■魅了の覚醒と忠誠の星
「お嬢様」。
ニーナの声は、微かに、しかし激しく震えていた。
声だけじゃなく、私を抱くか細い両腕も、脚も震えていた。
彼女は私の前に膝をつき、強く抱きしめながら「なんてことを……」と連呼していた。
脳裏によみがえる。
あれは、まだ幼かった頃、ベランダの隙間からすり抜けて転落しそうになった日のことだ。
蝶を捕まえようと手を伸ばした。その時もニーナが助けてくれた。今回も、私を救ってくれたのは、この人だ。
私の瞳から熱いものが溢れ出た。
それは止まることを知らず、公爵邸までの道のり、私はニーナに強くしがみつき続けた。
ラインハルトは、深く後悔していた。
彼が今まで令嬢に下していた「年齢に不釣り合いな落ち着きを見せる令嬢」という評価は、いかに表面的なものだったか。
友人たる国王陛下が信頼する御仁を危険に晒した事実は、彼の胸を締め付けた。
誘拐未遂は自分の不甲斐なさの所以であり、スパイ捕縛という結果も、彼女に命懸けの無謀な行動を取らせたことによって得られたものだ。
彼は自身の軽薄さを反省し、プロの顔に戻ってスパイを拘束した。
ラインハルトは、地下の尋問室という厳粛な場所にもかかわらず、丁寧に淹れた紅茶とビスケットをスパイに差し出していた。
そのフレンドリーさは尋問官としては致命的で、スパイは一切口を開かず、ただラインハルトを睨みつけるという膠着状態が、ついには日付を跨いだ。
翌朝、私は、膠着状態に業を煮やし、ラインハルト様に代わってスパイへと近づいた。
私はただ、微笑んだ。
あどけない少女の無邪気な笑み。
だが、それと同時に妙齢の淑女の魔性を帯びた笑みを、なぜか同時に併せ持つ。
私が意図せず発したその笑みは、スパイと目が合った瞬間、彼の理性を一瞬で打ち破った。
彼は一瞬にして虜となり、完全に陥落した。
後手に縛られながらも、スパイは震える声でひとこと。「忠誠を誓います。我が姫」
言葉を発した初めてが、その忠誠の誓いだった。
ラインハルト様は私と目を合わせてはいなかった。
ただ、事態を静観するように傍目で見ていただけだ。
にもかかわらず、その魔性の力に堕ちていた。
これは、秘めたる魅力などという生易しいものではない。
まさに魅了の魔法そのものだ。
彼もまた、スパイと同じく、少女の下僕と化していた。
「忠誠を誓います、我が姫」――その言葉を喉元でぐっと堪え、理性を辛うじて保っていた。
頭上に見える『スパイ』の文字。
その下に、さっきまではなかった星印が見えた。
五つ並ぶそれは、五つすべてが眩く光っている。
この星印がスパイが忠誠を誓った直後に現れたという現象から、「これは忠誠度合いなのではないか?」と推測した。
星の輝きが完全であることから、彼の忠誠が偽りではないことを知る。
私は、新たな協力者となったスパイに対し、改めて恭しく尋ねた。
「では、あなたの名前を伺ってもよろしいかしら?」
スパイは、深々と頭を垂れ、顔に歓喜すら滲ませながら、初めての姫への奉仕を果たす。
「もったいないお言葉でございます、我が姫。
わたくしの名はユリアンと申します。
どうか、ご随意にお使いください」
ユリアンと名乗った男は、拘束されている状況にも関わらず、その顔は満面の笑みだった。
そして、自警団の腐敗、反乱分子との繋がり、次の計画などを、一言一句漏らさず語り始めた。
ユリアンの忠誠の誓いに満足しながら、私はふとラインハルト様へと視線を移した。
『皇帝』の下に、星印が四つ、強く光っているのが見えた。
やはり、あの笑みは魅了の魔法だったのだ。
そして、皇帝でさえもその支配下に置かれている。
その事実に、つい私もイタズラ心がよぎる。
私は、ユリアンに尋ねたのと同じ態度で、ラインハルト様にも名を尋ねた。
「ラインハルト様、恐れ入ります。
改めて、あなた様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
ラインハルト様は、私の目も合わせずに、その顔を耳まで真っ赤にしていた。
彼は己の理性が崩壊する寸前であることを自覚し、ぐっと言葉を堪えることで、下僕の衝動を押し留めていた。




