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第三話 偽りの枝



「……そんなに険しい顔をしないで、守夜。玄が驚いてしまうわ」

 

 都和は万年筆を置き、窓際で羽を休めていたカラスの頭を、細い指先で優しく撫でながら言った。

 

 昨夜のハッキング、そして……車持の名。神経を尖らせてモニターを凝視していた秀造は、その穏やかな役職名での呼びかけに毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。

 

「コイツは……驚くようなヤツじゃないでしょう。それに……これまで何人の守夜が、このカラスに馬鹿にされてきたことか」

 

「カカッ! 違いない。お主の曾祖父などは、わしが少し揶揄っただけで、火縄銃を持ち出してきたものよ」

 

 玄が可笑しそうに喉を鳴らすと、都和は『ふふ』と微かな笑みを漏らした。

 

「この子はね、私がこの星に降り立ったとき、最初に出会った……命なの。当時は機械(生体記録端末)なんかじゃなく、ただの迷いからすだったわ。一千年前、孤独で震えていた私の肩に、この子は一番最初に止まってくれたの……」

 

 都和の瞳が、冬の陽光を透かして琥珀色に輝く。

 

「故郷の技術でその魂を器(身体)に繋ぎ止めてからは、ずっと玄は私のすべてを見聞きしてきたの。平安の戦火で迷ったときも、飢饉の冬に凍えそうになったときも……空から道を指し示してくれたのは、いつもこの子だった……。玄がいなければ、私は今ごろ、どうなっていたことか……」

 

 都和にとって、玄は単なる記録装置ではなかった。一千年の孤独を半分ずつ分かち合ってきた、唯一無二の戦友のような存在だった。

 

「だから、玄は……いわゆる()()なんですね。教授がいつか忘れてしまうような小さな出来事さえも……全部覚えているだけでしょ」


 皮肉を込めて秀造は、日記という言葉を強調してみた。

 

「ええ……そうね。私が今日淹れてもらったコーヒーの香りも……あなたが昨日こっそり溜息をついていたこともね」

 

 秀造は気まずそうに目を逸らした。


 だが、その穏やかな空気は、内線電話の呼び出し音によって、無惨にかき消された。

 

 学長室からの、急な呼び出しだった……。




 

 学長室の重いドアを開ける。

 

 そこには……一千年前の亡霊が現代の服を着て立っていた。

 

 

「はじめまして、九条教授。お目にかかれて光栄です」

 

 学長室のソファにゆったりと腰掛けていた男は、秀造と同年代に見えた。仕立ての良いスーツを纏い、非の打ち所のない笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「KMTホールディングス最高技術責任者、車持くらもち こうです」

 

 皇と名乗った男は、都和の手を取ろうとして……その指先が彼女に触れる直前、秀造がさりげなく間に割って入った。

 

「……失礼。教授は潔癖なもので。ご挨拶は、その距離でお願いします」

 

 皇は一瞬だけ、計算し尽くされた笑顔の奥で、氷のような目に冷たい光を走らせた。

 

 当然、その視線は都和の知性を敬っているのではない。

 まるで、オークションに出品された最高級の宝石を、鑑定眼で見ているような、不気味な渇きを感じさせた。

 

「失礼した。実は、教授の『量子時間の揺らぎに関する論文』を拝見しましてね。我が社で、十兆円規模の共同研究プロジェクトを立ち上げたいと考えているのです」

 

 学長が揉み手をして身を乗り出す中、都和はただ静かに、皇の瞳をじっと見つめ返した。

 

「……魅力的なお話ですが、私の研究は、まだ『結晶』という形になるには、時間が足りません」

 

「おや、時間は作るものですよ。……そうでしょう? 讃岐君」

 

 唐突に名を呼ばれ、秀造の背中に冷たいものが走った。


 皇は学長を促して退室させると、二人の前で、タブレット端末をテーブルに置いた。

 

 そこに映し出されていたのは、昨夜、秀造が修正したはずの都和の顔写真だった。

 

「画像データの加工、少し甘かったね。目尻の皺の物理演算が、既存の教職員データベースと三%ほど矛盾している。……君の家系は、いつまでこんなアナログ的な隠蔽を続けるつもりだい?」

 

 皇の囁きは、刃物のように鋭く秀造の喉元を掠めた。

 

「僕なら、もっと上手くやれる。彼女を永遠のまま……いや、誰の手も届かないアーカイブに閉じ込めておけるんだ。……どうかな、教授。偽の枝はもう捨てて、我々と……本物の永遠を手にしませんか」



  

 皇が去った後、研究室に戻るまでの廊下で、玄がこれまでにないほど激しく羽を震わせ、低く唸った。

 

「カカッ! 奴の目は、一千年前、あるじに……蓬莱の玉の枝を差し出したあの皇子と同じよ。……守夜よ、気を引き締めよ。奴らは主を愛しておらぬ。ただ、我が物として蒐集したいだけだ」

 

 秀造は、震える拳をポケットの中で強く握りしめた。


 現代のテクノロジーという鎧を纏った車持が、一千年の秘密を暴こうと動き始めているのだった。


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