第1章1 南部へ
「まあ落ちるよなーー!」
マティアスは黒ビールが並々と注がれたジョッキをぐいっと飲み干すと叫んだ。
「ほら、だから言っただろう?素直に近衛府にしていれば受かったろうに」
とヨハンが笑う。
ヨハン・クラウゼはマティアスと同じ18歳、幼馴染であった。
「面接で何て言ったんだっけ?『このテロ事件は、元はと言えば帝国の侵攻によるもの』だって?マティ、頼むよ。そんなこと言ったら落ちるに決まってるじゃないか」
ヨハンはおかしそうに青い眼を幼馴染に向けると、近衛府の白い詰襟の制服からシガレットケースを取り出した。
「おいヨハン、タバコだけはやめてくれ、苦手なんだ。だけどその通りだろう?だって、北部ならまだしも南部に資源目的で攻め込むからこうして治安が悪くなっているじゃないか、それに___」
マティアスがそこまでいうと、ヨハンは慌てて手を振って、
「マティ、そこまでだ。こんなパブで帝国の批判なんかしてみろ、カラスがどこで見ているかわかったもんじゃねえ」
「こんなパブとはなんだ、こんなパブとは」
氷を削っているマスターは不満そうに呟く。
マティアスが落ちた国家憲兵府は、その独特な黒に赤色の制服からカラスと呼ばれ、近衛府とは打って変わった評価を受けていた。
「それに北部に攻め込んでもなんもありゃしないだろ?確かに獣人が住んでいることにはそうだけど、人間との混血が進んでありゃあ、コスプレだよ、コスプレ。もっとも獣人のコスプレなんざ好んでするやつはいないだろうけどね___」
そういうとヨハンはマティアスの制止も聞かずにタバコに火をつけた。
ムッとした顔をするマティアスにニンマリと笑いかけると、ヨハンは続けた。
「それでマティ、これからどうするんだ?就職先がないとか。ヴァイヘルンの名が泣くぞ?どうだ、お兄様の遺志を継いで近衛騎士になるのは。お父上も近衛第二連隊長ときたらいつでも入れるだろう?」
そこで一息つくと、
「それに、俺もいるじゃないか」
と続けた。
ムッとした顔をますます歪ませてマティアスは吐き捨てる。
「そんなコネで入るみたいなことはやだね。僕は自分の実力で、獣人と人間が手を取り合って平和に生きる未来をつくるんだ。そもそも君だね___」
また始まったとばかりに手を振ると、ヨハンは短い銀髪を撫でてタバコを口元に運んだ。
____カランカラン____
そんなことを話していると、唐突にパブの扉が控えめに開けられた。
冬の寒い風がマティアスのうなじをなぞる。
マティアスとヨハンが扉の方を振り返ると、こんなむさ苦しい男しかいないようなパブには似ても似つかないような少女が立っていた。
金髪に青い眼、そしてモデル体型の高身長。
まさに帝国の理想とする人物像を形にしたような少女は、パブをぐるりと見回し、二人を見つけるとぱあっと笑顔になった。
なんだかパブの空気も数段階澄んだものになったような気がする。
「マティ!それにヨハンも!やっぱりここにいたのね!」
「エリーザじゃないか、おい、タバコ消せよヨハン、エリーザに受動喫煙させるつもりか」
そういうとマティアスはヨハンが咥えていたタバコをもぎ取ると、灰皿にぐいと押し付けた。
「ああ、ひどいよマティ、最後の一服をする所だったのに」
そう言ってヨハンは片目をつぶる。
エリーザは猫のようにするりと狭いパブの中を通り抜けると、二人が座っているカウンター席に並ぶように座った。
「アールグレイで」
座るなり、メニュー表も見ずにエリーザは無骨そうなマスターに注文した。
「あいにくそんな高貴なものはないんでな、北部の嬢ちゃん、酒か、せめてレモネードでも頼むんだな」
「あらひどいわマスター、どうして北部出身だなんてわかるの?」
マスターはふんと鼻を鳴らすと、レモン水が入ったガラスコップをエリーザの前に突き出した。
ロイヤルブルーのワンピースにストローハットを手に持ったエリーザは不満げに出されたコップを口にする。
「まあまあマスター、そう怒らないで。ほらエリーザ、レモネードはどう?それともアルコール?ジントニック何てどうだい」
機嫌を取ろうとマティアスはエリーザにメニュー表を見せる。
「一人でこんなパブに来るような娘に出す酒はないよ、それにだなマティ、酒を飲む前に就職先を決めたらどうだ。いくら君のお父上が近衛府のお偉いさんだからといって、ずっと遊び歩くわけにはいかないだろ」
呆れたようにマスターは言うと、レモネードを作り始めた。
「人聞きが悪いことを言わないでくださいよ、落ちた当日くらい飲んでもいいじゃないですか___」
「マティ!国家憲兵府に落ちたのね!」
エリーザはドンっとカウンターに手をつくと、呆れたような、嬉しいような表情で叫んだ。
「じゃあ近衛府に就職?それとも私の父上に頼んで商会に入れてもらおうかしら、父上ならきっと、マティならいいとすぐに承諾してくださいるに違いないわ、ねえそうしましょうよマティ、あんな恐ろしい国家憲兵府なんかに入ったらいい人生は送れないわ、帝都でゆっくりと平和に過ごしましょうよ、ねえ!」
エリーザはそう捲し立てると、コップの水を一息に飲み干した。
「そのことなんだけどね、エリーザ、ヨハン」
マティアスは真面目な顔をして二人の顔を交互に見ると続けた。
「僕は南部に行こうと思うんだ」
「「………………は?……………」」
