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異端の獣  作者: 明莞
第一章
1/4

プロローグ 皇帝暗殺未遂事件

よろしくお願いします

新月の夜であった。太陽が沈まないとも言われる広大な領土を誇る帝国、その帝都は暗闇に包まれていた。

煉瓦で建てられた工場の煙突からはもうもうと黒煙が上がり、遠くからは汽車の汽笛の音がかすかにする。


「イリヤ様、首尾は整いました。あとは実行するだけです」


全身が真黒の毛で覆われた若きハイエナ族の獣人は、耳をぴくりと動かしてイリヤに告げた。


「ご苦労。あとは明日、この道を皇帝が通りさえすれば完璧だね。明日で最後。さっさと終えてあたいたちも南部に引き上げよう」


イリヤはそういうと、皇帝が眠っているであろう宮殿に鋭い目を向けた。


翌日、帝都は歓喜に包まれていた。憎き獣人との戦争に打ち勝ち、かの領土を帝国の地図に加え入れた栄ある日であった。

戦勝記念五十周年。帝国臣民にとってもはや戦争の記憶は早くも薄らぎつつあり、獣人はもはや敵ではなく奴隷として使って当然だという風潮が確かにあった。

帝都の宮殿に面する大通りには国家憲兵府や近衛府をはじめとした燦然と煌めく軍服がずらりと並び、マーチに合わせて行進している。

八頭立ての黄金の馬車には、もう七十九にはなる名君がどっかりと座り、窓から身を投げ出して可愛い臣民に手を振っていた。


「皇帝陛下万歳!」「帝国万歳!」


帝国を讃える声が次々にこだまする。

そんな中、車列に向かって一目散に駆け寄る青年の姿があった。臣民たちは感激のあまり、若き青年がその青臭い感情一直線に陛下に一目会おうとしているのだろうと考えた。それは護衛の憲兵も同じだった。にこやかな笑顔で静止しようとしたその憲兵は、自慢の勲章を輝かせながら手を大きく振り上げようとした。


