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第四話 秘密



 学長室から戻った研究室で、都和は自らの論文が映るモニターを、まるで遠い異国の景色でも見るかのように眺めていた。

 

「……守夜。本当はね、私、罰を受けてこの星に来たわけじゃないの……」

 

 都和とわは万年筆を置き、デスクに広げた一冊の古びたノートを見つめた。そこには数式に混じって、万年筆で丁寧に描かれた……名もなき人々のスケッチが残されていた。

 

「一千年前、私は……ほんの少しの好奇心で、故郷を飛び出したの。あちらでは誰もが永遠を当たり前に思っていて、一秒の重みなんて誰も知らなかったから」

「それって……いわゆる、家出だったんですか?」

 秀造が驚きで目を丸くしている。 

 

 都和は軽く頷き、そっとスケッチの中の、幼い子供の顔を指でなぞった。

 

「故郷では一瞬のことでも、この星では一千年。……平安の貴族も、戦国に散った武士も、昭和の焼け跡で明日の糧を求めた母親も……みんな、誰もが……自分の時間が限られていることを知っていたわ。私はね、その『儚さゆえの輝き』に魅了されたのかもしれない……帰るのを躊躇ってしまったの」

 

 その時、モニターの数式が激しく波打ち、スピーカーから雑音ではなく……何かの音(声)が漏れ出した。

 幾重もの星の瞬きを通り抜けて届いたような、深く、慈愛に満ちた……都和の両親の声だった。

 

『……かえ……な…さい……。もう……いい……でしょ……う』

 

「……お父様……お母様……?」

 

 都和の顔から血の気が引いていく。皇が仕掛けた増幅器を媒介にして、月からの強制通信が確立されてしまったのだ。

 続いて、メッセージも届いた。

  

『一千年は、私たちにとっては、あなたが少し庭に出ていた程度の時間です。さあ、その泥だらけの記憶を捨てて、清らかな月へ戻ってください。ご両親が、お待ちです。……明後日の月食……次元が重なるその瞬間に、あなたの記憶はすべてリセットして、私たちはあなたを回収します――月管理局』

 

「……捨てられ……ないの。私はここでの、たくさんの記憶を……結晶を……」

 

 都和の瞳が、琥珀色から蒼色へと小さく明滅する……まだリセットは始まっていない。

 だが、両親の声……月との通信が繋がるたびに、彼女の精神は、月という強大な重力に引き寄せられ、現実感が希薄になっていた。


  

「教授! 意識をこちらに……集中して!繋ぎ止めてください!」

 

 秀造は都和の肩を掴み、必死に叫んだ。だが、画面越しに……いつの間にか侵入してきた皇の冷笑が重なる。

 

「素晴らしいな。月食と共に彼女の記憶が消えるというのなら、それまでに彼女の頭の中にある『一千年の叡智』を、すべて我が社のサーバーに吸い上げさせてもらうよ。月が彼女を初期化フォーマットする前に、私がすべてをコピーしてみせる」

 

「……っ、ふざけるな! あんたも月も、勝手すぎるだろ!」

 

 皇は都和を……データの宝庫として暴こうとし、両親は……何も知らない娘として強制帰還させようとしている。

 そこに、一千年をここで大切に生きた『九条都和』という一人の女性への敬意は、微塵もなかった。

 

「リセットだと……連れて行かせないぞ。次元食(月食)まで、あと二日……。たとえ親だろうが、あなたの大切な結晶を無理やり奪うなら、僕はあなたを隠し通します」

 

 秀造は、都和の手書きのノートを乱暴に鞄に詰め込み、彼女を抱きかかえた。

 

 月が宣告した……月光リセットまで、残り四十八時間。

 

 車持が求める……叡智の搾取を振り切るため、秀造は夜の闇へと、唯一の希望である地下蔵へ向けて駆け出した。


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