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もしも私の、この、高校生になって初めて迎える夏からの出来事が物語になるのなら、ハッシュタグは人生を決めた恋──そして、推しとの恋だ。
彼の動画の説明欄に並ぶ、すっかりあの頃と変わったハッシュタグを見る。
あの頃のハッシュタグは、オネェ系配信者だった。
いまではすっかり──。
「ほら、俺の背中にしっかり掴まれよ」
「う、うん」
言われて、私はバイクの運転席に座る彼氏にぎゅっとしがみつく。
私の足の位置を確認すると、よし、と頷いてバイクのエンジンがかかった。振動で体が揺れて、彼にしがみつく手に力を込める。
「さあ行くぜ」
──今ではすっかり、俺様気味の優しい婚約者だ。
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推しが動画で勧めていたリップグロスを買いに来た。
久しぶりに来た駅の近くの百貨店。
せっかくだしと外観を撮影して、SNSに買い物に来たと投稿をする。
よし、戦闘準備は整っている。
動画を見て散々練習したメイク。
正直コスメをカウンターで買うなんてハードルが高くてドキドキしたけれど、推しをモデルにして作ったぬいぐるみを見て──気合いを入れた。
「あら、そちら推しぬいですか?」
華やかな化粧品売り場で異質な、バッグにぬいぐるみを付けている私にもコスメカウンターのお姉さんはにこやかだった。
綺麗なお姉さんに微笑んでもらったことで緊張がマシになった。
グロスが欲しくて、と伝える。欲しい色は決まってきた。
「お色はこちらでよろしゅうございますか」
目の前に出されるブランドロゴが入ったリップグロス。
ああ、そうだ。動画で彼が紹介していたのはこれだった。
お姉さんはリップグロスを見て、それから私に聞く。
「こちらのお色味、よろしければお試しになりませんか?」
さすがにそれは恥ずかしい。
買いにくるだけで精一杯だったのだ。結構です、と首を振ると、少し間が空いた。
ここは試すのが普通なのかな?
なんて思ったが高校生の自分にはハードルが高い。
逡巡していると、そうですか、とお姉さんが頷いた。
「ではこちらでお会計を致しますね」
それは今まで使ってたリップ十本分。リップ一本に出したことない金額だったが、これからの自分を思い浮かべたら安いものだった。
きっと私は、これから変わるのだ。
……と、少し浮き足だった帰り道。
もう駅の近くというところを歩いていたら、バッグに付けている推しのぬいぐるみを繋ぐポールチェーンがなんの予告もなく外れた。
気付けたのは幸いだ。脳内で話しかけていたからだけど。
「あっ」
そう言う間に、落ちたぬいが──ちょうど通りすがった通行人の靴にちょうど当たった。
布と綿の塊だ。当たった人は気付かず通り過ぎ──蹴られて動いたそれがまた別の通行人の足に蹴られた。
なんとか見失わないよう人混みの合間を縫う。蹴られたぬいぐるみはビルとビルの間の狭い路地に転がった。
よかった。
人混みをすり抜けて路地に入り、座り込んでぬいぐるみを拾った。
……金髪部分がちょっと汚れてしまったけど、装飾パーツも取れていない。
素人の自分が手作りをしたものだから、取れやすいこの蝶モチーフのネックレスのパーツなどが取れていないことに安心した。
人並みを外れた路地でポールチェーンを見ていると、突然背後から声がかけられた。
「ねえねえ、こんな物陰で何してるの〜?」
軽薄そうな声そのものの若い男の人だった。
「え……」
どうしよう、とぬいぐるみを抱き締めた。
どうしたってくれるわけないのに。
「こんな暗いところにいたら危ないよ? こんな平日に私服ってことは学生じゃないでしょ?」
こちらに一歩。一歩。にじり寄ってくる。
こちらも一歩。一歩。あとずさりをする。
「よかったら遊ぼうよ〜、暇なんだよね〜」
やだ。やだ。
──だから男の人は嫌いだ。
声には出せず首を振る。
狭い路地。見える人々はあっという間に通り過ぎるだけ。
「なに抱いてんの〜? なにそれ人形〜?」
手が伸ばされる。
嫌だ。
嫌だ。
硬く目を瞑る。
嫌なことは目を瞑って──耐えろ。
その時だった。
ダンッと壁を殴る音。
「何やってんだよ」
同時にかけられた声に、男の手が止まった気配がした。
目を開く。
「ダッセェなあ、こんなところで」
私に迫ってきた男の人が振り向いた。
冷や水を浴びせたその人物は、被っていた帽子を取って髪をサッとなでた。──綺麗な金髪だった。
「ブサイクな顔面が分かんねぇから薄暗いところでナンパしてんのかよ。ダッッサ!」
口、悪!
私の目の前にいる男の肩が震え出す。
綺麗な金髪だなんて思ったのが間違いだ、ガラの悪い金髪。
……いやけれど。
かけられる声に思考を巡らす。
「うるせぇな! いきなりなんだよ!」
そりゃあごもっとも。こっちも。
男はもう私なんか視界に入れなかった。
拳を振り上げて飛び掛かるように動いた。
──危ない。
声にならなかった。
口を開いて、飛び掛かる男を止められるわけもないのに手を伸ばしてぬいぐるみが落ちたけれど──恐怖に声にならなかった。
「うわ野蛮だなあ」
拳の振り上げられた結果を想像して思わず目を瞑った──が、金髪の男の声は飄々としていた。
金髪の男は振り上げられた拳を片手で受け止めて──そしてひょい男をいなした。
「やり返すぞてめぇ。ほら散れ散れ!」
いなしたその動きの流れのまま、私の前に立ちはだかると男に手で払う仕草をした。
路地から人混みに戻る手前で男が舌打ちをする。
「チクショー! ブス! 調子乗んなクソ!」
そんな負け惜しみ。
私の視界は金髪の男の人の背中が盾になってくれている。
……大丈夫、そんな言葉。
傷ついてなんてない、とぐっと唾を飲み込んだ。
「はあ? ふざけんなてめぇ!」
私の前に立っている金髪の男の人が最後に声をあげると、男は慌てて消えた。
「……」
助けてもらった。
助けてもらったのだけれど……この人も怖い。
俯いたまま言葉を探す。
……けどこの声。
「……ったく」
聞き覚えがある気がする。
思い出そうと俯いていたら金髪の男の人は振り向いた。
「あ」
思い出した。
閃きに顔を上げる。
「……ブスって俺のことじゃねぇみたいだな」
すごく最低だ。失礼だ。この人私を見て言った。
目が合った彼は──思い出したその人の顔だった。
「お前そのメイク合ってねぇぞ」
けれど思い出したその人がこんな口調のはずがない。
こんな言葉遣いをする人ではないはずだ。
混乱で固まっていると、金髪が目の前で揺れた。
「……なんか落ちて──……あ」
しゃがみ込んだ彼の手には、私が作ったぬいぐるみ。
「これ、俺……」
ぬいぐるみの首に付いているのは、彼が着けている蝶のネックレスをモチーフにしたアクセサリーだった。
「えーっと……」
彼が天を仰いだ。
ビルとビルの隙間から見える空の切れ端。
天気なんてろくに分からない。
「今日は本当にいい天気ねぇ?」
声を上げて、語尾を上げて。
その声はずっと動画で聞いていたものそのものだった。
だから確信してしまった。
「た、たから……ちゃん……」
私が推している動画配信者。
メイクアップアーティストのたからちゃんだと言うことに。
「……クソ、やっぱり俺のこと知ってんのか……」
たからちゃんのオネェ系は──動画のキャラ作りだということに。




