の上っ面の誇りは微塵に砕かれたのだった。