第七話 カウントダウン
砕け散った竹の筒から溢れ出したのは、ただの風ではなかった。
祠を射抜く一筋の月光に溶け込み、石壁に一千年前の記憶の映像を鮮明に投射し始めた。
そしてそれは、皇のホログラムを打ち消す、圧倒的な密度の光……真実の映像だった。
そこに映し出されたのは、秀造に酷似した容貌の男……讃岐家の始祖だった。
彼は、感情を排した月の使者を前に、震える手で羊皮紙に血の刻印を押し、こう誓っていた。
『……ゆえに、この姫は我らの一族が預かる。月へ還すその日まで、地上の情(汚れ)に染まらぬよう、清浄なる檻の中で世から遠ざけ続けることを約束しよう……』
その途端に、秀造の足元から、力が抜けていく。
代々の守夜たちが都和に注いできた……献身は、彼女が独占されないように、ただ秘匿するという義務に過ぎなかったのか……。
愛ではなく、契約。
守護ではなく、隔離。
「……そんな。じいちゃんも、父さんも……僕にコーヒーの淹れ方を教えたとき……本当は、どんな顔をしていたんだよ……」
秀造が絞り出した声に、皇が冷笑を浴びせる。
「気づいたか。君の家系が彼女を隠し続けてきたのは、君たちの『愛』を証明するためではない。月への『返却物』を傷つけないための検疫だ。……君が彼女に触れれば触れるほど、君は一族の契約を裏切り、彼女の価値を損なう『汚れ』になるんだよ、讃岐君」
都和は、壁に映る一千年前の自分を見つめていた。
当時の姿は、今よりもずっと白く、透き通っている。けれど、その瞳には何の色彩も、温度もない。
「……守夜。私、思い出したわ」
都和が、震える指で秀造の袖を掴んだ。
「一千年前……私は、あの白い自分から逃げたくて、あなたの先祖にすがったのよ。でも、あの日からずっと……私は同じ檻の中に居ただけだったのね」
都和の頬を、一筋の涙が伝う。
その涙が、
射し込む月光を浴びて、
琥珀色に輝いた。
彼女の脳内では、一千年の記憶が急速に整理され、消去されようとしている。
契約に基づいた自動的なリセットが始まっていたのだ。
「待ってください、教授……!」
「もう、いいのよ。私という存在が……溶けて消え去っても。ほら、月が……私を呼び戻そうとしているわ。白く清らかな、空っぽの器に戻るためにね……」
祠の奥から、冷たい銀の粒子が立ち上り、都和の体を包み込み始める。
その横では、皇が狂喜の声を上げ、デバイスを再起動させようと躍起になっている。
そして頭上では、地球の影が月を完全に呑み込もうとしていた。
「……ふざけるな」
秀造が、固い決意を滲ませて、低く呟いた。
彼は懐から、あのノートを取り出し、都和と月の光の間に割り込むように広げた。
「看守だろうが契約だろうが、そんなのは……一千年も前の他人が、勝手に決めたことだ! 僕が知っているのは、コーヒーを飲んで『苦い』と笑った教授だけだ! 汚れて何が悪い! 思い出がシミになって何が悪いんだ! 生きるってことは、汚れるってことだろうが!」
秀造は、月光に射抜かれながら、都和の肩を強く抱き寄せた。
「僕が……あなたの看守をやめてやる。そして、あなたの人生を僕が奪ってやる。月にも皇にも返さない。僕と一緒に、この汚れた地上で生きてくれ!」
その瞬間、祠を射抜いていた月光が、秀造の拒絶の意思に呼応するように激しく乱れた。
壁に映っていた一千年の映像がノイズとなって砕け散り、都和の瞳に、再び強い琥珀色の火が灯る。
トクン、と。
一千年の静止を破り、彼女の心臓が、生身の人間のような確かな鼓動を刻んだ。
直後、祠の結界が完全に崩落した。
外から押し寄せる皇の私兵たち。そして空から降り注ぐ、逃れようのない召喚の調べ。
一千年の物語が、ついに本当の牙を剥き始めた。




