第1章2 アル=ヒクマにて
帝都の中央駅のプラットフォームからもうもうと黒煙を吐き出しながら、巨大な鉄の塊が走り出していく。
春の暖かい日差しに反射してキラキラと海のように青く光る列車はこの国家憲兵府の一室からもはっきりと視認することができた。
「それで、アーデルハイト大佐。大事な要件とは」
もうすぐ還暦を迎えようとする国家憲兵府長官、フリーデル・アーデルハイム憲兵大将はデスクの前に立っているスーツを着た3、40代ほどに見える白髪の女性に問いかけた。
「はっ閣下。シュヴァルツグラート辺境伯領のアル=ヒクマあたりから面白い話がありまして___」
「シュヴァルツグラート閣下から?めずらしい。この2、30年ずっと音沙汰無しだった貴族じゃあないか、今更なんの用かね」
そういうとフリーデルはカッターで葉巻の端をちぎり、火をつけた。
「いえ、フリーデル閣下。辺境伯からでなく、その直轄憲兵府からの知らせです。長年未解決だった3、4年前の近衛騎士殺し、ひいてはテロ事件がもしかしたら解決するかもしれないと」
アーデルハイトは嫌な顔ひとつせず、持ち前の形の良い顔をそのままに淡々と返した。
「そうか!とうとうあのテロの実行役が捕まると!」
驚いたように立ち上がると、フリーデルは居ても立っても居られないように大股で広い部屋の中を闊歩し、巨大な窓の前で帝都の広大な街を見回した。
ジリリと葉巻が燃える音がする。
「ええ、その近衛騎士の弟、ヴァイヘルン近衛第二連隊長の次男であるマティアスという男が伯爵領で憲兵になるとか、近衛府も動き出したのかもしれません」
「ああ、あの男か。確か我らが国家憲兵にも面接に来たのでは?書類で見た気がする」
「面接官によると、愛国心が足りていないとか」
「まあいい、大佐。そうとなれば近衛府に遅れをとるわけには行かない。辺境伯領の情報部と連携し、なんとしてでも近衛府よりも先にテロの実行犯、ひいては首謀者を捕まえるのだ。我らの身内が殺されている。彼らの弔い合戦と思うように。いいな?」
フリーデルは振り返ると、銀縁メガネの奥から冷徹な視線をアーデルハイトに送った。
一方その頃、マティアスは帝国豪華列車五日間の旅という一般的な帝国臣民が夢にも思う楽しい列車旅を満喫していた。
海岸沿いを走る蒼い列車の車窓からは群青色の空、サファイアのように輝く海が見えた。
ベルガモットの華やかな香りにバイオリンの音色が広がる食堂車では、北部出身だと思われる混血のウェイターがネクタイにベスト姿で給仕をしている。
南部に近づくにつれて線路の調子もどこか悪く、大きな揺れが続くことも稀ではなかった。
車窓から見える光景も1日1日と経つごとにドーム状の建物や砂漠が点々と見受けられるようになり、もうすぐで目的地のアル=ヒクマに着こうとする頃には帝国とはかけ離れた光景を呈するようになった。
豪華で壮麗な帝国様式とアル=ヒクマの伝統的なアーチやドーム、幾何学模様が融合した特徴的なアル=ヒクマ駅は構内にやわらかな色とりどりの光を照らしていた。
汽車はもうもうと黒煙を吐きながらプラットフォームに滑り込む。五日間轟轟と動き続けて蒸気機関が停止すると、ゾロゾロと乗客が幾何学模様で埋め尽くされたタイルに降り立っていく。
マティアスもその一員であった。どこか惚けたような、無有病者のようなフラフラとした足取りで降り立つ。
目前には大きく広がる執念すら感じるような細分化された装飾が広がり、異国情緒あふれる民族衣装を思い思いに纏った獣人が忙しなく歩いているのが見える。
マティアスは重い革張りのトランクケースを掴むと、改札に向かう獣人の一団を追った。
「ええ!どういうことですか!?」
獣人たちが出ていった改札口から出ようとしたマティアスは、受付にいた人間の駅員に引き止められていた。
「だってあなたは人間ではないですか、ここから出るのは獣人だけですよ、ほら、あっちが人間用の改札です」
そういうと黒髪の駅員は少し離れた位置にある改札口を指差した。
確かにその改札の上には、黒地に白の標識で、『人間専用』と大きく書かれていた。
マティアスは自分のいる改札を大きく見上げると、こちらには逆に『獣人専用』と赤字で書かれている。
「どうしてわざわざこんなめんどくさいことをするんです」
マティアスは袖口の金ボタンをいじりながら駅員に尋ねた。
「あなた憲兵でしょう?そんなことも知らないのですか、いいですか、50年前にこのアル=ヒクマが帝国のものになってすぐに今のこの領土を治めてらっしゃるシュヴァルツグラート様が人種隔離政策と銘打って、人間と獣人を明確に分けるようにしたんですよ」
「はあ、人種隔離政策」
マティアスはこれでも帝国学校を修了した身である。もちろん人種隔離政策については習ってはいたが、目の当たりにするのはこれが初めてであった。
「なんでそんなことをするんです」
学生時代からずっと抱き続けた単純な疑念をそのまま口にすると、不審げにしていた駅員はますます変な顔をした。
