エピローグ あはれ、一千年の果て
あの次元食の夜から、数年が経った。
あの日、すべてを飲み込んだ蒼い光のあと、皇の巨大企業……KMTは、中心人物の失踪と共に解体された。
讃岐の家が守ってきた秘密も、時の流れの中に溶けていき……祠があった森は、今ではすっかり静かだ。
「……これで、よし……」
大学研究室で……助教授は、古い和紙に万年筆で数式を書きながら、顔も上げずにそう言った。
その数式は、月の理を解き明かすためのものではなく、この不自由な地上で、限られた時間をいかに愛おしむかを計算しているかのようだった。
彼は淹れたてのコーヒーを一口すすり、ふっと息をつく。
「……苦いな」
その時、目の前の内線電話が鳴り始めた。
「……守夜?いえ、シュウ……」
「教授ですか?」
都和は、年齢の関係で……今は、宇宙事業の研究へと移り、秀造には、大学での研究を引き継いでもらっている。
「大学のプロフィール写真の細工をする必要がなくなって、楽になったかしら?」
「そんな……研究の方が大変で、前のほうが、ずっと楽でしたよ」
都和と秀造は、電話越しだが穏やかに笑い合った。
「そうね……間もなくロケット打ち上げ準備に入るから、しばらく連絡出来ないの。もう、守ってもらわなくて大丈夫でしょ?」
「もちろんですよ……自由な時間を楽しんで!」
秀造がそう言って電話を切ると、研究室には再び心地よい静寂が戻った。
デスクの片隅には、あのシミだらけの古いノートが大切に置かれている。
一千年前の契約も、
月の使者の追跡も、
もうここにはない。
あるのは、ただ過ぎ去っていく豊かな時間だけだ。
ふと窓の外を見上げると、真っ昼間の青い空に、白く透き通った月が浮かんでいた。
かつては……檻の象徴だったその星は、今では都和がその足で向かおうとしている……ただの遠い中継地点に過ぎない。
彼女はもう、隠される必要のない一人の人間として、あの空の先を目指している。
そして自分は、この地上で彼女が帰る場所を守り続ける。それは……守夜という呪縛ではなく、秀造自身が選んだ新しい生き方だった。
秀造は、冷めかけたコーヒーを最後の一口まで飲み干した。
舌に残る心地よい苦味……。
それは、一千年の永劫よりもずっと確かな、今を生きているという証だった……。
(完)
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