エリーザとヨハンの間の抜けた声が、がらんとしたパブに吸い込まれていった。
帝国の南西部、旧南部獣王国は辺境伯であるオットー・フォン・シュヴァルツグラートが治めている地である。
帝国古参伯爵家の分家の生まれで、若き頃は帝都で官僚として将来を嘱望されていたが、幸か不幸か獣人に対する過激な選民主義を持っていたために辺境伯に任じられ、以降50年にわたって旧南西獣人領総督の地位に就いていた。
マティアスはその辺境伯直轄憲兵府に就職し、彼の理想を形にしようとしたのである。
そこまで話すと、呆気に取られるエリーザとヨハンを見つめた。
「……と言うことで、僕は南部に行こうと思う。最近は紛争も多いから、人手も足りないだろうしきっと受かるんじゃないかな」
そういうと半分残っていた黒ビールを飲み干した。
沈黙に包まれるパブ。聞こえるのはマスターが氷をシャクシャクと削る音だけであった。
「……ほんとに行くの?」
エリーザは声を絞り出した。
「だって、南部は危ないでしょう?何もあなたが南部に行かずともいいじゃない、お父上も近衛なのだから、せめて近衛に___」
そういうエリーザを遮るように頭を振ると、マティアスは続ける。
「いや、僕が行かなきゃダメなんだ。確かに、父上も、そして兄上も近衛だったけど、このままでは紛争も終わらない。どだい、最近言われている民族浄化論も結局はその場しのぎじゃないか。兄上を失った僕なら、獣人たちの言い分もわかると思うんだ」
そう言うとマスターに黒ビールのおかわりを注文した。
「お酒は結構。ねえ、ヨハン、ヨハンも何か言ってよ」
ヨハンは腕を組み、ただ目を瞑っていた。
そのまま夜は更けて行った。0時を告げる鐘がパブの中に物悲しく響いた。
話は風を得た矢のようにトントン拍子で進んで行った。
人手不足で喘いでいた辺境伯直轄憲兵府は、帝都から届いた手紙、それも近衛第二連隊長の紋章が描かれたシーリングスタンプを見ると、渡りに船とばかりに面接も試験もなしに合格にしてしまった。
ここ数ヶ月誰も求人に応募してこなかった人事部はその知らせを聞くと、秘蔵のワインを開けてタップダンスを踊るほどのひどい喜びようであったらしい。
そして雪が融け、春になった。
帝都の誇る中央駅には辺境伯直轄憲兵府の黒い軍服に身をつつんだマティアスをはじめとした3人に、エリーザの父親も来ていた。
海の方が近いからと海路で行こうとしたマティアスを引き留め、問答無用で帝国鉄道の一等客室を予約したのがこの父親である。
ロイヤルブルーに磨き上げられた美しい客室を真黒の鋼の機関車が引く光景は帝国の近代化しつつある工業力を他国に威圧するが如き風貌だった。
「やっぱり父上は来られないか」
マティアスは残念そうに首を振った。
「きっとお父上も、こんな素晴らしい志を持った息子を持てて誇らしいと感じているだろうよ、マティアスくん。ああ、それと君の好物の紅茶とタバコを何ダースか積んでおいたから使いなさい。マティアスくんがいくらタバコ嫌いでも、南部では通貨がわりになるらしいからね」
そう言うとでっぷりと太った腹を大きく揺らして笑った。
エリーザはいじけたようにスカートの端をぐっと掴むと、ただ項垂れていた。
そんな娘を知ってかしらずか、ヨハンをチラリと見ると、
「まあまだ時間はある、どうだヨハン、あそこの待合室でコーヒーでも飲もうじゃないか」
と話しかけた。
「カールさん、別に俺はこのままでも___」
「いいね?」
「は、はい………」
一代で巨万の富を得た大商人の圧を一身に受けたヨハンはまるで蛇に飲まれた蛙のようにしゅんとして待合室に連れて行かれてしまった。
朝の暖かい穏やかな風がエリーザとマティアスの間を吹き抜ける。
しばらくの沈黙の後、エリーザはやや遠慮がちに口を開いた。
「マティ、あのさ、本当に行ってもいいの?」
「ああ、もう決めた。僕は必ず、獣人と人間を___」
そこまで言いかけるとエリーザは唐突にマティアスに近づくと、詰襟の胸ポケットから小さく折り畳まれた紙切れを奪い取った。
「じゃあさ!これはなんなのよマティ!」
マティアスに突きつけられた紙には、「近衛騎士殺し」と書かれた文字の上にハイエナ族の獣人の特徴を精密に描いた似顔絵が載っていた。
「マティ!獣人と人間が平和に暮らせるだって?本当は違うでしょ!面接にわざと落ちて、はなから南部に行くつもりだったんでしょ?ねえ!マティ、あなたの本当の目的は______」
「違う、違うよエリーザ、確かに彼女に会うために南部に行くけど、復讐じゃない。僕は平和を、みんなが自由に暮らせるようにしたいだけなんだ」
「そんなの信用できるわけないじゃない………」
泣き崩れるエリーザ、その肩をマティアスはそっと抱き寄せた。
汽車の汽笛がポーーーーと大きく鳴った。
「おーいそこのお二人さん!乗るのか?乗らないのか?どっちなんだ!!」
車掌がもうもうと煙を吐く汽車の横で怒鳴り声を上げる。
「それじゃあエリーザ、元気で。父上にもよろしく」
「あっ待って____」
そう言うと制止を振り切り、マティアスは身軽に汽車に飛び乗った。
マティアスが最後に見たのは、顔をグシャグシャにしながらハンカチーフを振るエリーザと、慌てたように走ってくるカールとヨハンの姿だった。
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