「獣王国は偉大なり!」


シュマーグで隠れたハイエナの耳があらわになり、灰色の目がぎらりと煌めいた。



 爆発。閃光。


憲兵に抱きついた名も知らぬ獣人の姿は膨張し、爆散した。あたり一面に爆風が飛び、紛争地帯である南部からかけ離れた帝都とは思えないほどの惨状が広がっていた。

数十名にも及ぶ獣人が鎌やハンマーを手に、憲兵や近衛兵に襲いかかっている。先程まで平穏無事だった帝都の大通りは、まさに地獄と化していた。


「陛下!」


皇帝のそばに控えていた若き騎士、ランス・ヴァイヘルンは即座に状況を理解すると、直ちに行動を開始した。

黄金の馬車を引くという名誉ある仕事を任された八頭の馬たちは恐怖に慄き、もはや使えたものではなかった。


「陛下!」


ランスは馬車の中から老齢の皇帝を何とか引き摺り出すと、後ろに控えていた予備の馬に飛び乗ろうとした。


「待て!その首置いていけ!」


黒い毛皮の獣人が鎌を振りかざし、数名が追いかけてくる。

弾丸のような速度で飛来する火炎瓶。ランスの赤いマントに火がつき、ごうごうと音を立てた。


「獣人が!」


 一閃。



鎌を振り上げた名も知れぬ獣人の首がポーンと飛んだ。

一瞬の隙をつき、ランスと皇帝は馬に飛び乗り、全速力でかける。

大通りにはすでに民間人、兵士問わず多くの人々が伏していた。それは何も人間だけではない。襲撃者と勘違いされた奴隷の身分の獣人も同じく地に臥していた。

数名の獣人は今もなお、全速力でかけるランスと皇帝を追いかけて走り続けていた。速度は互角。このままでは追いつかれてしまう。


「あたいたちから逃げられるとは思うなよ!」


その獣人で先頭を走っていたイリヤはそう叫ぶと、持っていた鎌を振り上げ、白馬の足めがけてビュンと投げた。


白馬の足から血が噴き出す。そのままランスと皇帝はどうっと地面になだれこんだ。


「おお、ランスよ。助けてくれ!朕はまだ死にとうない!」


 足が逆方向に曲がった皇帝は、今もなお立ち上がり、主君を守る騎士に叫ぶ。


「陛下、何をおっしゃいます。陛下あってのこの国。何があろうとこのランス・ヴァイヘルン。陛下を必ずお守りします」


そういうとランスは剣を抜いた。白と金色に縁取られた近衛兵団の軍服が刀にきらりと映った。


「面白いじゃないの、人間風情が騎士ごっこだなんて。この嘘つきどもが!」


イリヤはそばに倒れていた近衛兵の剣を取り上げるとランスに切先を向けた。


「帝国近衛府、ランス・ヴァイヘルン」


「獣人解放前線、イリヤ・スカルファング」


剣と剣の激しい応酬が繰り広げられる。


イリヤが被っていたシュマーグが風に流され、激しい斬撃の痕が残る耳があらわになった。


「シュマーグが!」


 一瞬の隙を見せたイリヤは足を絡め取られ、どっと倒れた。


「覚悟!」


ぐっと目を瞑った。脳裏に浮かぶのは南部の苦しいながらも、充実した同胞たちとの日々。そして任務を達成できなかった無念だけであった。


しかし、その瞬間が来ることはなかった。


水のような粘性のある液体がイリヤの服を濡らす。

恐る恐る目を開けると、そこには鎌が突き刺さったランスの姿があった。


「ぐ……この騎士道……精神もないただの害獣が……」


 激しい侮蔑と怒りに満ちた目でイリヤを睨みつけると、そのまま仰向けにどうっと倒れた。喉からはゴボゴボと音を立てて血が流れていた。


「イリヤ様!ご無事ですか!」


若い獣人が駆け寄ってくる。彼が投げたらしい。


「ああ、無事だ」


イリヤはそういうと立ち上がり、複雑な胸中のままシュマーグを拾うと、皇帝に向き合った。


「こ、この獣人どもが……貴様らには騎士道精神も持っておらぬのか……」


憎々しげに吐き捨てると、持っていた短剣をイリヤに向ける。


「騎士道精神だと?」


ふんと鼻を鳴らすと、イリヤは呆れた調子でつぶやいた。


「あたいたちの国に侵攻し、同胞を殺した挙句、王族までも粛清した皇帝が何を言う!みんな死んだ……女も、子供も、戦えない獣人も!そんな冷酷で血が通っていない皇帝が今更騎士道精神だと?笑わせるな!貴様らのような寿命が短い種族は忘れたかも知れないが、あたいたちは覚えている、南部の虐殺を、貴様ら人間どもがあたいたちにした仕打ちを!返せ!あたいたちの国を、仲間を、父上と母上を!」


イリヤの灰色の目には知らず知らずのうちに大粒の涙が浮かんでいた。


「イリヤ様、もう……」


もう時間がない。国家憲兵が来る前に早くこの偽善者を処刑しなくてはならない。

イリヤはこれまでの怨念や禍根、そして南部で散っていった同胞たちの無念を込めて皇帝の胸を突いた。










 

「それで?そのあとその獣人はどうしたのかね」


 帝国の中枢。建国当初から黒い噂が絶えない国家憲兵府の一室には、葉巻の濃い紫煙が充満していた。


 国家憲兵府次官、そして中将を務めるフリーデル・アーデルハイムは机の向こうにあるスーツ姿の男に訊ねる。


「はい閣下。その後、恐れ多くも皇帝陛下の暗殺に成功したと勘違いした薄汚いハイエナどもは、すでに南部に逃げ帰ったようです」


「ほう、面白い、やはり獣人たちは頭が足りんな。陛下がこんなどうでも良い国家行事に参加されるわけがなかろう。やはり獣人は獣人よ」


 そういうと得意げに、植民地から輸入された最高級の葉巻を口元に運んだ。


「それともう一つ」


 情報局長であるアーデルハイト・ノイマン大佐は付け加えた。


「捕縛した獣人を拷問……失礼、尋問したところ、『自分たちは獣人解放前線だ』などと喚いておりまして……」


「獣人解放前線?」


 フリーデルは興味深そうな目をアーデルハイトに向けた。


「ええ、南部の情報局に調べさせたところ、最近頻発している盗難事件やテロ事件にも、獣人解放前線を自称している獣人が関与しているだとか」


「新しいレジスタンスか、それとも自称するだけのテロ組織か……どちらにせよ、この帝都であのような大規模なテロを起こせるくらいだ。相当大きな組織だろう。我らが憲兵の同胞や民間人も犠牲になっている。調べを進める必要があるだろう。徹底的に洗い流せ」


「はっ閣下」


アーデルハイトが退室したのち、フリーデルは葉巻をすりつぶした。


「あの薄汚い獣人どもが……ただでは済まさぬ。貴様らの毛皮を剥いで絨毯を作り、この部屋に敷き詰めてやる……!」










それから三年が過ぎた。

帝都はテロの惨劇からすでに回復し、いつも通りの様子で帝都は動き続けていた。

しかし、旧獣人領である南西では毎日のように獣人によるテロや紛争が起こり、地獄の形相を呈していた。

若きマティアス・ヴァイヘルンは今日、国家憲兵府の面接試験に訪れていた。

至る所まで寸分に磨き上げられたチェリーウッドの廊下の席で自分の番を待つ。


「マティアス・ヴァイヘルン!」


機械仕掛けのように立ち上がると、マティアスはそのまま部屋に立ち入った。

中には二人の面接官、肩章を見るに中佐と大佐が隣り合って座っていた。

部屋の中に緊張が走る。


「ではまず、この伝統ある国家憲兵府を志望した理由を」


髭面の大佐が尋ねる。

マティアスの脳裏には、喉を突かれたまま動かない尊敬する兄の姿が浮かんだ。

兄の笑顔。兄の背中。そして、あの日の生臭い血の匂い。


「私の兄……ランス・ヴァイヘルンは三年前のテロで殉職しました」


面接官たちの視線が僅かに揺れる。


「その時、私は思い知りました。怒りでは、何も守れない。憎しみは、ただ次の憎しみを呼ぶだけだと。このテロ事件は、元はと言えば帝国の侵攻によるもの。このまま復讐を続けていけば、いつまでも紛争は続くでしょう」


マティアスは震える手を握りしめた。


「だから私は、兄が務めていた近衛兵ではなく国家憲兵を志望しました。獣人であろうと、人間であろうと、同じ悲劇を二度と起こさないために、この終わらない紛争に永遠のピリオドを打つために」


「……以上が、私がこの国家憲兵を志望した理由です」


マティアスは顔を上げると、面接官をまっすぐに見つめた。

その目には、きっと訪れるであろう獣人と人間が手を取って暮らせる明るい未来が見えていた。

 

 

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