「知りませんよそんなこと。知っているとしたらあなたがた憲兵の方がよくお知りでは?この政策を守るのに躍起になっているじゃないですか。でも言うなればこの前に読んだ新聞に『アル=ヒクマをはじめとする辺境伯領にはたくさんの民族が住んでいて、それぞれ違う伝統や文化、言語を持っている。それぞれの民族が独自に発展すべきだ。アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である』なんて書いてあった気もしますがね」
「分離発展ですか、よくわかりませんがどうも丁寧にありがとう。それじゃあ」
そういうとマティアスは駅員に懇ろに感謝を伝えると、人間用の改札口に向かった。
マティアスがその改札口から出ようとすると、これまた立派な黄金のマントを羽織り、太陽のように煌めく肌をもった筋骨隆々、壮年の大男が出ていくところであった。
彫りの深い顔の周りには白髪の混じったたてがみがもうもうと生え、マティアスが列車で会ったウェイターよりもずっと獣人らしい獣人だった。
その獅子族の男が出ていくとマティアスは駅員にまた話しかけざるを得なくなった。
「すみません、この改札口は人間専用だと聞いたのですが___」
「ああ、憲兵さん。あなたここの生まれではないようですねぇ、あの方は名誉種族である獅子族の方。旧王家に最も近い存在であるガゼルさんよ。特別に名誉として我々と同じ扱いになっているんですよ」
40代くらいだろうか。髪を後ろに括った褐色の女の駅員は当たり前のようにそういうと、マティアスが手に持っていたチケットを素早くもぎとると、ゲートを開いた。
「はいチケット」
面食らったマティアスは口の中でもごもごと礼を言った。
「ようこそ、砂の都、アル=ヒクマへ」
そういうと女は未だ困惑しているマティアスをぐいと押し、さあ早く行ったとばかりに手を振った。
多くの尖塔で構成された駅舎の前は広い広場になっていた。荷馬車が我先とばかりに大渋滞を起こし、聞きなれない言語が飛び交う。
香辛料と革、そして焙煎された豆の香りが満ちている。
路上で売られている布は鮮烈な極彩色で彩られ、金糸が陽光を受けて静かに輝いていた。
アル=ヒクマはシュヴァルツグラート辺境伯領の中でも最も大きい都市である。
白亜の城壁に囲まれたその街は乾いた大地の光を映し、街路は幾何学模様のごとく折り重なっている。街の至る所に噴水や泉が張られ、古い建築群を鏡のように反射していた。
マティアスはちょうど通りかかった馬車を止めると、パブのマスターに教えてもらったおすすめの下宿屋に向かった。
喧騒とした中心部から離れ、郊外へと馬車は小気味のいい音を立てて進んでいく。
しばらくしたのち、ボロボロになった木の看板に『サラーム』と銘打たれているパブの前に降り立ったマティアスはゲッと声を漏らした。
砂埃が石造りの建物に堆積し、もはや建物自体が砂でできているのではないかという疑念さえ浮かんでくるようなパブであったからだ。
そもそもランプすらついていない。本当にここであっているのだろうか。
マティアスは恐る恐るドアを開けると、薄暗い店内へそっと入っていった。
薄暗い店内には客は誰一人としておらず、閑古鳥が鳴いていた。
コーヒーとタバコの濃い匂いがする。
マティアスは苦々しく笑うと、厨房に声をかけた。
「あの、ハロルドさんから紹介されてきたのですが___」
返事はない。
マティアスは重い空気をうんと吸うと、
「あの!」
とやや大きい声で叫んだ。
ガタンッ!!!
厨房から何かが落ちる音がした。
マティアスが慌てて厨房に駆け込むと、そこには頭を押さえてうずくまっている体格のいいマスターと思われる男がうずくまっていた。
「いででで、痛えじゃねえかこんちくしょう。こんなしみったれた店に何のようだってんだ、このカラスよぅ」
頭にたんこぶをこさえたほりの深い男は入ってきたマティアスを見るなりこう叫んだ。
「あの、ハロルドさんから___」
「兄さんからだって?」
「ええ、ハロルドさんからここに住ませてもらえると____」
ハロルドの名前が出た途端、その男はにっこりと笑うと大きな手を差し出した。
「ジョナサンだ」
マティアスがゴツゴツとした手を掴むと、ジョナサンはブンブンと何遍も握った手を振った。
「もう何十年も使ってないからなぁ、砂埃だらけだけどまあ勘弁してくれや」
と通された部屋は、しばらく使われていないにしてはまだ綺麗な方だった。
極彩色の無数の蔓草や花弁がいっぱいに描かれた絨毯に、よくわからない手が4本も6本もある神様のような額が砂色の壁にかけられていた。
マティアスは長旅で疲れ果てた心と体を回復させようと、ベッドに飛び乗ろうとすると、階下からジョナサンの悲鳴に近い声が響いてきた。
「おいマティアス!何だこの大量のタバコと紅茶は!?どこかで強盗でもしてきたのか!!」
エリーザの父親であるカールからの贈り物が届いたようであった。
マティアスは眠い目を擦ると、ため息をつきながら冷たい階段を降りていった。




